死神ヲ嫁
会社の受付に、自分を訪ねてきている女性が居ると聞いて、慌てて仕事を終わらせた。エレベーターが遅いので階段を駆け下り、一階に到着するとちょっと息を整え、乱れたジャケットを正した。
受付の前に、淡いグリーンのワンピースを着た背の高い女性が立っていた。細身で、肩の辺りで切りそろえられた黒髪がさらさらと揺れている。
「沙耶さん?」
声をかけると、女性は軽く頭を下げ、
「大貫さん、突然来てごめんなさい」
「いえ、それは別にいいんですが…どうされました?」
自分の問いかけに、女性───城田沙耶は、少し言いにくそうに、
「誠太郎さんの事で、お尋ねしたいことがあるんです」
自分、大貫弘は二十六歳の会社員である。
同い年の硲誠太郎は、高校の時からの友人、いや、親友と言ってもおかしくない間柄だ。そして今、二、三回ほど来た事があるバーのカウンター席に、並んで座る城田沙耶は、その誠太郎の婚約者である。先日誠太郎に紹介されて、三人で飲んだばかりだ。たしか歳は四つ下の二十二歳で、大学を出たばかりである。就職はしておらず、家事手伝いをしていると聞いていた。
友人の婚約者と二人きりで酒を飲むのは、あまりいい事ではないような気がするが、訪ねて来たのは沙耶の方である。
「この前は夜中まで飲んで、すみません。あの後ちゃんと帰れましたか?」
「はい。誠太郎さんのマンションに泊まったので大丈夫です」
「まだ一緒に住んでないんだ?」
「式が終わってからにしようって、二人で決めたので」
嬉しそうに笑う沙耶。
(誠太郎の事で聞きたいことがあるって言うわりには、別に仲が悪そうな感じじゃないな)
てっきり、誠太郎に別の女の影でもあるのかと思っていたが、どうもそうではないようだ。そもそも、誠太郎は二股かけられるような男でもない。
誠太郎は、仲間内でも一番のチビでモテるタイプではないが、同性受けは非常にイイ男である。頭はいいが高飛車ではなく、気が利き優しく、友達思いのヤツだ。しかし、高校時代も大学時代も彼女が出来たことはなく、今回婚約したと聞いた時も、皆驚いたものだ。
先日、沙耶を紹介されたさいに馴れ初めを聞いたが、上手くはぐらかされて教えてもらえなかった。
「沙耶さんって、誠太郎とどこで知り合ったんですか?」
「え?」
「この前教えてくれなかったでしょ。沙耶さんも誠太郎も。歳も違うし、誠太郎は積極的な性格じゃないからナンパなんてできないし」
「それは…」
沙耶は一口しか飲んでいないグラスを両手で持って、黙ってしまった。
「あの、さ、無理に言わなくていいから」
「いえ、そうじゃないんです。馴れ初めって言うか…私の一目ぼれだったので」
「一目ぼれ?」
「はい。初めて出会った時に、一目ぼれして…その次に会った時に、私の方から告白しました。結婚してくださいって」
「けっこん?」
「はい」
「付き合ってください、とかじゃなくて?」
「はい。私と結婚してくださいって、お願いしました」
「それ、いつの話?」
「半年前です」
「………」
沙耶は頬を赤くしつつ、
「誠太郎さん、最初は驚いて何も言ってくれなくて、私、てっきり断られると思ったんですけど、すぐに『はい』って言ってくれました」
「へぇ…」
思ってもいなかった『馴れ初め話』に、言葉に困ってビールを一気飲みした。すぐさまお代わりをする。
「ところでさ、誠太郎の何を聞きたいの?」
「はい、あの、誠太郎さんの好みを知りたいんです」
「好み?」
「誠太郎さん、私が何を作ってもおいしいおいしいって食べてくれるんですけど、何が好き?って聞いても、君が作ってくれたものなら何でも好きだよって言うだけで、自分が好きな食べ物を教えてくれないんです。それに、映画を見に行っても、私が見たいものでいいよって言うし…新居選びも、君が住みたいところにしようって…」
