妊婦の神官、シュクリア
出張鑑定依頼も無事完了した。
ウェイルは鑑定道具や譲渡証明書を片付けていると、バルハーに声を掛けられた。
「ところでウェイル殿。明日、我が教会ではラルガン神の降臨を祈る降臨祭を開催致します。もしよろしければ見学なされませんか? 儀式で使う神器や、ラルガ教会秘蔵の絵画も展示いたしますので、鑑定士の方には中々に興味深いものもあると思います。いかがでしょうか。もしいらっしゃるのであれば特別待遇で招待させていただきます」
よほど機嫌が良かったのだろう。
バルハーは降臨祭というラルガ教会最大の祭典に、来賓としてウェイルを誘ってきたのだ。
本来なら有り得ない招待である。
鑑定士は基本的に無神論者が多い。
信仰心が己の目を曇らせ、心を惑わし、鑑定に余計な感情を持ち込んでしまうからである。
コレクションが高額であったこと、龍の絵画を処分できたこともあり、彼は随分とウェイルのことを気に入ったようだ。
バルハーの招待を受け、ウェイルは先程聞いた悪魔の噂を思い出していた。
最近この都市を騒がせている悪魔の噂と、その対策になると騒がれているラルガポット。
この二つの因果関係について、何かがあると証明されたわけではない。当然証拠も根拠も全くない。
所詮憶測の域だ。
だが到底無関係とも思えない。
もし関係性があるなら大問題だ。深い裏のある話になる。
二つの因果関係を調べてみる価値は大いにありそうだ。
ならば降臨祭に参加することで、教会内をこっそりと調べることが出来るかも知れない。
「そうだな、是非見学してみたい。儀式に用いる神器に興味がある」
「分かりました。それでは明日の夕方六時、この札を持って教会裏口へおいで下さい。場所は彼女に案内させましょう。シュクリア、ここへ来なさい」
バルハーがパンパンと手をたたくと、一人のシスターが部屋に入ってきた。
「――お呼びでしょうか、神父様」
「この方はプロ鑑定士のウェイル殿だ。出口までお見送りして差し上げなさい。大事な明日のゲストなのでな。くれぐれも失礼のないように。それと明日の降臨祭のことについて、少し説明いたしなさい」
「仰せつかりました。さあ、こちらへどうぞ」
――●○●○●○――
「『降臨祭』というのは、年に一度ラルガン神がこの地に降臨なさることを祝い、お迎えする儀式なのです。特に今年はこのサスデルセルでもお祭りが開かれるので、とても盛り上がると思います。神父様も楽しみにされていらっしゃいます」
「君も参加するのか?」
「はい! 光栄なことに私は今年から神官に任命されまして。ですので神官として精一杯皆様のためにお祭りを盛り上げようと思っているのです」
「そうか」
シュクリアと呼ばれたシスターの女性は、丁寧な口調で降臨祭について説明してくれた。
だがウェイルの興味は彼女の説明以外のところにあり、そちらばかり気になってしまっていた。
見た目は金髪で、美しい碧眼が目を惹く彼女であるが、それ以上にとある部分が目立ってしまっている。
それはその華奢な身体としては不自然に、お腹が膨らんでいることだ。
不思議に思ったウェイルは、説明を続けるシュクリアの言葉を遮って尋ねてみた。
「ちょっと失礼な質問をするが許して欲しい。君、もしかして妊娠しているのか?」
「ええ、そうです。妊娠しています」
「でも君は神官なんだよな?」
ウェイルが驚く理由に、彼女が自らを神官と語ったところにある。
神官とは普通のシスターとは違い、己の全てを神に捧げると誓った立場にある者のことだ。
ほとんどの教会では神官の婚姻、性交は禁止されている。
そんな常識からの質問だった。
「ラルガ教会では神官の婚姻が認められているのです、確か他の教会と比べたら珍しいかも知れませんね」
「そうなのか……?」
芸術と教会は切っても切れない関係にある。
その為、鑑定士である以上、様々な教会に関しての知識は持っていなければならない。
ウェイルもラルガ教会について多少の知識はある。
だからこそ違和感を覚えた。
ラルガ教会は神官の婚姻を認めているだなんて話は、今まで一度たりとも聞いたことはなかったからだ。
「かなり珍しいな」
「そうでしょう!? これも大いなるラルガン神の懐の広さ故です!」
シュクリアは目を輝かせると、お腹をなでながら軽快に喋り始めた。
「この子はきっとラルガン神が授けてくださった子なのですよ! ああ、今から生まれてくるのが楽しみです! きっと可愛いのだろうな~。いえ、間違いなく可愛いです! だって私の子供ですもの! さぁ、一緒に偉大なるラルガン神へ感謝の祈りを捧げましょう!」
口を挟む隙がないほどの饒舌なトークであった。
彼女の突然の豹変に困惑するウェイル。
どうやらシュクリアは、我が子の事になると性格が豹変するらしい。
(……と言うよりはこちらが素なのか?)
