元贋作士、アムステリア
「――ここだ」
ウェイルとフレスは、マリアステル郊外の繁華街から少し離れたところにある小さな家の前にやって来ていた。
家の前に立つウェイルは、何故か深呼吸をしながら心を落ち着かせている。
「ねぇねぇ、ウェイル。知り合いに会いに来ただけだっていうのに、どうしてさっきからそわそわしているの? 大袈裟じゃない?」
「大袈裟なもんか。いいか、フレス。このドアを開いた瞬間から、絶対に油断だけはするなよ。ここに住んでいるアムステリアって奴は、普通の鑑定士ではない」
「普通じゃないって、だってプロなんでしょ?」
「プロでもある。だが元『不完全』でもあるんだ」
「えぇ!? 元『不完全』!? 贋作士だったの!? ……ってことは敵なの!?」
「元だって言っただろ。今は味方だ。奴が本当に恐ろしいのは、贋作士だったからじゃない」
「他にも何かあるの!?」
「会えば判る。とにかく恐ろしい奴なんだ」
「ウェイルですら怖いの!?」
「……ああ、怖いさ。そして奴は誰よりも強い。俺では到底太刀打ち出来ない。本気で戦っても手も足も出ないだろうな」
「手も足も!? 相手は女の人だよね!?」
「そうなんだが、仮に大の男が百人がかりで襲い掛かっても、アムステリアが負けることはない。おそらく楽勝だろう」
「そ、それほどなの……!?」
フレスの脳内では今、ゴリラのように筋肉隆々な女がニタリと笑みを浮かべていた。
「……ぶるぶる……、こ、怖いよう……。ウェイル、やっぱり帰らない?」
その場で回れ右をするフレスの首をすかさず捕まえるウェイル。
「出来る限りのことをするんだろう? 俺だって怖いし帰りたいが、それでも耐えているんだ。それにアムステリアは人間で、お前は龍。恐れることはないだろう?」
「龍だって怖いものは怖いんだよお!!」
「いいから入るぞ……!!」
そう意気込むウェイルだったが、その手で握るドアノブは酷く重く感じた。
覚悟を決めて、ドアノブを回す。
「アムステリア、いるか? おい、アムス――なっ!?」
――ウェイルが扉を開けた瞬間だった。
中からスラリと手が伸びてきたかと思うと、強靭な握力に首根っこを掴まれた。
ウェイルはそのまま部屋の中へ引きずり込まれていく。
「ウェイル!? 一体何が!?」
突如として姿を消した師匠を追いかけて、急いで家の中に飛び込んだフレスは――。
「なにゃ!?」
そこでフレスは、衝撃的な光景を目の当たりにしていた。
「ふ、ふぐぐ……!」
「ああん、暴れないでよ、ウェイル。貴方の唇の感覚、久しぶりなんだからぁ!!」
「うみゃああああああああ!? き、キスううううううう!? 一体何をしてるのおおおおおおおおお!?」
黒髪の女性――アムステリアと、引きずり込まれたウェイルが唇を重ねていたのだった。
――●○●○●○――
突然の衝撃映像に、呆然と立ち竦むフレス。
ウェイルは抜け出そうと必死にもがいているが、アムステリアの両手にがっちりと抱かれているせいで逃げることが出来ずにいた。
「フフッ、ウェイル。どう? 久しぶりのキスは……! 気持ちいいでしょう? もっとキス、しましょ?」
そう言ってアムステリアはキスを続ける。
口に舌を入れ込んでくる、深い深いキスだ。
「ダメーーーー!!!!」
正気に戻ったフレスが全力で二人を引き剥がす。
「あぁん、もう。せっかくウェイルと愛を確かめ合っていたのに。貴方、一体誰よ?」
涎で艶かしく輝く唇を、舌でぺろりと舐めた後、アムステリアはフレスを睨みつけた。
「ウェイル、大丈夫!? 怪我はない!?」
「ゲホッ、ゲホッ、あ、ああ、大丈夫だ……、窒息するかと思った……!!」
襲撃を受けたウェイルは、なんとか無事なようである。
「おい、アムステリア、いきなり何してくれてんだ!」
「何って、ただのキスじゃない。それよりもウェイル。その娘、誰よ? 有り得ないとは思うけど……まさか恋人? だったら今すぐにでも殺してあげる」
アムステリアは、台所から包丁を取り出してきて、その刃先をフレスに向けながら舌なめずりした。
「違う! こいつは俺の弟子だ。だからさっさとその包丁を仕舞え!」
「そうなの? 良かった~、てっきり恋人かと思っちゃったわ! もしこれが浮気だったら、ショックでウェイルも一緒に殺してしまうところだったわ……!」
包丁を仕舞うと、今しがたウェイルとキスをしていた唇を指でなぞった。
「浮気も何も、俺達はそんな仲じゃないだろうに……」
「ウェイル、もしかしてこの人が……!!」
フレスが信じられないという表情を浮かべる。
確かにこの女、怖すぎる。
氷の力を操る龍のフレスですら、背中が凍り付くほどに。
「そうだ。こいつが元『不完全』の鑑定士、アムステリア・ウィルコッテだ。『不完全』にいたわけだから、贋作については誰よりも詳しい。俺達が会いに来た目的の人物だ」
艶やかな黒髪を肩まで伸ばし、赤と黒が基調の不思議なドレスを身を包んだまさに美人という言葉が似合う、それがアムステリアだ。
若干性格に問題があり、ウェイルに対して過剰な愛を持っている。
ウェイルとしてはあまり得意な相手ではなかった。
「いやん、こいつって。私のことはテリアって呼んで?」
「テリア?」←フレス
「何勝手に呼んでんだ! 殺すぞ小娘!! ねぇ、ウェイルってば~」
「はぁ……」
ウェイルは大きくため息をつく。
アムステリアに会いに来ると必ずと言っていいほど、毎回こういうノリになってしまう。
まともな話が出来ないことも少なくない。
だからここに来ることには気が進まないのだ。
「アムステリア、真面目な話なんだ。聞いてくれないか」
「テリアって呼んでくれたら聞いてあげるわよ」
「テリア!」←懲りずにフレス
「だから勝手に呼ぶなって言っただろ、小娘。ハラワタ引きちぎってソーセージにするぞ、この雌豚が!!」
「うう、ひどいよ……、男女差別だよ……。ぐすん……この人怖い……」
フレスはいじけてしまったが、アムステリアにとってフレスはどうでもいい対象らしく、完全に無視してウェイルの顎を撫でていた。
「ねぇ、ウェイル~。テリアって呼んでよぉ」
「……テリア、話を聞いてくれないか」
「ああぁん、聞いちゃう聞いちゃう!! 何でもお姉さんに話してごらん!」
アムステリアはウェイルより年上だ。……どれくらい年上なのか聞いたら殺されるだろう。
「何があったの?」
「『不完全』絡みで事件があった。今度はこのマリアステルで何かしでかすみたいだ」
『不完全』絡みと聞いたアムステリアは、急に真剣な表情になった。
何故だかこの表情になったアムステリアは、非常に心強く感じる。
「ウェイル。貴方が持っている情報、全て包み隠さず話しなさい」
「分かったよ! ならボクが説明するね! まずは――」
「――小娘、何勝手に口開いてんだ!! ミンチにしてハンバーグにするぞ雌豚がぁ!!」
「うぅ……、酷い……。やっぱりこの人怖すぎるよぉ!!」
心強いというのは、どうやら気のせいだったようだ。




