龍と鑑定士 ～ 絵から出てきた美少女は実はドラゴンで、鑑定士の弟子にしてくれと頼んでくるんだが ～

最終部 第十二章 運河都市ラインレピア編 後編『沈む都市と聖なる剣』

恐怖と悲鳴のお祭り騒ぎ

　フレスの活躍により、運河の氾濫は収まった。

　ラインレピア近郊には、押し寄せた津波が凍って、巨大な氷塊が山のように積み上がっている。

　このような奇妙な光景が噂を呼び、住民達を大きく混乱させていたが、この噂を聞いて安堵している二人が無事に合流していた。

「フレスの奴、ちゃんと氾濫を止めたみたいね。やるじゃない」

「ですね！　流石はフレスさんです！」

　運河の氾濫を食い止められたのだから、時計塔へ逃げ込む必要がなくなる。

　つまり『異端児』が企んでいた避難民を時計塔に集めるという作戦は失敗したということだ。

「アムステリアさん、これからどうします？」

「一応目の前の危機は乗り越えられたし、ウェイルと合流しようと思う……けど」

「けど……？」

　彼は今頃、中央地区の『時の時計塔』へ向かっているはず。

　時の時計塔こそ敵の本丸だろうし、計画の当初から、最後は全員時の時計塔へ集まる手筈となっている。　

　だからこそ持ってきた重力晶の原石。

　強く握りしめて魔力を込めれば、身体はたちまち宙へ浮かぶ。

　今すぐに中央地区へと向かい、ウェイルの援護をしなければならない。

　だがアムステリアには、少しだけ躊躇いがあった。

「この場を離れることが、果たして正解なのかしら……？」

　敵の作戦は避難民を利用して膨大な魔力を集めること。

　運河の氾濫が止まった今、一見それは失敗したかのように見える。

「……運河の氾濫だけじゃないわよね。住民を避難させる方法は……!!」

　奴らは強大な魔力を操る神器を持つ集団。

　一の矢が失敗することを考慮して、二の矢を用意しているはず。

　そう考えた時、遠くの空に新たに強い輝きが発生し、天に向かって光の柱が伸びていった。

「あれは音の時計塔……!?」

「え!?　何かあったんですか!?」

　視力のないイルアリルマは、何が起こったのか把握できていない。

　だが彼女には並外れた洞察力がある。推理は容易い。

「……もしかして、音の時計塔が発動してしまったのですか……？」

「……ええ。音の時計塔から光柱が伸びている……!!」

　空へと伸びる強力な光は、魔力光に違いない。

「一体どうして!?　どうやって魔力を供給したというのですか!?　運河を氾濫させなければ魔力は供給できないはずですよ!?」

「何も運河の氾濫だけが住民を避難させる方法じゃないわ。避難させるだけなら、神器を使えばいくらでも方法はある。一体何をしたのかは判らないけど……！」

　そしてアムステリアは、自分達の目の前にある、火の時計塔を見た。

　時の時計塔とここ以外は全て発動している。

　なんとしてもここは死守せねばならない。

「リル、私の肩に乗りなさい」

「え!?　一体どうして……!?」

　アムステリアは彼女の手を引っ張ると、自らの肩に手を置かせた。

「早く！　正直に言うけど、目の見えない貴方ではこれから来る何らかの脅威に対して、急な対応は出来ない！　役割を分担しましょう。私は貴方の目となり足となる。だから貴方は聴覚と察(・)覚(・)で周囲を探りなさい！」

「わ、判りました！」

　音の時計塔までもが発動した。

　先程までイルアリルマは音の時計塔の近くにいたのだ。

　つまりイルアリルマが時計塔から離れた後、何らかの事件が起きたということ。

　敵の狙いは全時計塔の発動なのだから、この火の時計塔にも何かしてくるのは必然。

　視力のないイルアリルマは、どうしても行動がワンテンポ以上遅れる。

　だからアムステリアの指示は最善と言えた。

　イルアリルマを肩に乗せたアムステリアは、常人離れしたスピードで走り出した。

「周囲をしっかり探ってちょうだい。何か怪しい音や雰囲気があればすぐに教えて！」

「はい！」

　ハーフエルフのイルアリルマは、類稀なる察覚を持っている。

　人間の視力よりも、広大な範囲を探ることが可能だ。

　それにイルアリルマの武器はそれだけじゃない。

　常人を遥かに超える聴覚をも持ち合わせている。

　――そしてこの二つの感覚が、異変を捉えた。

「――っ!?　凄い数の足音と気配がこちらに来ます!!」

　軽く百を超える数の気配が、こちらへ一気に向かってきた。

　段々と強く聞こえてくる、おぞましい悲鳴の数々。

　イルアリルマの聴覚が捉えた悲鳴の連鎖は、この辺り一帯から聞こえていた。

「なるほど、こうやったのね……!!」

　イルアリルマの視線の先には、多くの逃げ惑う都市民達。

　本来お祭り騒ぎをしているはずのこの場所は、お祭り騒ぎ以上の騒々しさと、そして恐怖で溢れていた。

「はっ……!!」

　アムステリアは気合を入れて、近くの民家の屋根へジャンプする。

　そのまま次々に屋根を伝って飛び移っていく。

　周辺を見渡せる建物の屋根まで来たところで、アムステリアは様子を窺った。

「何事なの、これは……!!」

「何が見えたんですか!?」

「避難民は一方向からだけじゃないわね……!!　色んな方向から流れてきている！」

　上から見れば人の流れが一目瞭然だった。

　火の時計塔を中心に、そこへ向かって四方八方から住民達が避難してきている。

「一体、何があったっての……!?」

「アムステリアさん、なんだか変な臭いしませんか？」

「……ええ、さっきからずっと気になっていたわ……!!」

　ツンと鼻を突く刺激臭。

　あちらこちらから上がる煙と何か関係しているのだろか。

「火事かしら……？」

　人々は皆この火事から逃げているのか。

　火の時計塔というくらいだから火が必要なのだろうし、火を操る神器を持つ敵がいてもおかしくはない。

「リル。この殺気、発生源は何処から？」

「……すみません、恐怖をはじめとして強い感情がそこら中から発されていますので、殺気だけを見つけるのは難しいです……」

「でしょうね、この様子だと……」

　そうアムステリアが返した時だった。

「――テリアさん!!　三時の方向、距離、……およそ50メートル!!」

「言われなくても、こんなに強い殺気だもの。気づいたわ!!」

　瞬時にアムステリアは走り出していた。

　逃げ惑う人々とは逆の方向を、屋根の上を伝って――

「――えっ……!?」

　一瞬、アムステリアは足を踏み外したかと思った。

　たった今飛び移った屋根の高さが、飛び移る前の高さと違ったからだ。

「家が崩れている……!?」

　周囲を強い刺激臭が包む。

　すぐさまアムステリアは、崩れ行く屋根を強く蹴り、地面へと逃げた。

　建物全体から刺激臭と煙が上がる。

　そして地面に降り立ったアムステリアの前に現れた、殺気の主。

　その姿に、アムステリアには見覚えがある。

「……あら、もしかしてこの騒ぎの犯人は貴方かしら？」

　シュウシュウと音を立てて、建物が崩れ――溶けていく。

「騒ぎの犯人？　うん、私」

　緑色の泡の立つ右手をブンと振うと、その下からはスラリと長い、白い腕が姿を現す。

　騒ぎの主だと自白したのは、白い髪をしたゴスロリファッションの女の子だった。