感謝と忠告
―― 東地区 『水の時計塔』 ――
「……しかし静かだ」
ウェイルはすでに水の時計塔へと潜入を果たしていた。
しかし潜入して随分時間が経つというのに、一度たりとも敵と遭遇していない。
それどころか敵の姿すら見当たらず、気配すら感じなかった。
敵との戦闘を覚悟していた分、逆に誰とも会わないことに不安を覚えていた。
「……どういうことだ……?」
時計塔内の扉には、どこにも鍵が掛けられていない。
まるで入ってこいと言わんばかりで、不気味である。
もぬけの殻と化した時計塔内を、息を殺して進んでいく。
「……アムステリア達の噂が流れたからか……?」
――『最近奴隷オークションを潰して回ってい連中がいる』。
アムステリアは結構派手に最初の奴隷オークションを潰したそうで、その噂が流れていても何らおかしくはない。
噂を警戒して奴隷オークションを中止させたと、それもあり得ない話ではない。
しかしメルソーク程の大組織が、わずか二人の不穏分子の為に、膨大な儲けを生み出す奴隷オークションを中止することなど考えられようか。
普通に考えれば、噂に対しては武力や人員を増やす等の対応を行い、奴隷オークション自体は予定通り行うのではないのだろうか。
「……まるで最初からオークションなんて開催する予定はなかったみたいだ……」
あらゆる可能性がウェイルの脳裏に過る。
考えを巡らせながら、大ホールへ続く扉を開こうとした――その時だった。
「――ご明察。流石は協会きっての天才鑑定士」
その声に、思わずウェイルの動きが止まる。
扉を開くのを止めて、声のした廊下の奥の方を見る。
「……まさか……!?」
「よぉ、ウェイル。また会ったな。どうやら俺達は何かと縁があるようだ」
コツコツと、石畳の廊下を歩いてきたのは、かつての同僚。
そしてカラーコインを盗んだ主犯格であるダンケルクだった。
「どうしてお前がここに!?」
「さてな」
すでにダンケルクが『異端児』のメンバーであることは判っている。
だから彼がここにいるということは『異端児』にとっても何らかの目的があるのだ。
瞬時にそう捉えたウェイルは、慎重にダンケルクの様子を窺うことにした。
そんなウェイルの心中を知ってか察してか、ダンケルクはクククと笑って、
「俺がここにいる理由を聞いて、お前はどうする?」
――という、挑発にもとれる言葉を返してくる。
正直ダンケルクの実力を考えれば、裏をかくのは難しい。
慎重に探りを入れようとも、きっと魂胆は見抜かれて、大した解答や情報を提供してはくれぬだろう。
もしかしたら、あえて堂々と聞いてみる方が手っ取り早いかも知れない。
だからウェイルは、少しばかり賭けに出てみることにした。
「お前達の狙いを知りたい。それこそがここの状況を物語っているんだろ?」
こことは静かすぎる時計塔の事。
ダンケルクが何かやらかした可能性は否定できない。
「お前達か。ま、そう考えるよな。俺個人の行動なわけがない。だが釈明しておくと、ここの奴隷オークションの開催中止については俺のせいではない」
「……違うのか?」
「俺を疑うのか?」
――疑う。
ある意味ダンケルクにとっては最もタブーな行為だ。
「いや、ダンケルクは嘘をつかない奴だと信じている。もっとも、それは味方の立場だったらの場合だけどな」
「そうか。それもそうだな。だが一つ言っておくと、俺はお前やアムステリアには感謝してるんだ。あの時俺を信じてくれたのは、お前達くらいなもんだからな。それで、今はどうだ? 信じられるか?」
「……信じたいさ」
「……そうか。なるほど、信じたい、か。……ククク」
ダンケルクは手を口に当て、少し考えた素振りを見せると、「まあ、いいか」と呟いて、改めて向き合ってきた。
「これから言うことは信じてくれていい」
信じるかどうかは任せると、前置きをして。
「ここ水の時計塔の奴隷オークションは、最初から開催する予定なんてなかったそうだ。別に魔力が必要なわけじゃないからな」
「……魔力が必要じゃない……?」
「お前、時計塔が全て神器だと知っているんだろ?」
「ああ、知っている」
