紅白の堕天使
――光の時計塔。
喉が、カラカラだった。
全身から嫌な汗が噴出し、緊張で口の中はまるで砂漠のよう。
かろうじて出てくる唾と息を飲みこみながら、フレスは慎重に歩みを進めていた。
フレスは単身一人で、光の時計塔へと挑んでいる。
光の時計塔は、まだ神器としての役割を果たしていないのにも関わらず、猛烈な魔力を放ちながら、同族を歓迎していた。
そう、この先には同族がいる。その魔力に間違いない。
「……この先だ。行こう……!!」
自分自身でそう呟きながら確認を取り、ゴクリと量の少ない唾をもう一度飲み込んで、扉に手を掛けた。
ギギギ……と軋む音を立てながら、扉は隙間から光を放ちながら開いていく。
強い光に思わず半目になってしまう。
扉の奥――光輝く歌劇ホール内に、フレスの目はとある存在を捉えた。
スポットライトを浴びているかのように、歌劇ホール中央には光が集中し、輝き満ちている。
その中心には、劇の主役たる金色の天使が自慢の翼を広げて、此方に背を向ける格好で天を仰ぎ、佇んでいたのだ。
その後ろ姿は、とても神々して美しい。
画家であれば、思わずその場で描き始めてしまうだろう。
しかしフレスにとって、その神々しさは逆に不気味さを増長させているようにしか見えなかった。
「久しぶりって、言った方がいいのかな……?」
乾ききった口は、何とか動き、声を出すことが出来た。
「…………」
そこは静寂そのものだった。
劇の主役は私。
そう言葉ではなく背中で語っているかのようだった。
主役が彼女であるならば、さしずめ自分は観客だ。
勿論ただの観客なんかじゃない。
これから飛び入り参加する、一役者になるのだから。
この場に観客は、誰一人いない。
ならば翼を隠す必要もない。
――バサァ……。
フレスはその小さな背に、可憐かつ上品で――冷たい輝く蒼き翼を現出させた。
「――久しぶり、ティア」
「――フレス?。……う~ん、ティア、今はあんまりフレスのこと、好きじゃないかな?」
顔すら見せずに、ちぐはぐの解答を返してくる。だからこの子は苦手なんだ。
彼女の言葉は嘘偽りがなくて、そして常に危険と隣り合わせだから。
全部で五体存在する古の神龍族。
全ての神獣の頂点に立つ存在の、その内の二極が、この場で懐かしい再会を果たした。
龍の中で最も凶悪な力とされる光の力を司る龍が、この目の前にいる少女、ティア。
真の名を――ティマイアという。
「ねぇ、ティア。今、君は自分が何をしようとしてるか、知ってるの?」
フレスは単刀直入に訊ねた。
彼女に遠回しの質問は通用しない。
何せ遠回しをすれば、本当に主題から遠くかけ離れたものになってしまうから。
「何って、ティア、楽しいことがしたいんだぁ」
劇の主役が満を持して、フレスの方へと振り向いた。
フレスはティアの姿を見て、恐怖を隠しきれない。
ティアの表情が笑顔であるにも関わらずだ。
身体に戦慄が走るなんて、いつぶりだろうか。
「……楽しいこと?」
「うん。こんな風に、ね」
彼女が天に向かって伸ばした腕には、紅と白のコントラストが出来ていた。
絹のように白い肌に、鮮やかな紅はよく映える。
紅く染まった手の先には、一人の人間だったであろうものの、首だったであろうものが握られている。
「な……ッ!?」
驚愕のあまり、身体が固まるフレス。
そんなフレスなどお構いなしに、彼女は紅く彩られた自らの腕を自慢げに見せつけてきた。
「ティアね、ずーっと仕返ししてたの。これはね、ティアを殴らせたから」
ティアが握っていたものは、秘密結社メルソーク総帥、シュトレームの屍であった。
情報を吸い上げ、メルソークを利用するために無理やり現世に留められていた彼は、先ほどようやく無限の安寧を得ることが出来た。
だが、その安寧の代償はあまりにも大きい。
何せこの芸術に溢れた美しい世界の最後は、これほどまでに醜く汚い姿で去らなければならなかったのだから。
――紅白に染まる翼を広げ、醜い屍で遊ぶティアの姿は、さながら堕天使のようだった。




