人生最初で最後の体験
悪趣味な演奏会の余韻に浸るシュトレームを現実に戻したのは、彼の従者たる演奏者であった。
「総帥様。全時計塔への配置はすで完了しております。明日、全てのパーツが揃います。しかし、これらを一体どうするつもりなのです? 我々も準備は致しましたが、計画の最終段階が判らない以上、これ以上動きようがありません」
従者が恭しく、腰を下げた。
その様子に、シュトレームの目は何とも冷たい。
自分以外の者全てを見下す、蔑みの目。
「そんなことも判らぬのですか。全く使えないクズだ」
「申し訳ありません。私達部下には、総帥様に匹敵する知恵を持ち合わせておりませんので」
「当たり前のことを言うのも愚か者のすることですよ」
「申し訳ありません。ですが、是非ともお聞かせ願いませんか?」
「……仕方ありません。一度だけ教授しましょう。お聞きなさい」
「ありがたく思います」
従者のよいしょする言葉の数々に、いくらか機嫌を良くしたシュトレームは、大げさに手を広げながら、舞台上に上がっていく。
「東、西、南、北。全ての時計塔は、神器で出来ているのです。それは貴方もご存知でしょう?」
「……ええ」
「時計塔はそれぞれ名前が付けられていますね。それぞれ東は『水』、西は『音』、南は『光』、北は『火』。これらの名前には意味があるのです。私の部下ですから、ここまでヒントをあげれば気づくでしょう? 準備をしたのは貴方達なのですから」
「…………」
従者の男は、少しだけ言葉を詰まらせたが、コクリと首を縦に振った。
「気づきましたか。ここまで言って判らないようでは、メルソークから脱退してもらうところでしたよ」
「…………」
ここでシュトレームは、決定的にしてはならない勘違いをしていた。
今の従者のとった一瞬の間は、言葉の意味に気づいた驚きの仕草であると。
――だが、実はそうじゃない。
シュトレームは、満足げに、そして大袈裟に手を上げると、またも天を仰いだ。
「ああ、ついに我々の悲願が達成される。これで手に入るのですね……!!」
そしてシュトレームは、ついにその名前を口にした。
「――『心破剣ケルキューレ』を――!!」
彼がその名を発した瞬間だった。
闇を切り裂く光が、神々しくも切ない光が、シュトレームを包み込む。
「――ケルキューレ。その名を貴様から聞きたかった。万が一にも間違いがあっては困るからな」
「なっ……!?」
シュトレームにとって、これは人生で初めての経験だった。
そして、それは人生最後の経験となるだろう。
「な、な、な……なんですか、これは……!?」
唐突に言葉が荒くなった従者の変貌具合に驚くとともに、腹部から強烈な激痛が走ったのだ。
「ひ、光が……!?」
眩い光の刃が、彼の身体を貫通するように突き刺さっていたのだ。
「シュトレームよ、全てを聴かせてもらったぞ」
「あ、あなたは……」
シュトレームにとって初めての経験。
それは他人に出し抜かれることであった。
天才ゆえ、他人を出し抜くことは数多くあったが、逆にやられたことは初めてであった。
「ぐがっ……!? あ、貴方は、一体……!? そ、それに、この、光は、どうやって……!!」
口から血を吐きながらも、シュトレームは従者だった者を睨み付ける。
屈辱を覚えたのか。それもそうだろう。
今までクズだと罵っていた相手に、今度は見下されているのだから。
「誰が、この光、の刃、を……!?」
血まみれの歯で歯ぎしりをするほど、シュトレームの顔は苦痛と憎悪で歪んでいた。
もっともその歯ぎしりは、単に負傷による痙攣出会ったのかも知れない。
そんなシュトレームなどお構いなしに、従者であったはずの男は、余裕しゃくしゃくの顔でこう耳打ちをしてきた。
「メルソークのことは全て判った。しかしお前さんはまだ若いのに、なんとも気色の悪い趣味をしているもんだ。よくもまあ下の連中は、お前みたいなゲスの言うことをホイホイ聞いてるな。さながらカルト宗教だ。まあ、一部お前のやり方に反発していた奴もいたがな。おかげで助かったよ」
「し、質問に、答えなさい……!!」
「お前のようなゲスに答える解答など持ち合わせてはいない。楽に死ねると思うなよ。ティア」
「は~い。ねーねー、イドゥおじさん! ティア、もう演技しなくていい?」
「ああ、いいぞ。悪かったな、作戦とはいえ、嬢ちゃんを鞭で打ってしまった。許してくれたら嬉しい」
「別にいいよ! ティア、演技するの楽しかったもん! じゃあさ、次はティアがこいつにやりかえしちゃっていいかなぁ? さっきの鞭、結構痛かったし!」
現れたのは、先ほど鞭によって演奏されていた壊れた楽器――もとい金髪の少女。
「な……!? 貴方は……先程の奴隷の娘……!? な、何故生きている……!?」
すでに息を引き取ったと思っていた、シュトレームにとってはただの楽器に過ぎなかった少女が、どうしてか自分の目の前で、傷一つない美しい姿で笑顔を向けてきている。
「ティアはね! ぶたれるのも好きだけど、ぶつのはもっと好きなんだ! やっていい!? もう我慢できないよぉ!」
少女の瞳から、正常な色が消えていく。
やがて現れた色は、狂気に駆られた潔白の光。
「勿論だ。贋作士のワシがいうのも何だが、こいつは人間のクズだ。殺した方が世のため人のためになる。……なるほど、さっきの男の言う通りだったか」
「うん! あ~、どうやって遊ぼうかなぁ~、フフフ、楽しみ~!!」
実は、この悲惨な演劇は最初からイドゥに仕組まれたものであった。
奏者はイドゥで、楽器はティア。
シュトレームに近づく為に、あえて彼の好きな演奏会をしてやったのである。
「さあ! 遊ぶぞ~~!! お返しだぁ~!」
「や、止め……!! あぐああああああああああっっ!!」
ティアは容赦なく、シュトレームの左手の指を一本一本へし折っていく。
「あはは! 楽しいね、これ! それ、それ!! 次は右、いくよ~!!」
これまでの報いを、シュトレームは最後に楽しむことが出来たのだった。
――さて、どうしてイドゥ達がここにいたのかというと、話は二日前まで遡る。




