痛み止めの薬
――フェルタリア・ピアノコンクール一週間前。
「う~ん……」
「ライラ、どうしたの? さっきからずっと唸り声あげてるけど」
「いいメロディラインが全然浮かんでこないんだよねぇ」
一度出場すると決めたピアノコンクール。
結果がどうなろうと、全力を出すと決めた。
だからライラは王宮に呼ばれた夜以降、作曲作業に没頭していた。
この日も、朝からずっと鍵盤を叩いてペンを走らせている。
そんな時、家の扉をコンコンと叩く音がした。
「フレス、出てくれる?」
「うん!」
トテトテと玄関まで走り、扉を開けた。
「どちら様!?」
「こんにちは、お嬢さん方」
扉の奥に立っていたのは、いつも王宮から二人の様子を見に来るおじさんだった。
ごつい身体で、こめかみに入れ墨を入れた強面であるが、妙に愛嬌のある優しいおじさんである。
「えーと、お名前は……忘れた!」
「多分、お嬢さんの方には名乗ってないかなぁ」
「フレス~、誰~?」
部屋の奥からライラの声。
「いつものおじさんだよ~!」
フレスが叫び返すと、ピアノの音が止み、そしてライラが現れた。
「ああ、おじさんか、いらっしゃい。今日も王のパシリご苦労様」
「相変わらず陛下には厳しいなぁ、ライラ嬢ちゃん。これ、いつものだよ」
「ん」
ハハハと苦笑しながら、おじさんは白い紙袋を取り出して、ライラに手渡した。
「どうだい? 調子は」
「まあまあかな。多分、コンクールは大丈夫」
「そうか。陛下の手前あまり言えないけど、無理しちゃいけないよ?」
「分かってるよ。でもボク、折角ならやり遂げたいから」
「ライラならミスなくばっちり演奏出来るよ! おじさんもそう思うでしょ?」
「え? ああ、そうだね。フレスちゃんの言うとおりだ」
ちらりとライラを見ると、彼女は首を縦に振った。
「え、えっと、フレスちゃん。ちょっとコンクールの事でライラ嬢ちゃんと話したいことがあるんだが」
「フレス、紅茶を入れてきてくれない?」
「紅茶!? いいよ! 葉っぱは適当でいい?」
「うん、お任せする」
フレスを台所へと追いやると、ライラはおじさんと共に外へ出た。
「ちょっと、急に言わないでよね――シュラディンさん」
「いや、まさかこのことをフレスちゃんに話していないとは思わなかったからなぁ」
強面のおじさん――シュラディンは、バツが悪そうに苦笑した。
「いいのかい? 薬のことを話さなくて」
シュラディンが手渡した白い紙袋には、痛み止め薬が入っていた。
「いいの。フレスはボクの親友。フレスには悲しんで欲しくないから」
「だがなぁ、ワシとしてはあまり無理をして欲しくはないのだ。その手の傷、まだ相当痛いんだろ?」
ライラの左手。
そこはフレスを解放された時に刺された傷跡がある。
「大丈夫だって。この痛み止めがあれば平気だよ」
「最近痛み止めを要求する回数が増えただろう? 手を酷使しすぎてるんじゃないか?」
「ピアニストが手を酷使するのは当たり前。もういいよ、この話は。ボクは大丈夫だから」
「そうは言ってもな……」
「くどい! このこと、フレスや王に喋ったら許さないからね!」
ライラは薬の入った紙袋を鷲掴みすると、家の中へ入っていった。
「あ、ライラ! 紅茶を淹れてきたよ!」
「じゃあ休憩にしようか!」
「あれ? あのおじさんは?」
「もう帰っちゃったよ! さ、お茶にしよ!」
「うん!」
賑やかな家の側で、シュラディンはしばし目を瞑り、二人の声を聞いていた。
(早くコンクールを終えて、手の治療に専念して欲しいものだ。しかし、本当に強い子だな……)
王からの期待、友達の罪。
その全てを背負い、一人ピアノの前に立つ少女を、シュラディンは何があっても守ると心に誓ったのだった。




