命を喰らう大剣『死神半月―ルナ・スペクター―』
地べたに這いつくばる後輩を見下すアムステリア。
それは百戦錬磨のアノエですら、ゾッとする笑顔であった。
「まあ、別に命に支障はないと思う。少しすれば回復すると思うから、自力で帰りなさいね?」
「…………」
アノエは、まさか自分がここまで遊ばれることになるとは思いもしなかったのだろう。
これまで自分が相手をしてきたのは、格下だけだった。
その事実を痛感させられ、言葉も出せず、うつ伏せのまま動けない。
「さて、ここでの目的もなくなっちゃったし。早く帰ってウェイルといちゃいちゃしよっと。お邪魔虫が帰ってくる前にね」
ウンと背伸びをして、会場を後にしようとした、その時。
「――ま、待て」
アムステリアは、未だうつ伏せになっているアノエに呼び止められた。
「あら、まだ何かご用かしら?」
「……ああ。貴女のおかげで、私も身の程を知ることが出来た。感謝する」
「先輩としてそこまで言ってもらえると、ちょっと嬉しいわね。それで?」
「だけど、このまま貴女を帰すわけにはいかない。貴女を放っておけば、いずれイドゥの計画に支障が出る」
「イドゥの計画? それってもしかして『三種の神器』とかに関係する?」
「そう。イドゥが貴女を要注意人物として挙げた意味がよく判った。だからこそ、放っては置けない……!!」
剣を杖代わりにして、ゆっくりとアノエは立ち上がる。
アムステリアは、その様子をジッと見守っていた。
「貴女じゃ、私には勝てないわよ?」
「そんなことはない。確かに今のままでは難しい。でも『命』を賭せば、私は貴女と互角になれる」
――アノエの瞳。
それは何かの覚悟を決めている、そんな目だった。
「イドゥの為なら、この命、惜しくはない……!!」
「何がそこまで貴女を……?」
「イドゥがいてくれなければ、私はこの世界にさほども興味を持てなかった。リーダーがいなければ、私はすでに死んでいた。いつもいつも世界は、贋作の栄光ばかりに脚光を浴びせる。私はそれが気に食わない」
「……ッ!?」
アノエの迫力のせいで気が付くのが遅れたが、彼女の持つ大剣からは尋常ではない量の魔力が溢れ出していた。
「妖刀『死神半月』よ、私の魔力をくれてやる……ッ! 足りない分は、奴から貰い受けろ……ッ!!」
アノエの剣から放たれた漆黒のオーラは、黒い刀身をさらに闇へと染めていく。
主人たるアノエからも魔力を吸わんとするその姿は、さながら怪物。
「貴女、まさかその剣に魔力を捧げているの!? 本気で死ぬ気なの!?」
「言ったはず。イドゥのためならこの命、惜しくはないと……! イドゥにとっての邪魔者は、私にとっても仇敵……ッ!! 貴女の魔力、全部貰い受ける……!!」
「……くっ、ちょっとまずいわね……!! 急がないと……彼女の命が……ッ!!」
「今更遅い……!! うおおおおおおおおッ!!!!!」
立ち上がる力すら残ってなかったはずのアノエが、咆哮を上げて剣を担ぐ。
闇に染まった大剣を手に、アムステリアへ切りかかった。
「仕方ないわね……。さぁ、来なさい」
「――貰い受ける……!!」
「ええ、あげるわよ。貴女の分までね」
「…………え……っ……?」
――スッと、刃は時空を切り裂くがごとく、何の抵抗も感じぬまま、アムステリアの身体へと突き刺さった。
「欲張りな神器だこと。でも、私なら満足させてあげられる。だからこの子の魔力を根こそぎ奪わなくてもいいんじゃない?」
不思議な光景だった。
黒き剣に貫かれているはずのアムステリアは、苦悶の表情を浮かべるどころか、平然と、むしろ穏やかな表情を浮かべていたからだ。
アムステリアの言葉に甘えるかのように、剣は闇を霧散させていく。
「この剣が……この子が、大人しい……!?」
体力を使い果たしたアノエも、倒れる事すら忘れて、その光景に見惚れていた。
「さ、もういいでしょ?」
