神の詩
「ウェイル殿、行きましょう」
「……外が騒がしいとは思っていましたが、凄まじい状況になっていますね……」
フェルタリア王よりウェイルの保護を任されたシュラディンが、彼の部屋を訪れると、何故かウェイルはすでに身支度を終えていた。
あまりにも準備が良すぎることに驚き、その理由を尋ねる。
「どうして身支度を?」
「凄まじい音と、窓の外に広がった氷を見て、テロかクーデターでも発生したのだと理解していました。身の安全を考えたら、こうするのがベストだと思いまして」
「……流石ですな」
聡明さもここまで行けば天性の才。
脱出ルートも、ウェイルの知る王族専用ルートを使い、すぐさま外に出ることが出来た。
「何が起こったのです?」
「ウェイル殿。……いや、これからはウェイルと呼ばせてもらう。詳しい話は後にするが、このもはやフェルタリアは滅びる道しか残されていない。だから今すぐにフェルタリアから脱出する」
「なに!? 民を残して逃げるのですか!?」
「これは陛下の命令だ。民は自分に任せろと、そう仰せられた」
「父上は無事なのですか……?」
「……判りませぬ」
聡明なウェイルだ。この意味は理解しているはず。
「僕はこの先どうなる?」
「フェルタリアを出て、ワシと暮らす。いつかウェイル、君がこのフェルタリアを再建せねばならん。それが陛下の最後の望みだ」
「最後、か。……突然の話すぎて、全てが全て信じられない」
「とにかく今は逃げることが優先だ。無事逃げ切れた時、全てを明かそう」
王宮から逃げ出して三十分後。
二人がフェルタリアの巨大な城壁を越え、近くの山中に入った時だった。
――フェルタリア全土に響き渡る、美しい音色が響き始めた。
稀代の天才ライラが、大親友フレスと共に書き上げた、それは神の魔力を呼び起こす賛美歌。
いや、フェルタリアという都市の最後を見送る鎮魂歌とでも言うべきか。
「何だ、この曲……!? 今までに聞いたこともないほど、素晴らしい旋律……!!」
『三種の神器』である『異次元反響砲フェルタクス』を使って、アイリーンの奏でる最後の演奏が、ついに始まった。
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――
「――さあ! 始めちゃって、お姉ちゃん!! アーッハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ!!!!」
高笑いをあげながら、メルフィナは天にも昇るような気分に酔いしれていた。
全ての神器の頂点が、今ここに発動する。
フェルタクスの魔力は、世界を混沌へと導く鍵。
新しい世界の幕開けに、心が躍らずにはいられない!
メルフィナに命令されて、虚ろな目で鍵盤を叩き始めたアイリーン。
その曲を演奏し終わった時、世界は今よりずっと面白いことになる。
「流石は天才ライラ。欠けていたはずの曲が、完全に復元しているじゃない! アイリーンお姉ちゃんとは違って、本当の天才だったんだね!」
ライラが復元した神の詩は、完璧にフェルタクスをコントロールしていた。
魔力が底知れず溢れていくのが、肉眼でもはっきり見えるほどだ。
「このまま、このまま世界を変えちゃってよ、アイリーンお姉ちゃん!!」
アイリーンは黙々と鍵盤を叩き付けて、演奏は激しさを増していく。
強く叩きすぎて、彼女のスラリとした白い指も血で紅く滲んでいるが、それでもアイリーンは一切演奏を止めることはない。
だが、ここに来てメルフィナはある異変に気づく。
「……あれ? フェルタクスが次の段階に移行しない……?」
演奏が始まっておよそ二分。
文献通りならば、そろそろフェルタクスの形が変形し、美しい砲台が姿を現し始めるはずだ。
「……何かおかしい。……もしかしてお父様が何かしたのかな……?」
すぐさま演奏するアイリーンの側へと駆け寄った。
――そして見つけた。
不自然に開いた、何かを埋めるスロットの様な穴。
「あちゃー、してやられちゃったなぁ……。ちょっとお父様を侮りすぎたね」
先程わざと逃がした時、そこを埋める何かを持ち去られていたことに、今更になって気づく。
「てことは、このままだとこの膨大な魔力が暴走しちゃうってことか。なーんだ、お父様の言う通りになっちゃったね」
一度始まった演奏は、もう止まらない。
今無理矢理アイリーンを殺して止めたとしても、この集まってしまった魔力については手の施しようがない。もはや手遅れだ。
ニーズヘッグに相殺を頼もうかとも思ったけれど、これほどの魔力の相殺はいくら龍であっても不可能だろう。
「このままでは間違いなく、フェルタクスが暴走しちゃうね。まあ、一番の目的は達したし、これも予想済みだけどさ」
こうなった以上、やる事は一つ。
「ニーちゃん! いこっか! 逃げるよー!」
そんなセリフと共に爆発音が響く。
隠し部屋の壁が粉砕されて、外が一望できるようになった。
そこに現れた龍の姿のニーズヘッグ。
「さっさと逃げるよ~」
『……アイリーンは……?』
「ああ、お姉ちゃんはもうダメだよ。すでに心が壊れちゃっているからさ。用済みだから捨てていく」
『判ったの』
「急いでね? 多分残り五分くらいしか時間がないから」
『大丈夫なの。早く行くの』
夜のフェルタリアに、三度暗黒の翼が広がる。
だがフェルタリアの住民達は、響き渡る甘美な神の詩に酔いしれて、誰も龍の姿など気にも止めてはいなかった。