ダンケルクが突然時計塔の秘密を語り出したものだから、少しばかり動揺はしたが、ウェイルは頷いて話を聞くことにした。
「なら話は早い。時計塔にはそれぞれ名前がついているだろ。それぞれ『時』『光』『音』『火』。そしてここは『水』。その理由を推理してみろ」
「……神器の能力を示していると、そういうことか?」
「違うな。時計塔は、それ自身が何かを発する神器ではない。こいつは何かを糧に発動するタイプの神器だ。……もう、判るな?」
何かを糧に。
そんなことまで教えられれば、もはや答えを貰ったも同然だ。
「……水、か。ここに水……?」
「さて、後は自分でまとめな。プロ鑑定士なんだからよ」
「……そうか。だからここには奴隷が必要ない……!!」
神器のカラクリを考えれば、確かにここには奴隷が必要ない。
しかし、そうなれば肝心の糧となるものは、一体どうやって調達する気なのか。
「さて、お前の疑問は尽きないかも知れないが、俺はそろそろ行くぞ。そこをどいてくれ」
そう言って、ダンケルクは踵を返す。
「待て。どこへ行く?」
「どこって、帰るだけさ。もう俺の仕事は終わったんだ」
「仕事は終わった? ……てことは、何かしたんだな?」
「さてね」
改めて背を向けるダンケルクに対し、ウェイルは今度は声ではなく、魔力を差し向ける。
瞬時に手に氷の剣を精製し、ダンケルクの背中に突き付けた。
「俺の仕事は、まだ終わっちゃいないんだ。少し付き合ってくれ、先輩」
「まだ俺の事を先輩と呼んでくれるか。嬉しいことねぇ」
刃が付きつけられているにも関わらず、ダンケルクは振り向きもせず嬉し気に答えた。
「だが、生憎俺は今、暇じゃないんでね。用がないことには付き合えん」
「仕事が終わっているなら暇だろう? それに用ならあるさ。俺の依頼人から奪ったカラーコイン、返してもらおうか」
「……ああ、あれか。あれは今俺の手にはない。だからお前が俺を刺したところで、現状は変わらん」
「……そうだろうとは思ったがな」
ウェイルが剣を引き、氷を溶かして魔力を収めていく。
ダンケルクがいつまでもカラーコインを持っているとは思ってはいなかった。
今持っていないのならば、闇雲に戦闘を行うのは妥当じゃない。
ダンケルクだって、異常なまでに強い戦闘力を誇っているのだから。
「最後に聞いていいか?」
「なんだ? 後輩の質問だ。何でも、とはいかないが、答えてやるよ」
「どうして俺に情報をくれた? 俺の姿を見て、話しかけてきた?」
仕事がすでに終わっているのならば、ウェイルの姿を見たならば、すぐに時計塔を出ればいい。
隠れてやり過ごすと言う手もある。
わざわざ敵と接触を持とうだなんて、普通は考えない。
ウェイルのその質問に、ダンケルクはどうしてだか困ったような顔をしていた。
「う~む。確かに俺の行動はおかしいな……。情報を教えるなんて、仲間を裏切る行為だしな……」
そして少しの沈黙の後、深く嘆息して、こう言った。
「俺はお前に感謝してんだよ。最後まで信じてくれた、可愛い後輩でもある、お前にな」
「……ダンケルク……」
どうしてだろうか。
たった一瞬ではあったが、ウェイルは昔の信頼できる良き先輩だったダンケルクと、敵となった今のダンケルクが重なって見えたのだ。
「ついでに忠告だ。もし、お前が明日以降もこの世界で生きていたかったら、今日中にこの都市から離れておくことだ。明日になれば、この都市は文字通り沈むからな」
「……沈む……?」
それは何かの比喩だろうか。今すぐには、この言葉の真相は判らない。
「じゃあな。また会おう。どのみち俺達はいつかまた会わなければならないんだから」
「おい、ダンケルク! 今のは一体どういう意味――くっ!?」
少しウェイルがダンケルクの背中から視線を離したその瞬間。
まるで煙幕でも巻いたかのように、この場は白い霧に包まれた。
「ダンケルク! 何処だ!? 今の意味はどういうことだ!?」
いくら問うても、答えが返ってこようはずもない。
しばらくして霧が晴れると、当然だがそこにダンケルクの姿はなかった。
「……ダンケルク……ッ!!」
ウェイルの声は、無情にも無骨で冷たい廊下へと、こだまのように響き渡るだけであった。




