天才の奏でる旋律に
立食パーティーの余興として、ライラによるピアノの演奏が行われる。
ドレス姿で現れたライラの姿に、参加者の目は釘付けとなっていた。
王がお抱えのデザイナーに命じてコーディネートさせたドレスに身を包んだライラは、普段の茶目っ気のある雰囲気は完全に消え去り、金色の美しい髪を際立たせて気品を醸し出す、さながら王妃の様な姿であった。
「あれは誰だ?」
「どこかのお嬢様かしら?」
「少しツンとした表情もまた、可愛らしいですわ」
「王が招待した演奏者かな?」
誰もが口々にライラのことを噂していた。
誰の記憶にもない、その気高き姿は、貴族達の興味を一気にかっさらっていた。
そんなライラの姿を見て、腹立たしく思っている者がいる。
「お父様、誰ですの、あの方は……!?」
それは先程演奏を断れらた、ラグリーゼ侯爵の娘アイリーンである。
「王のお呼びしたピアノ演奏者……。王が一目置くほどの、平民の娘……。一体どれほどの実力者なのか」
「……平民の娘が、ピアノなんて弾けるのかしら……?」
「アイリーン。ピアノの実力に貴族も平民もない。王が評価するほどの娘だ。しっかり聞きなさい」
「お、お父様……、判りました……」
(ふ、ふん! どうせ大したことはないわ。私より優れている奏者なんて、このフェルタリアにいるはずもない……! そんな私のピアノより優先するなんて、許せないわ……!!)
未だ実力が未知数のライラに、静かな注目が集まった。
ライラはゆっくりと椅子に腰を掛けると、鍵盤の上にそっと指を置く。
――静寂がこの場を支配する中、くわっとライラの目が見開かれた。
ライラの指先が、ゆっくりとしなやかに、最初の鍵盤を叩く。
――その瞬間であった。
「「「――――――――――!?!?!?」」」
誰もが、一瞬息をすることを忘れた。
演奏が始まって、わずか十秒の出来事。
パリーンと、最初のガラスの割れる音が響き、それに続いて三カ所から、同じくガラスの割れる音が鳴り響く。
音の正体はワイングラスである。
手にしていたワイングラスを、演奏の迫力に圧倒されて、つい落としてしまっていたのだ。
しかし一同は、ガラスの音など全く耳には入らない。
この場にいる全員の耳は、ただひたすらに、貪るように、ライラの奏でる音を必死に耳に詰め込んでいた。
演奏から一分が過ぎた。
一人の視界が歪んでいた。
何故か溢れる涙に困惑しながらも、音の一つも逃さまいと、涙をぬぐうこともせずに立ち尽くしている。
――演奏はわずか三分で終わった。
だが、聞いていた者達の体感時間は、その十倍以上かも知れない。
演奏が終わったのにも関わらず、拍手することすら忘れていた。
誰もが放心状態だったのだ。
静まり返る会場に向かって、ライラはぺこりと頭を下げると、舞台裏へと降りていった。
「お、王……!? い、今の娘は……!? 本当に平民の娘なのですか……!?」
「ええ。その通り。私の一押しの娘です。いかがでしたか?」
「て、て……天才……ッ!! 天才だッ!! 天才と表現するのも足りぬほどの、神懸かり的な才能だ……!!」
ラグリーゼは、痛感した。
凡人では到底届きようのない世界が、ここにあったのだと。
今目の前で演奏した彼女は、間違いなくこの世界とは別の、異次元に住む天才なのだと。
そんな者が、今回のピアノコンクールに出る。
我が娘にとって、最大のライバルになるに違いない。
いや、ライバルと扱うことすら、彼女に対して失礼だ。おこがましいこと甚だしい。
――到底勝ち目などない。そう確信できるほどの演奏だった。
娘が負ける姿は親として見たくはないが、しかしその反面楽しみでもあったのだ。
なにせ今の演奏を、もう一度聴くことが出来るのだから。
ただそれだけのことが、無性に楽しみで仕方なかったのである。
ラグリーゼは、ちらりと娘のアイリーンを見る。
そのアイリーンも、今の演奏を聞いて唖然と突っ立っていた。
「お、お父様……!!」
「アイリーン……。今回のコンクールは――」
――諦めなさい。
そう告げようと思った矢先。
「――嫌!!」
「アイリーン!? 待ちなさい!」
アイリーンはラグリーゼを振り切って、そのまま会場を走って後にしたのだった。




