静寂なる夜の事件
「――これより全員、拘束用神器の使用を許可する! 標的は『不完全』の贋作士である! 必ず捕らえるんだ!!」
――闇の帳が支配する、物音一つしない冷たい夜。
そんな夜の静寂さを引き裂く、治安局員の声がこだました。
この騒動は、治安局マリアステル支部から脱走した、とある男が発端であった。
「俺としたことが……! クソッ! アムステリアの奴、覚えてろよ……!!」
その男は闇夜の裏路地にて、真っ赤な髪を携えて、奥歯を噛みしめながら息を潜めながら歩いていた。
その男の名はルシャブテ。
ウェイル達の活躍により逮捕された、贋作士組織『不完全』の構成員だ。
ルシャブテは贋作の鍵を作って幽閉されていた地下牢からの脱獄を果たし、こうしてマリアステルの街を逃走している。
せっかく脱獄に成功したのだから、さっさとマリアステルから出ていけばいいのだが、それを彼の身体は許してくれない。
「歩くだけで精一杯だってのに……!」
アムステリアの蹴りに、こっぴどくやられたルシャブテの身体には、少々の休息では回復できないほどの大ダメージが残っていた。
痛みでまともに歩けない上に、治安局の追手も予想以上に多い。
周囲からは治局員達の脱獄犯を探す声が響いており、このままでは取り囲まれて再逮捕されるのは時間の問題であった。
「ちっ……!! さっきの傷か……!」
ポタポタと腹部から血がしたたり落ち、石畳の道を赤く染めた。
脱獄する際、治安局員と交戦した時に負傷した傷だった。
「上官、標的を発見いたしました!! 大至急応援を頼みます!! おい、そこの贋作士、動くんじゃない!!」
「ちっ、見つかったか……!!」
続々とルシャブテを治安局員が取り囲む。
一度脱獄を許してしまった彼らには、ルシャブテに対する油断は一切ない。
ルシャブテを捕らえるための包囲網は、蟻一匹たりとて逃れられないだろう。
「赤髪の男、諦めろ。もう逃げられん。素直に投降するんだ」
取り囲む治安局員の中から代表格の男が一歩前に出て、ルシャブテに対し投降するよう忠告する。
「……フン、誰が諦めるかっての……」
当然ルシャブテに投降する気は皆無。
だがいつも使っている愛用の神器は、治安局に没収されたままだ。
神器がなくとも、戦闘力だけでいえば彼ら全員より数段上だと自負している。
身体のダメージさえ残っていなければ、簡単にこの場を切り抜けることは出来ただろう。
ただ、そのダメージがあまりにも深刻なのが問題なのだが。
(……とはいえ、かなりマズイ……。せめて神器さえあれば……!!)
援軍要員も駆け付け、彼を囲む数は約二十人以上。
流石にこれほどの人数相手に、この最悪の状態で逃げ切られるとは思わない。
(あのバカ女、いつになったら来るんだ……!!)
