掃除のお手伝い
あれから数時間。
アイリーンは、絶望にうちひしがれていた。
「どうして、どうして私ばかりがこんな酷い目に遭うの……!? 私はただ、お父様の為に、ひいてはラグリーゼ家の為にしただけなのに……!!」
どうしてこんなことになったのか。
誰のせいでこんな事になったのか。
「そうよ、あの糞生意気な平民のせいだわ……!! ド底辺の平民のくせに、超一流貴族である私に刃向かうだなんて、絶対に許せない……!! この私より才能があるなんて、許されることではないわ……!! そうよ、許されることではないわ! この世界の宝である私が、この世界のゴミであるあんな娘に全てを奪われるだなんて!!」
すでにアイリーンの心は狂っていたのかも知れない。
ライラの作った曲を聴いたときから、自分には何か別の人格が取り憑いているのだ。
自分のしたことなんて、全て忘れてしまったかのようだった。
「あのゴミさえいなければ……! そうよ、ゴミは掃除しないといけませんわ! 私が、この私が掃除をしなければ! お父様がしないのであれば、ラグリーゼ家の娘としては当然の使命!」
ガバッと起き上がったアイリーン。
護身用に持ってきていたレイピアを抜いて、その刃先をうっとりと見つめた。
「箒が見当たらないのですもの。代わりにこれでいいかしらね……!! ウフフ……!」
すっとレイピアを鞘にしまう。
「殺してやる……!!」
そうアイリーンが呟いた時だった。
「――手伝いましょうか? お姉さん?」
唐突に聞こえてきた、未だ幼さの残る声。
「……誰ですの!?」
どこに隠れているのかと、アイリーンがキョロキョロと周囲を窺っていると、ギイィっと重々しく控室の扉が開いた。
「全部聞いちゃったよ、お姉さん」
「…………!?」
扉の外にいたのは、声からの推測した通りの少年である。
だが、あまりにも不気味さな雰囲気を放つ少年であったので、アイリーンは思わず息を呑み、距離をとった。
「酷いなぁ、傷ついちゃうよ、その態度。まだ十にもなっていない子供に対してさ」
「十にもなっていない子が、そんなに流暢に生意気さを醸し出しているんだもの。恐怖を覚えることくらい許してよね」
「恐怖を覚える事をしようとしていたお姉さんに、そんなこと言われたくはないよ」
「そう。聞いちゃったのね? まあ、一人も二人も一緒よね。聞かれた以上、お掃除しなきゃ」
アイリーンはレイピアを抜くと、素早く少年との距離を詰めた。
アイリーンは護身術として剣も扱えるように訓練されていた。
だからこんな小さな男の子を串刺しにすることなど、朝飯前であるはずなのだが。
「……えっ……?」
アイリーンのレイピアは空を切るだけ。
「ホント怖いお姉さんだよね、子供に剣を向けるなんてさ」
「今、一瞬にして消えたように見えたけど……。何をしたの……!?」
目の前にいたはずの少年は、一瞬にして姿を消して、今は自分の背後に立っている。
何がどうなったのかと解答を求めて彼の方へと振り向くと、今の今までの彼の姿とは少しばかり違う点が目に入った。
「何、その仮面? そういうのが趣味なの? 悪趣味よ?」
「だから悪趣味だなんて、お姉さんには言われたく無いってば。この仮面、神器なんだよね。だから剣を避けることが出来たの。あ、もう剣は振るわないでね。別にお姉さんのことを誰かに言うとか、そんな事をしにきたわけじゃないんだから」
「……じゃあ何しに来たの?」
「最初に言ったよね? 手伝いましょうかって」
「手伝う? 一体何を?」
「お姉さんがこれからしようとしていること。僕もちょっと興味あってさ。是非手伝わせてよ」
「貴方みたいな子供に一体何が出来る――」
「――こういうことが出来るよ」
アイリーンが喋り終わる前に、少年は懐に潜り込み、喉元にナイフを当てていた。
「これをズバッとやって終わり。ね? 手伝えそうじゃない?」
あまりにも異質で、そして未知なる神器を使う少年に、アイリーンは最初こそ恐怖を覚えていたが。
「……そうね。手伝ってもらえる? 私、ラグリーゼ家の娘として、ゴミを掃除しないといけないの」
「いいよ! 手伝う! ……でも、その代わりなんだけどね。ちょっと僕の用事にも付き合って欲しいんだ」
「貴方の用事? 何がしたいの?」
「今は内緒! そのうち判るからさ!」
少年はメルフィナと名乗った。
アイリーンは、その名前に何となく聞き覚えがあったが、今のアイリーンはライラの事しか頭にない。
ライラさえ掃除できるのならば、この少年が一体何者であろうとどうでも良かった。
キャハハというアイリーンの狂気の笑い声以外、シンと静まりかえったコンクール会場の廊下にて、メルフィナは、待機させていた少女と合流した。
「お待たせ!」
「もう、いい……の?」
「うん、もういいよ。彼女はいい感じに狂っちゃってるね」
「……私の力、使わなくていい……なの……?」
「そうだね。使わなくてもよくなっちゃったよ、ニーズヘッグ」
その一言で、ニーズヘッグは纏っていた瘴気を霧散させた。
「後は待つだけだね。僕があの神器を手に入れるまで……!!」
フェルタリアを巡る全ての物語の始まりは、この瞬間から始まった。