そういうと、アムステリアは身体に深々と突き刺さっていた大剣を、スッと引き抜いた。
そのまま剣をアノエの側に突き立てた。
「ど、どうして、どうしてお前は無事なんだ!?」
今の光景が信じられなかったのだろう。
アノエは声と言葉遣いを荒げた。
「無事ってほどじゃないわよ。常人なら一瞬であの世行だわ」
「お前は、違うのか!?」
「ええ。私は不死身だから」
「痛くもかゆくもないのか……?」
「あれだけの剣が突き刺さっていたのよ? 痛かったに決まってるじゃない。でもね。私はもっと痛い思いをしてきたから」
思い浮かぶのは、大切な妹の事。
「私の身体は、傷ついてもすぐに再生するの。爆発を耐えたのもその能力のおかげだし、貴女の剣の傷だって、ほら、もうほとんど治っている」
胸元をはだけてみせると、傷口は少しばかり痕になっているくらいで、ほとんど完璧に治っていた。
「でも、痛かったんだろ……? どうして避けなかった?」
フラフラ状態のアノエの斬撃だ。避けることなど容易い筈。
「貴女を守る為よ」
解せないといった表情のアノエに対し、アムステリアはあっけらかんと言い放った。
「貴女、自分の魔力を全て剣に差し出そうとしていたじゃない? それでは貴女は死んでしまう。だからその剣が要求する魔力を、私の魔力で補ったってわけ。私、魔力も無限に湧いてくるみたいだから。もっとも私自身はこの魔力のコントロールは出来ないのだけれど」
トントンと胸を叩く。
神器『無限龍心』がある限り、アムステリアに死が訪れることはない。
「そんな……。何故私を助けた……? 私は敵だろう……!?」
「敵なの? 私は奴隷オークションを潰しに来て、偶然先に奴隷オークションを潰していた貴女と鉢遭っただけだもの。敵か味方かなんて判んないわ? ま、それは建前としてね」
彼女が『異端児』であることは容易に想像できた。
ウェイル達や自分達が拾ってきた情報から、『異端児』達がこの都市で何かをやらかそうとしているのは判っていたからだ。
でも、とアムステリアは言う。
「本音を言えば、イドゥに悲しんで欲しくなかったから。イドゥとは敵同士ってことになるのでしょうけど、彼は私にとっても恩人だから。今でも感謝しているのよ。そして貴女は私の後輩。可愛くないわけがないもの。助けられるものならば助けてあげたいわよ」
「…………」
それを聞いて、もうアノエは無言だった。
意識があるのかは定かではないけれど、アムステリアは最後にこう説いてやった。
「確かにこの世界は理不尽なことばかり。でもね、この世界だって案外捨てたものじゃないの。大切なモノは、結構身近なところに転がっているのだから」
私にとってはウェイルだけど、と口ずさんで、アムステリアは時計塔から姿を消した。
アムステリアがいなくなったことで緊張の糸が切れたのか、そのまま壁にむかって崩れ落ちる。
「…………大切な、モノ……」
壁にもたれて天井を仰ぎ、そう呟いた。
目を瞑ると、イドゥやリーダー達の顔が思い浮かぶ。
安心できる顔が一通り脳裏をよぎったところで、アノエは意識を失った。
――●○●○●○――
「あー、あー、アノエってば酷いやられ様だね~」
壁にも持たれて眠りこくるアノエの頬っぺたを、ツンツン突く者がいた。
「こうしてみると、アノエって結構可愛いんだよね~」
えい、えい、とお構いなしに突っついているのは、こんな時でもメイド服を欠かさないフロリアであった。
「しかしルミナスのお姉ちゃん、アノエまでこんなにしちゃうなんて……。怒らせるとどうなるんだろうな~」
一度共闘したことがあるが、彼女の強さは言葉通り桁外れであった。
「イドゥは、こうなることが判ってたのかな? 私の任務はアノエを回収することだって言ってたし……」
う~んと、ひとしきり考えても、どの道答えは判らないので、フロリアはさっさとアノエの腕を掴むと、そのまま背負って時計塔を後にしたのだった。