「さあ、投降しろ。我々には犯人が抵抗するようならば、その場で処分する権限が与えられている。今投降するならば命だけは助かる」
「……そう言われて素直に投降するバカはいないだろう?」
「いいや、世の中ってのは案外バカだらけでな。今までは皆素直に投降していたぞ? 何せ命が掛かっているんだからな。お前もそのバカにならないか?」
「断る」
「そうか。ならば処分もやむなし。――掛かれ」
――「掛かれ」。
音にしてわずか三文字の言葉だが、それが意味するものは処刑命令だ。
治安局員達の目の色が変わる。
各々の神器を構え、魔力を集めながらじりじりとにじり寄ってくる。
もはや犯人を生かしておく必要はない。
だから皆、容赦なく神器の力を高めていく。
神器が発動する寸前の、一触即発の空気が張り詰めた。
「――情けないね、るーしゃ?」
そんな空気の緩和させるかのような、ほのぼのとした甘い声が、緊張感の支配する裏路地に響き渡る。
ルシャブテは嫌になるほど聞き慣れた、その声の主を探す。
「そこにいたか」
月明かりに照らされながら、建物の屋上に腰掛けて、こちらを見下ろしている少女がいた。
「キャハハ! るーしゃ、とってもボロボロ! 大丈夫?」
「うるさい、笑ってんじゃねーよ」
「だって、るーしゃ、滑稽。不憫。憐れ。悲惨。可哀想。可愛い」
「どうしてその言葉の羅列の中に『可愛い』が出てくるんだ!?」
「私にとって、るーしゃはずっと可愛い!」
「いいからさっさと助けろ、バカ」
「嫌。もうちょっとるーしゃの可哀想なとこ、見てる! すっごく、可愛いもん!」
ニヤニヤしながら、少女は体操座りをして、惚けたように顔を赤くさせていた。
「誰だ!? あの女は!? 奴の仲間か!?」
唐突に現れた、この場に似つかわしくない格好をした少女。
まるで絵本の世界から飛び出してきたかと錯覚してしまうような、ゴシックロリータ風のドレスを身に纏っていた。
局員達の間にも、少女の登場に動揺が広がったが、すぐさま彼らは気を引き締めて警戒を強める。
疑わしきはとにかく確保、との方針が固まり、少女の確保も命令の中に加わった。
「ねぇ、るーしゃ。そろそろ手伝い、必要? 飽きちゃったんだけど」
「ならさっさと助けろ!」
「えー、そういう言い方されたら、やる気なくなる。もっと気持ちを込めて頼んで!」
この女に頼るのは癪に障るが、現状がこの有様だ。背に腹は変えられない。
屋根の上で笑う白いおかっぱ頭のゴスロリ女の恐ろしさは、この場ではルシャブテ以外誰も知らない。
「ちっ……、頼む、助けてくれ……!!」
「素直なるーしゃ、とっても可愛い! 後でチューしてあげる!」
「いらねーよ。いいからさっさと助けろ」
「せっかち。でも、早くデートしたいからさっさと片付ける」
無邪気な笑顔に見えたのも束の間、彼女の瞳の奥は闇に染まっていく。
背筋がぞわりとするほどの邪悪な魔力を放ち始めた。
「治安局員、二十人。余裕」
ゴスロリ少女は、すらりと身を翻して地に降り立つと、音すら置き去りにして治安局員へと襲い掛かっていった。
――●○●○●○――
――その夜は、とても静かだった。
血の雨が降ったほどの虐殺劇が繰り広げられたなんて誰も気づかぬほど、静寂な夜だった。
血の雨を降らせた張本人のゴスロリ少女は、血に濡れた手でぬちゃぬちゃと手悪さしながらルシャブテに抱きついている。
「るーしゃ、確保しました!」
「……さっさと離れろ――スメラギ」
「嫌。助けてあげたんだから、文句、言わない。そういえば、これ、持ってきた」
「それは……!」
スメラギが見せつけてきたのは、治安局に没収されているはずのルシャブテの神器。
「返して欲しい?」
「さっさと返せ」
「それが人にモノを頼む態度? るーしゃ、立場わかってない」
「……どうすればいいんだよ」
「頭ナデナデして?」
「……ちっ」
仕方なくスメラギの要求どおり、げんなりとした表情で頭を撫でてやる。
そんな彼とは正反対に、溢れ出る喜びで相好を崩したスメラギは、しばらく頭ナデナデを楽しんだ後、ルシャブテの耳に寄り添い、軽く囁いた。
「リーダーからの招集命令」
「リーダーから? 贋作絡みか?」
「どうかな~。ただの暇つぶしかも。『異端児』、全員集合だって」
「あいつ、またロクでもない事考えてるんじゃないだろうな」
「どうだろ。でも、計画の実行は当分先なんだって。今回は作戦の概要説明みたい。だからるーしゃ、行くにしても、少し遊んでから行こう?」
「ああ、そうするか。しかしリーダーの奴、一体何をしでかすつもりなんだか」
「行ってからの、お楽しみ!」
こうしてルシャブテとスメラギは、翌日にはこのマリアステルから姿を消した。
この時はまだ、ウェイルどころかルシャブテ達ですら知る由もなかった。
彼らがこれから成す事は、後にアレクアテナの歴史に語り継がれていく程の大事件であったということを。