弘は片手で頭を押さえた。頭の痛みは酒のせいではない。
(なんだ、結局のろけ話か)
正直もう帰りたいが、友人の大事な婚約者である。無下には出来ない。
「誠太郎は嫌いなものがないよ。何でも食べるし、映画も社会派からホラーまで見るし、小学生の頃から転勤族の親について転校繰り返してきたから、どこの街でも暮らしていけるだろうしね」
優しく言うと、沙耶は顔を上げて、
「本当に?」
「ほんとほんと」
「大貫さん、もう少し聞いてもいいですか?」
「いいよ」
「友人代表のスピーチ、どうして断ったんですか?」
誠太郎から頼まれたものの、弘は『他のヤツに頼んでくれ。俺は出来ない』と辞退していた。
「俺はああいうのは苦手なんだ。人前でスピーチとか無理。恥ずかしいし、何言っていいのかわからないよ」
「私との結婚、反対ですか?」
弘は内心ドキリとしたものの、表面には出さずに、
「そんなことないって。女の気配一つなかった大事な友人が、こんな美人と結婚するんだ。反対する理由がないだろう?」
沙耶は、弘の顔を覗き込み、
「大貫さんは、誠太郎さんを好きですか?」
「もちろん。あいつは親友だからね」
「友人としてはなく、恋愛対象として好きですよね」
沙耶の言葉に、弘は持っていたグラスを落とした。幸い、テーブルのすぐ近くだったので、大きな音を立てたものの中身がこぼれる事はなかった。
「沙耶さん、何言って…」
「見てればわかります」
「見て、わかる?」
焦りで、声が裏返る。
「誠太郎さんが気づいているかわかりませんが、私は気づきました。でもそれは、私が誠太郎さんを好きだから、同じような気持ちでいる大貫さんの気持ちがわかったんだと思います」
「沙耶さん、あの」
「私には隠さないでください」
見つめられ、弘は両手を上げた。
「マジで…降参。きっついなぁ…」
テーブルに俯せて、
「誠太郎には言わないでくれ」
「言いません。ライバルを作るようなことはしません」
「ライバルって、ならない、ならない。なる訳がない。誠太郎が俺になびく訳がないし、俺が誠太郎に言う訳ないし」
「何でですか?」
「何でって…誠太郎はノンケで、俺はゲイで、無理だよ」
「私はあきらめませんでした」
「へ?」
顔を上げて沙耶を見れば、沙耶はグラスを空にして二杯目をあおっていた。
「私はあきらめませんでした。誠太郎さんと結婚する為に、可愛い女になろうって努力しました。お料理や家事を一生懸命習いました」
「そりゃあ、俺だって女だったらそうしたかもしれないけど…」
「私だって、誠太郎さんと初めて出会った時は女じゃなかったんです。でも女になって、誠太郎さんと再会しました」
「ちょっと待て。女じゃなかったってどういう意味だ?」
「誠太郎さんと出会ったのは、もう二十年以上前」
「…二十年?」
二十二歳の沙耶は、再びグラスを空にして、三杯目に手を伸ばしながら、
「誠太郎さんは病院のベッドの上に居ました。インフルエンザをこじらせて、肺炎になり、入院していたんです。まだ六歳、いえ五歳だった誠太郎さんは体が小さいせいもあってか体力がなく、生死をさまよっていました」
当時二歳だったはずの沙耶は、弘にも新しいグラスを渡して、
「私は白装束で彼の枕元に立っていました。普段は黒服で、お迎えは白服なんです。いつ、彼の魂を彼の体から切り離すか、私は悩んでいました。切り離すのは一瞬、私の持つ鎌を振り下ろすだけでいいんです。それが私の仕事でしたから。それなのに、私は躊躇していました。躊躇している理由がわかりませんでした。その時、誠太郎さんが目を開けたんです。熱で朦朧としているはずなのに、人が私を見ることは出来るはずがないのに、目を開けて、私を見たんです。そして一言『きれい』って言ってくれました。私はその言葉で、誠太郎さんに一目ぼれしていたことに気づきました。一目ぼれしたから、私は鎌を振れなかったんです。そして私は、誠太郎さんを殺せず、職務放棄で仕事をクビになりました。でもそれをきっかけに人間の女の子になることにしたんです」
