フレスの決意と、新たな旅路へ
裏オークション事件の翌日の昼。
ウェイル達二人は、マリアステルに来た当初の約束通り、プロ鑑定士協会本部の屋上へと足を運んでいた。
「うわああああああ! すんごく高いね! 雲が近いね!! あんな遠くの景色まで見えるね!!」
「……ああ、そうだな」
念願叶ったフレスのはしゃぎっぷりときたら、見ていて微笑ましくなるレベルである。
興奮のあまりバサァと翼を展開してしまっているが、それによってもう服が破れる心配はない。
朝一で服を買いに行こうと急かされ、ウェイルの財布の中身を半分にするほど値の張る水色のワンピースを買い、その服を翼が通るように改良してとせがまれ、さっきまでずっと裁縫作業をしていたのだ。
「あれれ? ウェイル、お疲れだね」
「そりゃそうだろうよ」
新しいワンピースを着て喜ぶフレスの姿は、苦労に見合った光景だったとはいえ、流石にあれほどの事件の翌日だ。
本来ヘトヘトで倒れていてもおかしくない。
それなのにも関わらず朝から叩き起こされて、買い物に連れ出され、挙句の果てには細かい裁縫作業(翼用改造作業)。
これで疲れないのは無限の魔力と体力を持つ龍くらいなものだろう。
ようやく昼寝でもしようとベッドに横になっても、隣で「屋上へ行きたい!」と騒ぎ散らす者がいたもんだから、落ち着いて休めやしない。
そういうわけでウェイルはいい加減くたびれ果ててしまっていた。
「もう、ウェイルったら、こんなにすんごい景色の前で大きい欠伸なんかしちゃって。雰囲気台無しだよ」
「……いや、欠伸の一つくらいは許してくれよ……、ふあああ……」
文句一つ言っていないんだ。欠伸の一つや二つはご勘弁願いたい。
しかしこの屋上からの景色は、何度見ても素晴らしい。
競売都市マリアステルの街並み全てが望めるし、眠気を吹き飛ばすには丁度良いくらいの心地よい風が吹いている。
その壮観な景色に、疲れなど忘れてしまいそうだ。
わざわざ睡魔と戦ってまでここへやってきたんだ。
本当は後でやろうと思ってたことを、せっかくなので今やってしまおうと考えた。
「フレス、ちょっと来い」
「どうしたの?」
跳ね回るフレスを手招きし、一緒に向かったのは、屋上に設置された大きなオブジェの前。
「このオブジェ、一体何だと思う?」
「う~ん、何かの観測台? ここから星を見るだなんて、ロマンチックだなぁ」
「屋上には観測台もあるがこいつは違う。これはな。天空墓地と呼ばれるオブジェだ」
「天空墓地?」
「そうだ。ここには違法品絡みの事件に巻き込まれて命を落とした、名前すら判らない被害者を弔う為の墓地兼慰霊碑なんだ」
「どうして屋上にあるの?」
「天に近いから、だろうな」
ウェイルとフレスは、自然と天を仰いだ。
青い空に白い雲が流れていく。
紛れもなくこの場所は、この都市で最も天に近い場所だった。
しばらくそうしていた後、ウェイルはポケットから『真珠胎児』を入れているケースを取り出した。
太陽の光に反射して、神々しく輝く真珠胎児。
その輝きは、まさに命の輝き。決して誰かのコレクションや装飾品になってはならないものだ。
「この子らを弔わないとな」
「そうだね……」
ウェイルは真珠胎児を、オブジェについている小さな扉を開けて、そっと中に入れた。
二人は手を合わせ、しばらく黙祷を捧げる。
目を瞑ったままフレスが呟いた。
「ねぇ、ウェイル。この大陸には、まだまだ沢山の違法品があるんだよね?」
「ああ、数え切れないほどある。この世界には命よりも違法品の方に価値があると考え、それを求める輩がごまんといる。俺達プロ鑑定士は、そんな心の汚い連中のやることを阻止しなければならない」
ずっと目を瞑っていたフレスが、少しだけ間を置いて、そして決心したかのように目を開いた。
「ボク、決めたよ。プロ鑑定士になる。今回みたいな酷い事件、絶対に許したくないんだ! 確かに『不完全』に復讐したい気持ちもあるよ。でもそれ以上に違法品で苦しむ人達を見たくない! イレイズやサラーだって、違法品のせいで苦しんでいるでしょ!?」
憤りを隠すことなく声を荒げたフレスの姿を見て、ウェイルは思う。
フレスは人間以上に、人間らしい心を持った龍なのだと。
「――私を呼びましたか?」
「……誰だ!?」
ここにはウェイルとフレス以外誰も居ないはずの屋上で、何者かに声を掛けられた。
二人はサッと声がした方へと振り向く。
この声の主は――。
「――イレイズ!? どうしてここに!? ここへは鑑定士しか入れないはずだぞ!? どこから侵入した!?」
「内部から侵入したわけではありませんよ? ここは屋上ですからね。空を飛んで来ればいいだけのことです」
「……なるほど。サラーと一緒に飛んできたのか」
確かに屋上ならば空から飛んで来ることが出来る。これは盲点だった。
もっとも空を飛んで来た侵入者なんて初めてのことであるが。
妙に感心するウェイルを他所に、イレイズとサラーはオブジェの前へと足を進めた。
サラーは握っていた小さな花をオブジェの前に置くと、二人は小さく屈んで手を合わせる。
「すみませんでした」と、サラーの小さな声が聞こえてきた。
イレイズとサラーは、彼らなりに被害者に対して謝罪したかったのだろう。
黙祷を終えた二人は、こちらへと振り向いた。
