運河氾濫
ティアとの空中戦に敗れ、重力が満身創痍の身体を地面に叩きつけようとした寸前で、フレスはハッと意識を取り戻した。
フレスの蒼い翼は傷つき、飛行には適さないほどの損傷を受けていたので、すぐさま魔力を翼に集中して修復し、再び宙へと舞い戻った。
「はぁ、はぁ、……ボク、失敗、しちゃった……!!」
強烈な疲労感が全身を襲い、身体中から汗が噴き出てくる。
「……悔しいなぁ……!!」
ティアと自分とでは、大きい実力差があったとはいえ、今の自分が不甲斐なくて情けない。
ただそれを悔やむ時間も反省する時間も、フレスには残されていなかった。
今は自分の出来ることを精一杯やるだけだと、フレスは再び気を引き締める。
「……でも、予定通りかな……」
実のところ、フレスがティアに負ける場合について、ある意味予定通りの展開であった。
勿論フレスがティアに勝利し、彼女を止めることが一番望ましい結果ではあったものの、そうならない場合にこともすでに想定済みで、その場合の計画も立てている。
だからこそ今の状況でもフレスは冷静でいられるのだが、悔しいものはやっぱり悔しい。
そんな中鳴り響いてくる轟音は、フレスをさらに冷静にさせた。
「この音……!! 水の音だ……!! 運河が氾濫するんだね……!!」
この光り輝く時計塔を見れば、すでにここは発動してしまったのだろう。
つまりもう手遅れだ。
だが、これからラインレピアを襲うであろう運河の氾濫については、フレスはまだ手を講じることが出来る。
「よし、翼もまだ大丈夫……!!」
翼の様子を見てみる。
多少癒したとはいえ傷は深いし、飛行の妨げにはなるだろうが、飛べないことはない。
「次こそは……!!」
必ず成功して見せる。
そう心に誓い、フレスは轟音のする方へ飛んで行った。
――●○●○●○――
運河都市ラインレピアには、その名の通り大きな運河がある。
その運河の水源は、近くにある山の溜池の水だ。
その水量は、アレクアテナ大陸最大の湖である『クルクス湖』の、およそ三分の一にもなる。
つまり、膨大な水の量がそこへ溜められているのである。
この豊富な水資源のおかげで、運河は運営されているのである。
――そして、ついに運河の氾濫が始まった。
巨大な溜池が破壊され、行き場を失った水は、運河を伝ってラインレピアへ襲い来る。
その最初の余波が、ついにやってきた。
溜池から最も近い場所にあるのが、ここ水の時計塔だ。
ダンケルクは輝く巨大な光の槍を窓から見守っていて、事の次第をおおよそ把握していた。
「さあ、最高の歌劇の始まりだ……! 俺を存分に楽しませてくれよ……?」
暴れる水の轟音に、住民達も異変に気が付き、危機を知る。
危機によってもたらされた人の音は、悲鳴や警告、怒号や嗚咽となって、この時計塔周辺を包んでいく。
「最初に避難者が現れたか。ここには別に来なくていいのに」
水の時計塔の発動条件は名の通り『水』。
他の時計塔は人間の魔力を用いて炎や音を増幅するのだが、ここには大量の水が流れ込む以上、人間は必要ないのである。つまり避難者がここへ来たところで、『異端児』達にとって意味はない。
「まあ保険は大切だな。一応確保しておくか」
有能な後輩が、これからどんな手を打ってくるか判らない。
ならば保険は掛けておいて損はない。掛け金はゼロなのだから。
次々と避難してくる住人らに向かって、ダンケルクは叫んだ。
「皆さん、時計塔の中なら安心です! 後から避難して来た方々も入れるよう、奥へ詰めてくださいね! 大丈夫です! 必ずや時計塔が、皆さんの命を守ってくれるはずですから!」
その声に、避難してきた一同は安堵の表情を浮かべる。
なにせ『守ってくれるはずですから』というセリフの本当の意味を、彼らは知らないのだから。
――●○●○●○――
「立ち入り禁止って、一体どういうことなんだ!?」
「早く入れなさい! 運河が氾濫してるっていうじゃない!!」
炎の時計塔、音の時計塔共に、アムステリアとイルアリルマによって、立ち入り禁止の状態にしていた。
爆発事故が起こったからという名目で治安局にも介入させ、誰もこの時計塔の犠牲にならぬように、扉に固く鍵を掛けていたのだ。
「フレスの奴、しくじったね……!!」
アムステリアは次々と流れてくる、今はまだ少量の水を恨めしそうに眺めていた。
「まだ被害は少ないし皆大したことないと思っているけど……。いや、そうでもないか」
溜池が崩壊したという情報は、すぐさまラインレピア全地区へ伝わるだろう。
集中祝福週間というお祭り騒ぎが、噂の流布をさらに早める結果になりそうだ。
事実、時計塔へ避難しようする住人達が殺到し、扉の前は大混乱となっている。
今はまだ治安局が抑えているので、大した暴動は起きてないが、それも時間の問題だ。
それにもしフレスがこの先もしくじって、本格的な洪水を許してしまったのなら、どっちみちどこかへ避難しなければ住人達の命はない。
「こうなったら時計塔内の神器を探し出して破壊するしかない」
何処に仕掛けてあるか判らぬ上、それを探すために時間が勿体なかったため、小規模な爆発を起こして治安局を呼び、現場を封鎖するという手段を取った。
結果としてそれは非常に上手くいったが、この先のシナリオを考えれば、治安局が住民を抑えつけるのは不可能だ。
いずれ封鎖は突破され、時計塔内に住民が押し寄せる。
「……今はまだ状況を窺うしかなさそうね……。フレス、本当に頼んだわよ……!!」
願うしかない。フレスがこの洪水を止めてくれることを。
「フレスさん……!!」
音の時計塔前のイルアリルマも、同じように願っていたのだった。




