天才ライラの演奏
「……はっ!? ボク、寝ちゃってた!?」
フレスが目を覚ましたのは、ピアノコンクールの日の夕方。
「もう夕方!? 寝過ぎちゃった!? ライラはどうなったの!?」
肩の毛布は、ライラが掛けてくれたものだろう。
そのライラ本人は、一体どこにいるのか。
家中探してみたが、ライラの姿はどこにもない。
「ライラ、ちゃんとピアノコンクールに行ったのかな……? そうだ、ボクの楽譜は!?」
急いでさっきまで寝ていた机の上を確認すると。
「あれれ!? ……な、ない……!! もしかしてライラが持って行った……!?」
書きかけの未完成で、素人丸出しの下手っぴなあの楽譜を、もしライラが持って行ったということになれば。
「あれ、まだ書いている途中なのに! ライラ!!」
フレスはその足で、すぐさまコンサート会場へと向かったのだった。
――●○●○●○――
ピアノコンクール会場の入口には、大勢の警備員。
そもそも入場券を忘れてきてしまったフレスは、当然ながら会場前で門前払いを喰らっていた。
「どうしよう、間に合わないかも……!!」
今から家に戻ると、時間的にライラの演奏には間に合わない。
「そうだ……」
フレスは急いで会場の裏側へと周る。
周囲を見渡しても、誰の気配もない。
日も落ちかけ、辺りは暗くなっているため、フレスの姿は目立たないはずだ。
「飛んで、上の窓から覗こう……!!」
翼を出すなんて久しぶりで緊張したが、無事に翼を出現させた。
翼をはためかせると、ふわりと身体は宙に浮く。
「ライラ、すぐに行くから……!!」
誰にも気づかれることもなく、フレスは会場三階の窓へと飛んで、こっそりと中を覗き込んだ。
「……あ! ライラだ!! ダメだよ! あの曲、まだ途中なのに!!」
そしてそれは偶然も、ライラの順番が回ってきた時であった。
――●○●○●○――
会場はすでにお開きムード。
最優秀賞はアイリーンで決定だと、誰もがそう結論づけている中、ライラの順番は回ってきた。
ライラが公のコンクールに出ることは初めてだ。
平民の中で、少しだけピアノが出来る田舎者。
会場にいる殆どの観客がそう思っていた。
ざわつく会場に、最後のアナウンスが入る。
『最後の演奏になります。演奏者は、ライラ=エマ・ゴルディア。曲名は――あ、あれ? 白紙?』
そのアナウンスを聞いて、会場がさらに騒然となった。
曲名欄が白紙であることもその理由の一つであったが、それよりも大きい理由が、
「え……? 今、ゴルディアって、そう言ったか……!?」
「ま、間違いなく、名前はゴルディアって……!!」
「偶然同じ名前なだけだろ!? あんな平民の子が、あのゴルディアと関係があるわけなんて!」
「だよな、そうに決まっている」
「だとしたら不憫だよな。あの天才音楽家のゴルディアと同じ名前だなんて、もし演奏が下手だったら失笑を買うぞ」
騒々しくなる会場。
ゴルディアという名前によって、期待と嘲笑のボルテージが高まっていき、演奏のハードルは上がっていく。
だがライラは、何一つ狼狽えることはなかった。
だって、そのざわつきは、次の一瞬には消えることを理解していたから。
(行くよ、フレス……!!)
――ライラが、静かに鍵盤を叩いた。
その瞬間、ライラの想像通り、ぴたりと喧噪が消え去った。
静寂が会場を支配し、誰もがライラの奏でる次の音を待った。
だがライラの放つ旋律は、会場を失望させる結果となる。
「な、なんなんだ、この曲は……!?」
「素人どころか赤子同然の曲じゃないか……!?」
「あの平民、このコンクールを馬鹿にしているのか!?」
「聞いてはおれん! 早く退場させろ!」
静寂の後、訪れたのはブーイングである。
「ら、ライラの奴、一体どうしたというのだ……?」
フェルタリア王も、突然の事に面食らっていた。
そう、ライラの奏でた冒頭の演奏は、フレスが作曲した部分であった。
幼稚で、それでいて無知識からくる音の羅列。
あまりにもこの場に相応しくない旋律に、会場全体から非難の声がライラに集中した。
しかし当のライラはというと、飛び交うヤジやブーイングなど一切無視して、ひたすらにフレスの曲を弾き続けた。
「ああ、ライラ、やっちゃった!」
窓から見守るフレスにも、緊張が止まらない。
フレスの懸念は少しずれたもので、ヤジやブーイングがどうこうというよりも、最後まで演奏できない事を心配するものであった。
「ど、どうしよう、ボクが途中で寝ちゃったから……!!」
何せこの曲は未完成。
演奏は、途中で必ず止まると知っていたから。
「もうすぐ、出来てる分が終わっちゃうよ!」
酷く幼稚な音の羅列が、ついに終わりを告げた。
ライラは一旦ここで手を止め、目を瞑る。
何事かと野次が一旦止まり、物音一つしない会場。
――次の瞬間、会場中はライラの才能に恐怖することになった。
ライラは目を瞑ったまま、驚くべき速度で鍵盤を叩き始めた。
適当になんかじゃない。それは素晴らしいメロディとなって、会場の観客の心へ届いていく。
――激しいが、優しい。
聞いていて心が休まり、それどころか歓喜の気持ちが沸き上がってくる、そんな旋律。
曲名も楽譜のないその曲は、全てライラの即興の演奏。
この世界で、たったの一度しか聞くことの出来ない、ライラの想いの詰まった曲。
(フレス。君のおかげで、ボクは幸せだ。君にだけ届いてくれたら、それだけでいい……!!)
聞く者を圧倒するほどの曲を即興でやり遂げる。
並の天才に、そんな事が真似出来るか。
――答えは、否。
このライラ=エマ・ゴルディアにしか許されない、真の天才たる証明。
時間いっぱい掛けた即興が終わる。
誰もが、この曲が終わることを惜しみ、演奏が終わった後も、会場は静けさに支配されていた。
「……流石だ」
フェルタリア王が、一人パチパチと拍手を送る。
その拍手で、皆演奏が終わったことを実感したのか、一気に拍手の渦が巻き起こった。
鳴り止まぬ拍手にも、ライラは一切興味を示さず、額の汗を拭うと、客席側に雑に頭を下げて舞台から降りていった。
彼女が姿を消した後も、しばらくの間拍手は鳴り止まなかった。




