鋼鉄の処女―アイアン・メイデン―
「ニーズヘッグ! どうしてこんな事をしてるの!?」
「……目的があるの。……それに、これは全部フレスの為。さぁ、そいつと離れて。一緒にいくの」
「ボクの為!? ボクの為に、ボクらを攻撃するの!?」
ニーズヘッグは瘴気は放出し続けている。
より濃く、より深い闇を纏って、ニーズヘッグはフレスに手を向けてきた。
「もう止めなよ! 一体ボクらが何をしたの!?」
「フレスは何もしていない。したのは、そこの人間」
「ライラだって何もしてないよ!!」
「いいや、親友を奪った。フレスは私だけの親友なの……!!」
「ニーちゃん、何を言ってるの!?」
「その呼び方、嬉しいの……。やっぱりフレスは親友なの」
「ボクだって君とは友達だと思ってる! なのにどうして!?」
氷の力を強くして、激しい瘴気に耐え続けるフレス。
ニーズヘッグにいくら静止を呼び掛けても、よく分からない返事ばかりで一向に魔力を緩めてくれない。
「何度も言ってるの。そこの娘が、私からフレスを奪っている! もう親友を奪われるのは嫌なの!!」
ニーズヘッグの語尾が強くなり、そのに比例して、瘴気の力も強くなっていく。
「おかしいよ、ニーちゃん! 君は少しおかしくなってる!」
「……多分、そうだと、思うの……。自分でも、判ってる……!!」
「……なら止めなよ! ボクはニーちゃんのこと、大切なお友達だと思ってる! そしてライラもボクの親友なんだ! 初めて出来た、人間の親友なんだ!」
「……人間……!!」
その一言で、ニーズヘッグの雰囲気が変わったように思えた。
一瞬に、ニーズヘッグの魔力が霧散した。同時にフレスも魔力の放出を止める。
「……ニーズヘッグ……?」
様子がおかしい。
ニーズヘッグの身体が、小刻みに震えているのが目に取れた。
数秒の沈黙の後、ニーズヘッグが口を開く。
「……騙されてるの……」
「……え……?」
「フレスは騙されてるの。相手は人間。信じられるわけがない!」
「確かにボクだって最初はそう思ってたさ! でも!」
「フレスは騙されてるの!! あの人間はフレスをまた騙して、利用し、酷いことをするつもりなの!」
急に大きな声で叫んだかと思うと、今度は先程よりも濃い瘴気がニーズヘッグの周囲を渦巻き始めた。
「あの人間からフレスを取り戻す。人間に毒されてはいけないの!」
ニーズヘッグの目は、すでに龍の瞳になっていた。
彼女の言いたいことは判る。
フレスもニーズヘッグも、過去に人間から酷い目に遭わされた。
だけど、人間の全てが醜く残酷なものでないことは、フレスはこのフェルタリアでよく学んだ。
「ボクは毒されてなんかいない。ライラはボクの親友なんだ。もし君がライラを傷つけようとするならば、ボクは君を許さない」
「……てんでお話にならないの……。大丈夫、フレスは絶対に助けるから。フレスを絶対連れて帰るの!」
呆れた目をこちらへ向けてくる辺り、もう説得は不可能だろう。
フレスも冷気を纏い始める。
「全部、飲み込んであげるの……!!」
「こっちこそ、全部凍てつかせてあげるから!!」
二体の龍は練り上げた魔力を同時に放出し、今度は少し大きめな爆発が起きた。
――●○●○●○――
「フレス、シュラディンおじさん……!!」
戦闘に慣れているはずもないライラは、どうして良いのか判らず、フレスの近くで腰を抜かしてペタリと座っていた。
そこへやってくる一人の女。
「アハハハハハハハ!! ああ、この時をどれほど待ち望んだことかしら! 私から全てを奪い去った糞ビッチ娘を、この手でぶち殺す至高の瞬間を!!」
高笑いをあげながら、右手にレイピアを持ったアイリーンがライラを見下していた。
「ごきげんよう、ライラさん? 調子はいかがかしら?」
「……また君なの、アイリーンさん?」
「ええ。私は貴方を殺すためにここへやってきたのですもの。貴方は罪深き咎人。貴族であるこの私の品位を貶め、我が家の名前に糞を塗りつけた不届き者。死罪では生ぬるい程の罪状よ? 楽に死ねるとは思わない事ね?」
