かけがえのない土産を残して
フレスベルグの放った絶対零度の氷が、メルフィナを無に還した。
『終わったな』
「ああ、終わったよ。フレスベルグ、お前のおかげでな」
メルフィナが消え去った今、ウェイルは長年に渡る使命を達成したような気がしていた。
肩の荷が下りたという、そんな感覚。
――だが、それはまだ間違いであった。
『ならば、もう一つ終わらせねばならないことがある』
「もう一つ? 何を終わらせるんだ?」
『『無限地獄の風穴』の破壊だ』
フレスベルグは、握っていたその神器を見せてきた。
「お、お前、何っているか判ってるのか!? そんなことをしたら……!!」
『無論、我の魂は、もう一度天に召されることだろう。だが、時間が無い。そいつを破壊して、ピアノを弾き続けるアイリーンを殺さねば、このアレクアテナ大陸は消滅してしまう』
「だがっ!!」
『だが、なんだ?』
「…………ッ!」
フレスベルグの言うことは正しい。
この『無限地獄の風穴』を破壊すれば、この神器によって復活したアイリーンの魂は消え去る。
だからすぐに破壊するべきだし、急がねば取り返しのつかないことになる。
そんなことは百も承知だ。だが、頭ではわかっていても、心からは弱音が出る。
「……またお前を、失うことになるじゃないか……!!」
そんな小声に、フレスベルグは一度目を丸めると、次に口を大きく開けて笑い始めた。
『ふ、ふふふ、あっはははははは!!』
「な、何がおかしい!?」
『我のお師匠様は本当にお嬉しいことだ! その気持ちだけで十分だ。我は一度死んだのだ。死んだ者がいつまでもこの世界に残るというのは不条理だ。我は潔く消え去りたい』
「フレスは、フレスは納得しているのか……?」
『しているに決まってるさ。我が相棒だぞ!』
「……くそ……!!」
またフレスベルグを失わなければならない。
そうしなければフェルタクスは止まらない。
それが判っていても、フレスベルグには生きていて欲しいと、そう願ってしまう。
『我は龍。人間から忌み嫌われる存在だ。そんな我がこのアレクアテナ大陸を救うために、命を捧げる。実に名誉なことではないか。少し前の我では考えもつかんことだった。ウェイル、我はお主と出会い、変わったのだと思う。少なくともお主と出会う前までは、これほどまでにアレクアテナ大陸のことを愛する気持ちはなかった』
「フレスベルグ……!!」
『頼む、お師匠様。我にこの大陸を救わせてくれ。そして、最後は笑顔で見送ってくれ』
「……フレスベルグ……!!」
もうウェイルの口からは、最強の愛弟子の名前しか出てこなかった。
ウェイルとフレスベルグの付き合いは短い。
それでも、彼女は最高の弟子の一人だった。
「……判った」
そしてその弟子が、覚悟を決めている。
このアレクアテナ大陸を救うために、再び死の世界に戻る覚悟を。
「俺に、神器を破壊させてくれ」
『お師匠様……。判った、お願いする』
フレスベルグは、『無限地獄の風穴』を床に置く。
ウェイルは氷の剣を精製し、それの前に立った。
『お師匠様よ。我はこの世界で、ウェイルと出会えて、本当に良かったと、そう思っている』
「俺もだ。心の底からそう思っている」
『それなら何よりだ。……そろそろ、頼む』
ウェイルは一度目を瞑ると、覚悟を決めて剣を振りかぶった。
――そして。
「さようならだ、フレスベルグ!!」
『ああ、楽しかったぞ、ウェイル……!!』
氷の剣は『無限地獄の風穴』を、一撃で真っ二つに割った。
その瞬間、フレスベルグの魂が消え去り、フレスは意識を戻した。
龍の身体から戻ったフレスは、目に涙を浮かべ、泣きじゃくっていた。
「ありがとう……! ボクの、相棒、……フレスベルグ……ッ!!」
ウェイルの愛弟子の一人が、こうしてまたいなくなった。
――このアレクアテナ大陸を救うという、かけがえのない土産を残して。
――●○●○●○――
「メルフィナ! メルフィナ!!」
その時アイリーンは、演奏をしながらメルフィナの最後を見届けていた。
「私の、メルフィナ……!」
そう呟き、アイリーンはショックの余り意識を失った。
だからアイリーンは、自分が死んだことを知らない。
『無限地獄の風穴』によって与えられていた命だとは知らなかったから。
メルフィナが死に、『無限地獄の風穴』の破壊された。
アイリーンも、愛しい彼を追っていった。
アイリーンの魂は、ようやく二十年前のあの日に戻れたのだ。
――それは演奏終了まで、残り四小節のところであった。




