父親
「ご、ごはっ…………!!」
イドゥは、身体をくの字に折り曲げ、崩れ落ちた。
アムステリアの蹴りで、どうやら肋骨が何本か骨折し、一部が内臓に突き刺さっているようだ。
吐血し、痛みで呼吸は絶え絶えになる。
それと同時に、二人を襲う槍は消えていった。
「……な、何故……槍を、避けられる……!? 指示、すら、まともに、出してはなかったはず……!!」
虫の息のイドゥが、かすれる声でイルアリルマに聞いてくる。
「はい。指示は出していませんよ」
「な、なら、どうして……!?」
「ルシカの力をお借りしたんです」
「る……るしか、の……?」
イルアリルマは首から下げていたネックレスを外して見せた。
「……それは……ルシカの、神器……!?」
「彼女の遺品です。彼女の形見として私が貰うことにしました。この神器の力で、私の感覚をテリアさんに、そしてテリアさんの感覚を私に、互いに感覚を共有したんです。ですから私が指示を出さずとも、テリアさんは槍の場所が判るし、私もテリアさんと同様に機敏に反応できました」
「……そ、それには……エルフの薄羽が必要のはず…」
「ええ。だから使っていますよ。ハーフエルフである私自身の薄羽を、ね」
そのネックレスの中央には、入れたばかりのイルアリルマの薄羽が光っていた。
「イドゥ。苦しいと思うけど、もう大丈夫。すぐに楽にしてあげるから」
「…………!!」
本格的に口から血が溢れ、自らの血で溺れそうになっていた。
「イドゥ、最後に聞いて欲しいの」
ふっと表情を緩めたアムステリア。
その時の彼女の目は、イドゥがずっと憧れ続けてきた、娘が父親に向けて送る視線。
「貴方がいなければ、私はあの日、リグラスラムで死んでいた。この命は貴方に貰ったようなもの。だから私は親孝行がしたかった」
何故だろうか。
アムステリアの言葉を聞いていると、痛みがすぅっと消えていくこの感覚は。
「『不完全』にいた時も、脱退した後も。ずっとずっと貴方に会いたかった。会って恩返しをしたかったの……!!」
アムステリアの瞳からは大粒の涙が浮かび、その涙は血で汚れたイドゥの顔を洗っていく。
「まさかこんな形で、恩を返さないといけないだなんて、思いもしなかった。本当はこんな恩返しじゃなくて、もっとイドゥが幸せになる、そんな恩返しをしたかったのに……!!」
――ああ、可愛い娘が泣いている。
リグラスラムで出会ったあの時の様に、頭を撫でてやらなくては――
震える手を伸ばして、アムステリアの頭に手を置いた。
「…………イドゥ!!」
懐かしい手。
最初はキョトンとしたけれど、本当はとても嬉しかった手。
アムステリアは堪らず、イドゥを抱きしめた。
「イドゥ、イドゥ!! イドゥ!!」
もう名前しか出てこない。
子供の様に、流れ出る涙を隠すこともなく、ただ感情のままに恩人の名前を呼んだ。
ぽんぽんと、アムステリアの肩が叩かれた。
震えるイドゥの身体から離れると、イドゥはさらに多くの血を吐いた。
苦しい筈だ。それは彼の吐いた血の量を見ても判る。
それでもイドゥは最後まで、ニッコリと父親が娘に向ける笑顔をアムステリアに向けていた。
「……イドゥ。これが私の恩返し。受け取って……!!」
アムステリアはイドゥの心臓の上に、そっと手を置いた。
そして泣きながら、最後は彼女も笑顔を彼に向けて、そして言った。
「私を救ってくれて、ありがとう――――お父さん……!!」
手のひらに力を込める。
それだけで、老いた人間の心臓を止めるには十分であった。
力なく、だらりと腕が落ちる。
アムステリアは手拭いを取り出し、イドゥの顔についた血を拭った。
そして頬っぺたにそっとキスをして今度は自分の涙を拭った。
「……後、何分くらい?」
「おそらく三分くらいです」
「そ。そのネックレスでイドゥの記憶の情報はとれた?」
「はい。大丈夫です。……それで……あの、私、なんて言ったらいいか……」
「リル。それは全部後回し。今はすべきことをしないとね」
「そ、そうですね……。テリアさんって本当に強いです」
「アハハ、今更そんなこと言われてもね。知っていたでしょ?」
それは気丈な口調であったが、アムステリアの肩が小さく震えていたことを、イルアリルマは見た。
そして見ていないふりをすることにした。