「勝手な言い分だ。ボクの楽譜を奪っておいて、自分の実力不足でコンクールの優勝を逃し、ただの嫉妬でボク達を傷つけている。自分自身おかしいことをしていると気づかないの?」
「おかしい? 全く、口の利き方がなっていませんわね。貴族の言うことは全て正しい。つまり私が正しいと思い行動したことは、全て正義になるのです。その辺、よく理解なさった方がよろしいわ。これだから平民なんかと会話したくないの。馬鹿が移ってしまいますもの」
「馬鹿っていうのは、君の事を指す言葉だね。馬鹿の見本としてよく覚えておいてあげる。いいからもうボクらの前から消えて。そしてもう二度とボクらの前に姿を現さないで。でないと、ボク、君のこと一生許さないから」
「あらら、口ではそんな強気な事を言っても、身体は正直ですわね。震えていますわよ」
正直こうやって会話をしているだけでも、ライラの口はカラッカラに渇いている。
背後では壮絶なる魔力のぶつかり合いが行われ、自分にはレイピアが向けられているのだ。
今までの人生で一番勇気を奮って、アイリーンと会話をしていた。
「腰が抜けて立てないのでしょう?」
「そ、そんなこと!」
「丁度良いわ。少しずつ切り刻むのにはね」
「――ひっ……!!」
ヒュンッと振られたレイピアが風を切る。
切っ先がかすめそうになり、ライラは思わず目を瞑った。
「あらあら、良い表情ですわぁ……! ゾクゾクします」
「もう止めてよ! 早く消えて!」
「それは出来ない注文です。何なら後ろのお友達に助けを求めたらどうかしら? もっとも今はとっても忙しくて、貴方に構っている余裕などないでしょうけど」
フレスはニーズヘッグとの戦いでライラに構う余裕などない。
自分自身を守る武器もなく、腰も抜けたまま。
絶体絶命とはまさにこのことだと、ライラはサーッと冷えていく身体で理解していた。
「まずはその耳から切り落としてあげる!」
アイリーンがレイピアを振りかざした、その時。
ライラを庇うように、シュラディンが立ち塞がると、アイリーンのレイピアを氷の剣で受け止めた。
「――シュラディン!」
「怖い目に遭わせて申し訳ない、ライラ嬢ちゃん!」
ニッと笑顔を向けてライラを安心させる。
「あらあら、またもお邪魔が入ってしまいましたね。メルフィナってば、私を置いて先に行っちゃうだなんて、レディに対して失礼だわ。まだまだお子様なのね。私の華麗なる殺戮ショーを見ていけば良かったですのに」
「殺戮ショー? 残念ながらそれは開催中止だ。代わりに行われるのは、君に対しての裁判だ」
「私の裁判? それは面白いことを言う殿方ね」
アイリーンは、貴族のたしなみとして護身術を学んでいる。
そのため彼女の剣捌きは、下手な兵士よりも筋が良い。
シュラディンは兵士ではなく鑑定士だ。
無論鑑定士たる者、武術の嗜みはあるが、戦いが本業というわけではない。
アイリーンに対して有利な立ち回りが出来るとは言いがたい。
お互いの剣が何度もぶつかり合って、その度に火花の代わりに砕けた氷の破片が飛ぶ。
「中々やりますわね。でもそろそろ終わりにしましょうか」
一度距離を取ったアイリーン。
そこでアイリーンが取り出したのは、鋼色の仮面。
「そちらばかり神器を使うのは卑怯でしょう? 私もメルフィナから一つ貰ったのですよ。この前壊された神器の代わりに、この仮面をね」
「仮面型神器か……!! 厄介な代物を……!!」
「これで対等ね」
アイリーンは重苦しい雰囲気を放つ仮面を、その顔にそっと付けた。
その刹那、魔力反応の光が発生したかと思うと、彼女の身体は銀色の甲冑に包まれていく。
「メルフィナはこの仮面を『鋼鉄の十字軍』と呼んでいましたわね。でもそんな名前は私の趣味ではありません。そうね、私が名前を付けるとしたら、こうかしら――『鋼鉄の処女』!! あら、私にぴったりじゃない!」
『鋼鉄の処女』によって甲冑を身に着けたアイリーンは、元々持っていたレイピアを左手に、甲冑から伸びた槍を右手に持ち、二刀流のように構えた。