「人間?」
「はい。でも歳が離れすぎているとダメだと思って、新しく生まれるのではなく二歳ぐらいの孤児になりました。私、誠太郎さんの年齢を二~三歳ぐらいだと勘違いしてたんですよ。それに孤児として保護された場所は誠太郎さんが住んでいた所の近くにしたのに、誠太郎さんすぐ引っ越ししちゃって、行方が分からなくなって…私の予定では、保育園とか幼稚園で出会って、幼馴染として育ったりしちゃって、そのまま付き合って、結婚して!だったのに、全然まったく会えないまま大人になって、やっと、やっと、半年前に再会できたんです。再会できたときは、思わず天上の死天長様にお礼を申し上げました」
「天井? 支店長?」
「初めて出会った時は、私、成人男性の姿だったので、誠太郎さんが私だと気づくことはないですが、私は誠太郎さんが大人になっても一目でわかったんです。嬉しくて嬉しくて、私、泣きながら誠太郎さんに結婚してくださいって言って…今思い出すと恥ずかしい」
「あの、沙耶さん、沙耶さんの話、意味が分かんないんだけど…」
「私、本名はサーヤリディと言います。元死神です。長い年月、人の魂を刈る仕事をしていました」
「なにそれ。死神とかって、ありえないでしょ」
「でも、現実ですよ」
「いやいやいや。ないないない。ありえない。そんなオタクくさい話、ないって。沙耶さん、俺をからかって、どうしたいの? 俺が誠太郎を好きだってわかって、俺を誠太郎から離したいとか? それなら、そんな嘘話しなくても、誠太郎には近づかないよ。二度と会わないよ。それでいいだろ? もとから、誠太郎にコクるつもりはなかったし、誰にも自分の性癖ばらすつもりもないし、そんな事しないでも、俺が沙耶さんの邪魔なんかしないから、もうさぁ、やめてよっ」
「嘘話でも、作り話でもないです。でも、そう思ってもらっても構いません。荒唐無稽な話ですから。でも、私の誠太郎さんへの気持ちを、大貫さんに知ってほしかったんです」
「………」
「大貫さん、私、誠太郎さんが好きです。誠太郎さんだけを愛しています。誠太郎さんを大切にします。どうか、私と誠太郎さんとの結婚を見届けてください」
弘は、一瞬言いよどみ、数瞬間をおいて、
「ちゃんと、式には出るから」
間髪入れずに、
「お祝いの言葉をいただけますか?」
弘は頭を掻きながら、
「するよ。友人代表として、お祝いのスピーチをさせてもらうよ」
「よかった。ありがとうございます。実は誠太郎さん、大貫さんに断られて落ち込んでいたんです。一番の親友である大貫さんにスピーチをしてほしいって、結婚式の打ち合わせの時から言ってましたから」
沙耶は鞄から財布を取りだし素早く会計を済ませると、
「今日はお付き合いくださってありがとうございます。結婚式、どうぞよろしくお願いします」
一礼して店を出て行った。
嵐が過ぎ去ったかのようで、弘は大きな溜息をついた。沙耶の話は訳がわからないが、自分の誠太郎への気持ちがわかる人にはわかるほど、だだ漏れだったらしいことを教えてもらった。もしかすると、共通の友人たちも知っていて、黙っていてくれているのかもしれない。
これからどういう顔で友人たちに会えばいいのか、考えると頭が痛い。
数か月後に行われる誠太郎と沙耶の結婚式で、友人たちに囲まれながら、自分がどんなスピーチをするか、弘は真剣に悩むことにした。