「お礼とお別れを言いに来たんです。この度は色々とありがとうございました」
「だから取引だって言っただろ。見返りとして奴等に関する情報をもらったからな。それよりも故郷の方は大丈夫なのか?」
「大丈夫、とは言い切れません。急いで戻ろうとは思っています。実は以前から戦う準備は進めていたのです。ただやられるのを待つのは癪ですからね。本格的に対『不完全』の準備を進めていこうと思います。これからは直接、民を守らなければなりませんから」
ウェイルの故郷はすでに無い。
でもイレイズには懐かしい故郷と愛すべき民がいる。
イレイズの表情は、まさに王の顔だった。
『不完全』と敵対する覚悟を決めた王の顔。
それがウェイルにはひたすら眩しく見え、そして羨ましいと思えた。
「そうか。頑張れよ」
「はい。ではそろそろ行きます。不法侵入には変わりないですからね」
「サラー、またね!」
「……うん……」
フレスとサラーは並び立ち、互いに視線を交わした。
フレスの優しい笑顔に、サラーの顔は照れて赤くなっている。
「行きますよ、サラー」
サラーは隠してあった翼を広げると、イレイズの手を取り、ふわりと宙に浮いた。
二人はこちらを一瞥した後、目にも留まらぬ速さで空を翔け、その赤い翼はあっという間に空へと溶け込んでいった。
「イレイズさん達、何とかなるといいね」
「そうだな」
イレイズ達を見送り、一息つくかのように空を仰ごうとしたその時、屋上の扉がバタンと勢いよく開いた。
そこにいたのは、何かの封書を抱えたサグマール。
ここまで上がってくるのに用いた重力杖をつきながら、ドスドスと歩いてやってきた
「おい、ウェイル、探したぞ。いつまでここにいるつもりだ?」
「用も済んだし、今から降りるつもりだったよ。どうしたんだ? わざわざ屋上まで俺を探しにくるだなんて珍しいじゃないか」
「お前さん宛てに鑑定依頼が届いているのだよ」
「そんなもの、後からでもいいだろうに」
「そうしたいのは山々だが、どうも大至急来て欲しいとのことでな」
「大至急? 大袈裟だな」
「それが大袈裟でもないんだ。鑑定品が鑑定品だけにな。どうしてお前にばかりこんな大物の依頼が来るんだ? 仲介をするワシの身にもなれ」
「一体誰からの依頼品なんだ? それに大物って、どれほどの芸術品だよ」
「自分で見た方が早い」
サグマールはポイッと封書をウェイルへと投げ渡す。
「扱いが雑すぎやしないか?」
「いいからさっさと中を見てみろ」
「……ああ、なるほどな」
封書の中身を見て納得した。
確かにこの度の鑑定依頼品は並みの鑑定品なんかではなさそうだ。
何せその作品とは、ウェイルもよく知る作品群であったのだから。
もっとも、この作品群を知らぬ者の方が少ないと断言できるほどのビッグネームであるが。
「断れんぞ、こいつは」
「……ああ。断るつもりでいたが、止めておこう。俺も興味がある」
正直に言えば、ここ数日は色々と事件がありすぎて、身体だけでなく精神的にも疲労が蓄積されていた。
だから少しの間休暇でも取ろうかと考えていたところだった。
しかし鑑定依頼を送ってきた相手や作品のことを考えれば、休暇でのんびりなんて到底無理な話である。
「鑑定依頼が来たの!?」
「ああ」
更に言えば、鑑定依頼と聞いて目を輝かせている隣の弟子の、やる気満々オーラを前にして、断るという選択肢はなさそうだ。
「やったね! 早速行こうよ! ウェイル!!」
そう言ってウェイルの腕に抱き付いてくる。
勘弁してくれ、と心の中で呟くものの、その無邪気な笑顔を見ているうちに、自然とウェイルにも笑顔が浮かんできていた。
「判った判った。準備してすぐに出発だ」
「うん! 楽しみだね!」
フレスは、腕をグイグイ引っ張ってくる。
「おいおいフレス、そんなに引っ張るな!」
「だって、早くウェイルと旅がしたいんだもん!」
今のやり取りを見守っていたサグマールは、とうとう堪え切れずプッと吹き出した。
「ガハハハハ!! ウェイル、お前さんは本当に変わったよなぁ!!」
暗くて冷徹。『不完全』への復讐の為だけに生きてきた男。
それが周りから見た今までのウェイルの印象だった。
だが今のウェイルにそんな印象を抱く者はいないだろう。
「……少しは変わったのかもな」
「おや、自覚しているのか」
「まあな。主にこいつのおかげでな」
「ボクのおかげ?」
ウェイル自身も自分は変わった――いや、変えてもらったと自覚している。
「ボク、何もしてないと思うけど?」
「そんなことはない。お前は俺の弟子になってくれただろ?」
そんな今の自分自身のことを、案外悪くないと思っていた。
「うん! ずっとお手伝いするよ!!」
「フレスはプロ鑑定士になりたいんだったな。厳しく指導してやる」
「お願いします、師匠!」
「おい、走るな、引っ張るな!?」
フレスはウェイルの腕を抱くと、扉へと走り出した。
ウェイルも満更でもなさそうな顔をしてついていく。
そんな様子を見たサグマールは、大きな声で笑って見送ってくれた。
「お前達、本当に良いコンビだな! 羨ましいよ!」
サグマールがそんなことを叫ぶ。
サグマールの声を聞き、二人は顔を見合わせ、そして互いに笑い、頷きあった。
龍と鑑定士、二人の長い旅は、まだ始まったばかりだ。




