裏切ってない人と裏切りたくない人
フロリアはまず、机の上に置いていた『セルク・ブログ』を、ひょいっと手に取った。
「さーって、全部話すと決めたし、どこから話しちゃおっかなぁ~」
「勿体ぶってないでさっさと話せ」
「もう、ウェイルったらせっかちなんだから~。そんなのだと女の子にモテないよ?」
「大きなお世話だ」
フロリアのやりにくい点として、まず表情が掴めない点が挙げられる。
先程まで真実を隠そうとアタフタしていたかと思いきや、今は何故かすっきりした笑顔を浮かべながら、それでいてさながらイタズラをしている最中の子供の様な、楽し気な顔をする時もある。
言ってしまえば、彼女の紡ぐ言葉一つ一つが、真実であるかどうか疑わなければならない。
「あー、ウェイルー! その顔は私を信用してないでしょー!」
「当たり前だ。お前、今まで何回人を裏切ってきたと思っているんだ」
「いや、それを言われれば確かにそうだけどさー。こうなった以上は信頼して欲しいんだけどなー。ブーブー」
口をとがらせながら文句を垂れるフロリアに対し、ウェイルとフレスはというと。
「今までが今までだからな。なぁ、フレス」
「うん。フロリアさんは人を裏切ることが趣味なの? 悪趣味だね」
「ひ、酷い!?」
純粋なフレスが言うと威力はさらに倍増である。
多少ショックだったのか、大袈裟に床に手をつきorz状態。
とはいえ全部演技なのは判っているので、二人して嘆息するしかない。
フロリアの露骨な泣き真似は腹立たしさすら覚える。
「あのね、二人共。確かに私は、これまで人を裏切ってばかりだったけどね。でも唯一、裏切ってない人がいるんだよ?」
「アレスか? いや、それはないか。誰だ?」
誰であろうとすぐに裏切る。
そんなフロリアに、そんな奴がいるとは思えない。
「それはね――自分自身だよ」
まさにしてやったりと鼻の穴を大きく広げて、自慢げに胸を張ってそう言った。
「偉そうに言うことじゃないな……」
「ねぇ、ウェイル。この人、どこか頭がおかしいよ。お医者さん呼んであげないと可哀そうだよ?」
「ちょ、ちょっと!? 私の頭は正常です! どこも変じゃないって! あのね、これってすごいことなんだよ? 自分自身には嘘をつかないんだから!」
「……他人からすれば至極面倒くさい奴だよね……」
「……なの……」
流石に今の発言には、フレスどころかニーズヘッグすら引いていた。
「あのね、ニーちゃん。自分自身に嘘をつかないってことはさ。自分の想いには忠実ってことなんだよ。いわば自己中心的ってことなんだよ! 自己チューなんだよ、私。超自己チュー! これって凄いことだよ!」
「……凄いの、それ……?」
「当然だよー! 自分さえよければ周りがどうなろうと知ったことじゃないって、なかなか出来ることじゃないってば!」
「…………」
ジト目を浮かべるニーズヘッグに、フロリアはそんなことを諭していた。
「それを口にすること自体、なかなか出来ることじゃないがな」
「ねぇ、ウェイル。この人、やっぱりどこか頭がおかしいよ。お医者さん呼んでも手遅れだよ」
「だな。フロリアよ、それを自慢げに思ってるなら、お前は凄い奴だ。大した精神力だと思うぞ」
――周囲に全く興味を示さない。
それはある意味才能であると言える。
「でしょでしょ! 凄いでしょ!? いやぁ、ウェイルに褒められちゃったなぁ!」
「褒めてねーよ」
このような調子ばかりで会話が全く進まないのも、彼女と相対する時にウンザリする点である。
「自分だけが大事。何事も自分中心。……ということは、私は自分の身を守るためならば、何だってするということだよ。自分が嫌なことがあれば、何をしても逃げる。自分が欲しいモノがあれば、何をしても手に入れる。そして自分が大切にしているモノがあれば――何をしてでも守る」
最後の一節のみ、強い口調だった。
「……大切にしているモノ、か」
それはなんだろうか。
これまで様々な人間を裏切り、破壊してきて、挙句の果てに仲間すら裏切った。
