『セルク・ラグナロク』の謎
――フロリアが語った内容をかいつまんで話すと、
「『不完全』は『異端児』と呼ばれる連中が潰した」
「『異端児』の目的は『この世界を、もっと楽しくする』こと。どういうことかよく分からないが『不完全』よりも過激な行動を始めようとしている」
「イドゥという男は、とある神器を欲している」
そして特に驚いたのは――
「私の解釈では『セルク・ラグナロク』は普通の絵画じゃない」
――という話であった。
「この絵画はただの絵画じゃないと?」
「うん。私の絵画好きはウェイルも知っているでしょ?」
「一応な」
不本意な認定ではあるが、フロリアは一流の贋作士であると言っても過言ではない。
何せこれほど精密な『セルク・ラグナロク』の贋作を描いて持ってきたのだから。
――常々思うことがある。
鑑定士と贋作士、両者は相反している存在と言えるのだが、共通する点も多くあると。
もっとも大きな共通点。
それは誰も彼も、芸術を愛しているという点だ。
そもそも芸術に興味がなければ、贋作制作をする気すら起きないだろう。
確かに金を得るために贋作を行うことはある。
だが結局のところ芸術に詳しくなければ、贋作なんて作れるはずはないのだ。
それはフロリアとて例外ではない。
贋作を作るには、元となる作品についての研究が必要不可欠だ。
どこにも矛盾が出ないように、見抜かれないように完璧に作り上げる。
それは好きじゃないと出来ないことだと言えるのではないか。
「正直に言って、私はセルクについてはルミエール美術館の館長よりも詳しい自信があるよ」
「シルグル氏以上、か」
そこまで自信満々に言い切るのだ。
よほど知識があって、そしてセルク作品を愛しているに違いない。
セルク作品についてアレスと語り合っていたフロリアの顔は、思い出してみればとても楽しそうであった。
「『セルク・ラグナロク』はセルク最後の作品。資料によれば、描き上げたのはセルクの死ぬ五年前だった」
「それは俺も知っている。セルクが自らの死期を悟って描いた作品だとされているな」
プロ鑑定士からすれば、至極常識的な話である。
「とても教科書通りの知識だね。でもね、果たして、本当にそうだったのかな。私はそれが本当だとは思わない」
「どういうことだ?」
「セルクは、本当に死を悟ったのだろうか」
「……どうなんだろうな」
「セルクの死に未だに不明な点が多いわよね。自殺説もあるし暗殺説とかもある」
アムステリアも、セルクの死について諸説聞いたことがあると話す。
「『セルク・ラグナロク』は、死ぬ五年前に描いた。でもセルクほどの絵描きのこと。残りの五年間にまったく絵を描かなかったというのも、なんだかおかしい話」
「体調が悪くなったと考えられないか?」
「もちろんそれも考えられるけどね。でも、こう考えられないかな。セルクはもう絵画を描くことに興味がなくなったと」
「興味がなくなった、か」
「それは何も絵画だけじゃない。もしかしたら、この世の全てに興味がなくなったのかも」
「…………」
その言葉に、アムステリアが黙り込んだ。
「……アムステリア?」
「……一緒ね。奴らと」
「うん」
「奴らというと、『異端児』とかいう連中のことか」
「この世界に興味がなくなった、か。確かにそう思っていたかも知れない。……ルミナスがそうだったから」
「……そうか」
この世界への飽き、失望、無関心。
ルミナステリアこそ、そのもっともたる例かもしれない。
「お前さっき、『異端児』の連中の目的を言ったよな。『この世界を楽しくするって』」
「あれさ。私にもどういうことかよく分からないんだよね。でも皆常々口にしていたよ。この世界はつまらないって」
「セルクもそう思っていたのかしら」
「どうなのかなー。でもそう考えると、この絵画には何らかのメッセージが込められていると思うんだ。だって怪しいとは思わない? この絵画、何故か龍が描かれているんだよ? 他のセルク作品には、あまり龍は題材にされていないのに」
「龍、か」
ちらりとフレスとニーズヘッグの方を見る。
なんだかもの欲しそうにフレスを見つめるニーズヘッグに対し、フレスはその存在すら興味がないと言わんばかりに無視して本を読み耽っていた。
「青、赤、緑、紫。そして黄色の五体か。なんだかフレス達のことを書いている気がするよ」
フレスやサラー、ミル、そしてニーズヘッグ。
黄色の龍など聞いたことはないが、フレス達が存在するのだ。いないことはないだろう。
「そういえば前にフレスは龍は全部で五体いると言ってたな」
考えれば考えるほど、この絵画の謎は深まるばかりである。
「とまあこの絵画って色々と怪しいじゃない? だからウェイルに持ってきたんだ。龍のパートナーなら、この絵画について色々と考えることが出来そうだからさ」
ウェイルはふと感じたことがある。
フロリアの言う「この絵画は普通の絵画じゃない」という意味が、なんとなくだが理解できた気がした。
それは初めてフレスの絵画を見たときと同じような感覚。
見逃してはならないメッセージのようなものを感じたのだ。




