新たな世界へ
フェルタクスの上で眠るアイリーンを見て、メルフィナは少々高揚していた。
「アイリーンお姉ちゃんは天才だからね。生まれる時代が時代なら、例えば現代に生まれていれば、現アレクアテナ大陸内で最高の評価を得ていてもおかしくないほどの才能だったよ! ただ一つだけ不幸なことがあった。それは天才を遥かに凌駕する歴史的超天才が、同じ時代にいた。それだけだったんだ」
アレクアテナ大陸に住まうものであれば、誰もが知っている大音楽家『ゴルディア』。
その血を継ぐ稀代の天才ライラさえいなければ、音楽界はアイリーンの天下独壇場だったはずだ。
「そんな天才が、嫉妬という醜い感情と身体だけを残してここにいる。そんなお姉ちゃんに今、魂が戻れば一体どうなるか、そりゃ勿論ピアノを弾くんじゃないかな?」
ピアノに生き、ピアノに狂い、ピアノで世界と決別した女、アイリーン。
そんなアイリーンに再び命の灯が点るというのであれば、彼女はピアノを狂ったように弾き出すに違いない。
「それほどなのか、あの女は……!!」
石像のように動かぬアイリーンの迫力に、イドゥは唾を飲み込んだ。
「だからピアノについては大丈夫! 後は制御に必要な龍と『アテナ』だけだね」
「うむ」と、イドゥが頷いた時である。
「ただいまー! メルフィナー! サラー、つかまえたー!!」
意気揚々と、朗らかな笑顔で部屋に入ってきたのはティアだった。
その背後には光のリングで封印した炎の龍の姿がある。
「サラマンドラを捕獲したか」
「うん! でもあの男の方は逃げちゃった」
「ルシャブテが監視していたはずだが?」
「ティアが部屋に入ったら、どこか遊びに行っちゃったよ?」
「あの馬鹿、言いつけを守らなかったな」
「別にいいじゃない? もうルシャブテの役割も終わったわけだしさ。自由にさせてあげようよ。そういえば他のメンバーはどうなってるの?」
「……さてな」
イドゥはぶっきらぼうにしらをきった。
だがイドゥのピアスが光り輝いていたところを、メルフィナは見ている。
もうその答えを知っているはずだ。
「教えてよ」
「…………」
メルフィナは、イドゥの言葉を待つ。
「……龍と『アテナ』の術者、そして鑑定士達は、すでに王宮前まで来ているようだ」
「……なるほど。……寂しくなったね」
ウェイル達の足止めは、ことごとく失敗に終わったようだ。
それが意味する答えは、声に出さなくとも理解している。
「……そうだな。だが新たな世界が始まれば、皆ともまた会えることだろう」
「そうだといいなぁ……」
仮面の端から涙が伝う。
全てを捨て去る覚悟で、このフェルタリアへやってきた。
そのつもりだった。けれども、悲しい気持ちが溢れて止まらない。
自分でもびっくりしていた。
まだこんな人間的な感情が、自分にも残っていただなんて。
故郷を捨てた瞬間から、こんな感情はなくなっていたと思っていたから。
「……新しい世界は、きっと楽しい。憎しみも悲しみもない、もっと混沌とした世界。人間でなくて、天使と悪魔が統べる世界になる!」
――改めて、僕はフェルタクスを見上げた。
こいつが全ての終焉にして邂逅への鍵。
望む世界を手に入れるため、これから僕は、全てを捨て去る。
たとえ今の世界がどうなろうとも、新たな世界が全てを包んでくれる。
時は来た。
―― アレクアテナの歴史の、エピローグを始めよう ――
「さあ、全てを手に入れよう!! アレクアテナ大陸の最後を飾るパーティの始まりだ!! ティア、残りの龍達をここに連れてきて! 僕はここで、パーティの準備をしているから!」
「ティアにお任せ!」
「イドゥ、『全ての龍を手に入れる』。計画通りお願いね?」
「……承知した」
イドゥは気づかれぬように、ティアの方をちらりと見た。
そう計画には『全ての龍』が必要なのだ。
それがたとえこちら側の者であろうとも。
「ここは任せるぞ、リーダー」
イドゥはメルフィナのことを、敢えてリーダーと、そう呼んだ。
イドゥの『祖先の記憶の箱舟』からは、もう何の情報も入ってこない。
それは世界が新たな秩序に生まれ変わり、神器が反応しなくなったか、はたまた自分が死んだのか。
それがどちらなのかは判らない。
――だが、一つだけ言えることがある。
それは、二日以内には確実に決着がついているということ。
「さて、我が息子達の仇を取りに行こう。ティア譲ちゃん、行くぞ」
「うん! 次はフレスかな? それともミルかな? どっちがいいかなぁ!?」
イドゥは静かな怒りを胸に、ティアは躍動する期待を胸にして、書斎を後にした。
メルフィナは、一人フェルタクスのピアノ鍵盤前で、手に入れたカラーコインをコントロールパネルに設置していた。
「これで良しっと。後はパーティの開始を待つだけだね」
そう呟いて、メルフィナは静かに動かぬアイリーンへと向き直る。
「パーティでは会場を盛り上げてよね? お願いだよ――アイリーンお姉ちゃん……!!」
メルフィナは愛おしげに、時の流れから弾き出されたアイリーンの肩を抱きしめたのだった。




