重ねた手
朝の感動冷め止まぬフレスは、もう『天国への螺旋階段』は終わったというのに、未だ外の景色を眺めて、うっとりとしたため息を漏らしていた。
「フレス、そろそろ降りる準備だけはしておけよ」
「……う、うん。――って、駅はもう目の前じゃない!?」
外の景色を眺めていたフレスだ。
目の前に駅が迫っていることに気が付き、一人あたふた慌てている。
「おい、落ち着け。この駅じゃない」
「……え? ラインレピアの駅でしょ? ここ」
「まあな。だが駅は後二つ先だ」
ラインレピアには、朝の時点ですでに入都している。
といっても都市内に入っただけで、目的の駅にすぐ着くわけではない。
運河都市ラインレピアは、競売都市マリアステルよりも広大な敷地を持つ都市で、その大きさはアレクアテナ大陸にある都市の中でも随一である。
何せラインレピア内だけで駅は17か所もある。
東西南北それぞれにそびえ立つ時計塔の近くに駅が配置され、それぞれの中間に一つずつの計8駅あり、円になるように路線が敷かれている。
さらに中央にはこの8駅すべてと接続された駅があり、中央と8駅の間にもそれぞれ駅が存在するので、この数になっている。
あまりにも広いので、各駅の周辺と中央は、それぞれが別々の都市のようになっていた。
「俺達が降りるのは中央駅だからな。もうしばらくは景色を楽しんでおけ」
「うん! ラインレピアって、すごく綺麗な都市だったんだね!」
「準備もしっかりな」
「綺麗だなぁ……」
プロ鑑定士というのに、あまりにも語彙の乏しいフレスであったが、仮に語彙が豊富でも、おそらくフレスは綺麗という言葉以外は使わないだろう。
それほどまでに、この都市は美しく綺麗であると有名なのだ。
「この都市の景観はハンダウクルクスと並んで有名だからな」
為替都市ハンダウクルクス、運河都市ラインレピア、図書館都市シルヴァン。
都市の景観が美しい三大都市であり、ラインレピアは、その中でも最高と称される。
汽車が都市部に入ると、運河や時計塔、そして美しい街や人の営みの様子を楽しめて、汽車の旅にうんざりした旅人の目も、十分満足できる景観なのである。
「ラインレピアの光景だったら、どれだけ見続けても全然飽きないよ!」
フレスも先程から窓から身を乗り出して、美しい景色をその瞳に収めていた。
「ラインレピアは芸術の都と言われているほどなんだ。この都市の景観だって、芸術の都と呼ばれるのに恥じないように、都市全体が協力して作り上げたものだしな」
「そうなの?」
「アレクアテナ大陸一有名な芸術家を生んだ都市が、芸術で他都市に負けるわけにはいかないということでな。誰もが率先して協力してくれたそうだ。この都市の景観は、まさに奇跡と表現してもいい」
「う~ん、アレクアテナ大陸一の芸術家かぁ。誰なの?」
「あのセルク・マルセーラのことだ。お前にも馴染み深いだろう」
「うん! そっか、ここはセルクの生まれた都市なんだ! ……ん? とすると……」
フレスは、考え事をしていたが、その顔はなんだか嬉しそうだった。
「そっかぁ、ここがそうなのかぁ……」
フレスは独り言みたいに、『ここがなぁ……』なんて呟きながら、また窓から景色を見ながらボーっと惚けているのだった。
「ここがなぁって、なんのことだ?」
「あのね、ウェイルには以前話したことあるよね。ボクの親友のこと」
「ああ。――ライラ、だっけか」
「うん。ライラはセルクと出身地が同じだって言っていたからさ。なんだか嬉しくて」
「……そっか」
フレスのライラを想う時の表情は、正直見ていて辛い。
もう二十年も前の親友の影を追い、一人想い耽るフレスの姿は、見ていて切なくなる。
「……『不完全』、もうないんだよね」
「……ああ」
ウェイルはここでふと思い出した。
初めてフレスと出会った夜のことを。
自分だけでなく、フレスもまた『不完全』に強い恨みがあった。
フレスの最近の変なテンションは、憎むべき敵を失った虚無感から来ていたのかも知れない。
「ねぇ、ウェイル。君はこれからどうするの?」
「さあな。お前はどうなんだ?」
気持ちの良い風を浴びながら、ウェイルは素直に返答する。
ウェイル自身、行き場のない気持ちに戸惑っていた。
「ボクも判らないよ。でもね」
フレスは、そっとウェイルの手の上に、自分の手を重ねた。
「ウェイルとこうして旅をして、綺麗な景色を見るの、ボク、楽しいよ。ずっとずっと、こうしていたいよ」
「…………」
「俺もだよ」とは、すぐに言葉に出来ない自分の小心者さに、嫌気が差す。
「ボク、ずっとウェイルの弟子だからね」
「……当たり前だ。何があっても破門するつもりはないぞ」
乗せられた手を、しっかりと握ってやる。
「そうだよね。何せ、ボクとウェイルの仲なんだからさ!」
「そうだ」
なんて互いに笑みを送り合ったのだった。