本来彼女の性格は無邪気なのかも知れない。
ちょっとステイリィと重なる部分がある。
「あ、そういえばまだ名前を決めていないのですよ! 鑑定士の方なら何か良い名前をご存じないですか? あ、でも男の子か女の子が分からないから名付けようがないですよね! ごめんなさい! 気が焦っちゃって! あ、でも――」
「待て待て、ちょっと落ち着けよ」
「あ、すみません……この子のことになると、つい……」
ようやく子煩悩暴走は収まったようだ。
膨らんだお腹を愛おしそうに撫でるシュクリア。
その表情は慈愛溢れる母性に包まれていた。
「俺は風水や占術についてはそれほど詳しくないんだ。今度専門の鑑定士を紹介してやるよ。名前の事はそいつに相談したらいい」
「本当ですか!? 是非、紹介してくださいね!」
色々と話を聞き、またシュクリアの暴走もあってか、短い廊下なのに裏口に辿り着くまでに随分と時間を要してしまっていた。
外に出た頃にはもう、空は太陽が沈む山を残して薄暗く染まっていた。
「本日はお勤めご苦労様でした。明日の降臨祭では、こちらの裏口をご利用下さい。表口は一般の信者さん達で一杯でしょうから」
初見の物静かそうな性格に戻ったシュクリアは、さっきまでの自分が恥ずかしかったのか、妙に顔を赤くしていた。
「了解したよ。また明日」
「はい。お待ちしていますね!」
二人の会話はそれで切れ、互いに別れるはずだった。
しかしその時、ウェイルは例の噂をふと思い出した。
シュクリアに聞いてみるのも良いと思ったのだ。
「シュクリア。一つ訊きたいことがあるんだが、いいか?」
「えっと、なんでしょう?」
「悪魔の噂について、君はどう思う?」
それを聞いたシュクリアは露骨に顔を歪めた。
「どう思うも何も、ただの噂話でしょう?」
「まあ、そうなんだがな」
「所詮噂ですよ。それにもし噂が本当だったとしても、異教に身を置く者が被害に遭うのは当然の報いだと思います。ラルガン神を信じていれば悲劇に巻き込まれることはないでしょうから」
先程とは打って変わって、シュクリアの顔は無表情だった。
その瞳は少し怖いくらいに、深い青色をしていた。
だがそれも一瞬のこと、すぐに元のシュクリアへと表情が戻る。
「ウェイルさん、貴方なら大丈夫です。私が貴方の為に、ラルガン神へお祈りを捧げますので! 『ラルガンの大いなる盾よ、かの者を護りたまえ』……ほら、これでもう大丈夫ですよ!」
「そうだな。ありがとう」
「いえいえ、どういたしまして! それではまた明日」
「ああ、それじゃな」
そしてようやく帰宅の途に着く。
帰り道、ウェイルはこの都市に来て知ったことを頭で整理していた。
ヤンクの話、ステイリィの情報。
そして先ほどのシュクリアの――表情。
この噂には、何者かが裏で暗躍している。
憶測に過ぎないことは分かっている。
ただ、そんな匂いがやけに鼻につく夜道だった。