初秋。
ガーデンパーティ式で行われた披露宴は、新郎の人柄と新婦の顔の広さでかなりの出席人数だった。
無難に新郎友人代表スピーチを終わらせ、弘は一人会場の隅でグラスを傾けていた。
「ヒロ」
振り返ると今日の主役である新郎が立っていた。タキシードが微妙に似合っていない。
「スピーチありがとうな。嬉しかったよ」
「もう二度としないぞ」
「僕が二度目を頼むことはないよ」
笑う誠太郎に対し、
「沙耶さん、いい奥さんになりそうだな」
「ああ」
「大事にしろよ」
「当たり前だろ。僕のせいで人間になったんだ。大事にするさ」
「………え?」
目を大きく開いて固まってしまった弘に、
「沙耶はね、子供の頃に死にかけていた僕の前に現れた死神なんだ。綺麗な男の人だった。白くて長い髪に、真っ白な服を着て、僕の枕元に立っていた。全部真っ白なのに、目だけが空のような青色で、すごく綺麗だった。今でも鮮明に覚えている。その目でね、わかったんだ。沙耶に会った時に、ああ、あの時の綺麗な男の人だってさ。色は違うけれど、同じ目をしていた。でも、男だったはずなのに、沙耶は年下の女性で、あれ?って思ってたんだけど、沙耶ってさ、寝言がすごいんだ。寝ながら、『死天長様、申し訳ございません。私は彼を殺せませんでした。彼の魂を刈り取ることは出来ませんでした。私は誠太郎さんを愛しているんです。お願いです、人間にしてください。死神の力も、永遠の命も、何もいりません。お願いです、人間の女にしてください』って、何度も何度も、泣きながら…」
弘は何も言えず、反応もできず、語る誠太郎を見つめた。
「変な話してごめん。誰にも言えなくてさ。もちろん沙耶にも寝言のことは言ってないし、何も話していない。信じてもらえないと思うけど、本当のことなんだ。ヒロにだけは言っておきたくて」
「誠太郎」
「今度新居にも遊びに来てくれよ。お前にもらった変な照明もちゃんと飾るからさ」
そう言うと、誠太郎は親戚らしい男性に呼ばれて弘から離れていった。入れ替わりに、白のウイディングドレス姿の新婦が現れた。
「大貫さん、今日はありがとうございます」
「おめでとうございます、沙耶さん」
「誠太郎さんと話をしていたでしょう? 男同士で何を?」
「沙耶さんのことですよ」
「私のこと? 誠太郎さんと?」
弘はじっと沙耶を見つめ、
「誠太郎、沙耶さんのこと、知ってましたよ」
「?」
「子供の頃出会った、白い髪と白い服に青い目の死神のこと、覚えているそうです」
「!」
沙耶は持っていたブーケを落とした。弘は屈んでブーケを拾い沙耶に手渡した、震える手でそれを受け取る沙耶の顔は強張っている。
「沙耶さん、寝言がすごいらしいですよ。寝言で自分の正体をぶちまけてたって」
「うそ!」
「俺が嘘言ってもしかたないでしょ? ちなみに、これは俺からふった話じゃなくて、誠太郎から言ってきたんです。自分のせいで人間になった沙耶を大事にしたい…ってさ」
俯きブーケを握り直し、ややして顔を上げた沙耶に、
「誠太郎なら、親戚っぽい人に呼ばれていきましたよ」
方向を指し示してあげると、沙耶は嬉しそうに笑い、
「ありがとうございます」
ドレスを翻して小走りに去って行った。
(やれやれ)
弘は空になったグラスをテーブルに置き、ジャケットを脱いで会場を出た。
少し離れた場所から会場を振り返ると、新郎に抱きつく新婦の姿が見えた。
よくある結婚披露宴。
しかし、
新婦は元死神で寝言がひどく、
新郎の友人は同性愛者で新郎に片思いをしており、
新郎はそんな新婦のすべてを受け入れておきながら、
友人の気持ちには気づいていないようで、
(カスオだなぁ)
弘は笑いながら式場をあとにした。