こんな彼女がこれまで、唯一誠実さを見せた事。
ウェイルの脳裏に浮かんだのは、たった一人の人物。
「なんだよ。お前も案外可愛いところがあるんだな」
「なな!? またもやバレた!?」
またも大袈裟なリアクション。なんとやりづらい。
「アレスのこと、お前そんなに好きだったのか」
「ちょっ!? もう少し遠回しに言って!? そんな直球困る!?」
「『セルク・ブログ』だもんな。こりゃアレスが欲しがりそうな代物だよ」
セルク作品のコレクターでありマニアといえば、アレス公の右に出るものなし。
そんな常識が、芸術を愛する者の間では通例となっている。
何せあの激レア絵画群『セルク・オリジン』を集めた張本人なのだ。
全セルク作品の、およそ四割以上もコレクションしているという噂すらある。有名になるのも当然だ。
「アレスにその日記をプレゼントしたいと、そういうわけだな」
「ち、ちちちち、違うって!! これは私のコレクションを増やすために手に入れたもので!」
「どっちみちアレスのコレクションルームに置くつもりだったんだろうが」
「ま、まあそうだけど……。他に置く場所ないし……」
フロリア自身も相当なセルクマニアである。
だが欲しいモノはセルクに関わる品だけではない。
マニアとは常に二つの物を欲している。
――それは珍しい品と、自慢できる仲間だ。
自慢できる仲間とは、フロリアにとって『不完全』でも『異端児』でもなかったのだろう。
共に芸術を楽しみ、語り、酒の酌み交わせるアレス公だけだったのかも知れない。
「だが、そいつは盗品だ。そんなものをプレゼントして、アレスは喜ぶと思うのか?」
「だーかーらー! これは私のコレクションで、アレス様は関係ないんだってば」
などと言いつつ、フロリアは苦虫を噛んだかのような顔を浮かべている。
「ま、いいんじゃないか。アレスならば今回の盗難事件すらもみ消すことが出来るだろう。オークションでの想定落札価格より、遥かに大きな金額を示談金にしてな。金さえ出せば、大抵の裏事情は全部消え去るだろう。アレスならばやりかねない。いや、むしろやるだろうよ」
アレスが本気になれば誰であろうと即決だろうから。
一都市の王が狙っていると知って、譲らない相手は中々いない。
限りなく黒に近いグレーな手段だって、それが筋を通した合法であるならば、アレスは堂々とやりそうだ。
だが、そこまでするならば、アレスにはちゃんとルールを守って購入をさせた方がすっきりするに決まっている。
フロリアとて、芸術を愛する者。
出来るなら正規ルートで手に入れたいと思うはずだ。
ただ、今は目の前にお宝があったために、長年の癖で後先考えず盗んでしまったのだろう。
「どうする? 俺はその『セルク・ブログ』をアレスへ渡し、それなりの筋を通すならお前を拘束したりしない。だがアレスは一都市の王だ。仮に筋を通した方法を取るとは言え、限りなくグレーな方法である以上、アレスの評判は下がる。それはお前の望みか?」
「そ、それは……」
「アレスが『セルク・ブログ』の存在を知れば、必ず自分で手に入れようとするはずだ。もっとちゃんとした方法でな」
「……うう、確かに……」
「アレスはお前の為に、泥を被ることになる。それでもいいのか?」
「それは絶対に嫌だ……」
当のフロリアも、アレスを盗品売買に巻き込ませたくないという気持ちもあったのだろう。
意外にも素直な返事であった。
「さて、どうする?」
「……判ったよ。これはウェイルに預ける。捨てるなり返すなり、好きにしてよ」
「ああ、ちゃんと返しておく」
フロリアは項垂れながら、おずおずと『セルク・ブログ』をウェイルに差し出した。
そしてウェイルが『セルク・ブログ』を受け取った瞬間である。
「さてさて!! これを返すと決まったところで、テンション上げて続きを話すとしましょうか!」
「うわ、びっくりした……!」
アップダウンの激しすぎるところも、彼女のやりづらい点であった。




