潰れた『不完全』
「へぇ、フレスがねぇ……」
「ああ、俺も未だに困惑しているよ」
両手でマグカップを持つアムステリアが、ジーッとフレスの方を見つめる。
対するフレスと言えば、そんなアムステリアの視線など全くお構いなしに、ウェイルの膝の上に座って本を読んでいた。
「……だからと言って膝の上に乗せているウェイルもどうかと思うけど」
「仕方ないだろう。追い払ってもすぐに乗ってくるんだから。もう諦めた」
ふぅ、と嘆息すると、本から顔を上げてフレスが見上げてくる。
「たまには良いではないか。我はこういう機会でもないとお師匠殿と戯れることは出来んのだからな」
「腹は立つけど、この子が相手じゃ私も骨が折れそうだし。いいわ、少しの間だけみたいだし見逃しましょう」
「ありがたいことでございますよ」
二人してズズーッとカップのコーヒー(ウェイルは紅茶だが)を啜る。
「久々にゆっくりできるな……」
「そうかもね」
落ち着いた時間を満喫する二人であったのだが。
「――いや、違うでしょ!?」
ハッと我に返ったアムステリアがカップを置いた。
「こんなにゆっくりしている時間はないんだってば!」
突如ガタッと立ち上がるアムステリア。
そういえば、なんだか入ってきた時は切羽詰った感じであった。
「何があったんだ? 朝っぱらから騒々しかったな」
「こいつが裸で寝ていたせいで話すタイミングを失ったんじゃない! どうしてくれるの!!」
「我が悪いと申すか。……うむ、まあ知らぬ人が見れば驚く光景ではあったかも知れんな」
「いや、知ってる仲の俺が一番驚いたっての」
「いいからウェイル! しっかり訊きなさい!」
今度こそといった様子で、アムステリアは指を一本、ウェイルの前で突き立てた。
「――『不完全』が潰れちゃったのよ!!」
「……は?」
一瞬、この場の空気が止まる。
「……何言ってんだ、お前」
今、唐突に意味不明なことを聞いた気がした。
「『不完全』が潰れただと? 一体何の冗談だ? あんな巨大な組織が簡単に潰れるわけがないだろう。潰れるとしても最初に何らかの予兆があるはず」
「だから本当に潰れたんだって!」
「信じられるか! あいつらは俺の仇なんだぞ! 下手な冗談は止めろ!」
性質の悪い冗談だ。そうに違いない。
だがウェイルとて、アムステリアが嘘を吐くなんてあるわけないとも判っていた。
正直な話、信じられなかったのだ。
「それが本当に潰れていたんです。ウェイルさん」
「その声は……イルアリルマか!?」
誰かさんが蹴破ったドアから、一人のハーフエルフが入ってきた。
彼女の名前はイルアリルマ。
フレスやギルパーニャと共にプロ試験に合格した鑑定士である。
「失礼しますね」
「あれ、来ちゃったの?」
「ええ、だってアムステリアさん、遅すぎるんですもん。あ、フレスさん、お久しぶりです」
「うむ。ハーフエルフの女だったな。久しぶりだ」
「あれ……? フレスさんの印象が全然違うんですけど」
「ああ、それについては後で詳しく話す。とりあえず棚上げしておいてくれ」
「え、あ、えーっと……、はい。判りました。続きを話しますね」
やけに偉そうに、それでいていつものようにウェイルに甘えているフレスに、イルアリルマも困惑の色を隠せない。
「ここしばらく、ウェイルはマリアステルにはいなかったですから、状況を知らないと思いますので説明しに来たんです。贋作士集団『不完全』が本当に姿を消したことを」
「…………本当の話なのか……」
彼女はプロになる前から贋作士集団『不完全』を追っていて、晴れてプロになった彼女は、ずっと『不完全』の捜査を続けていたと聞く。
あれだけ『不完全』のことを憎んでいたイルアリルマがそう言うのだ。間違いない情報なのだろう。
「世間の話題が教会戦争一色になっている中、私はアムステリアさんの協力の下、『不完全』のアジトに潜入する極秘作戦を立てたんです」
「……なんて危険なことを……」
「私が付いているから、大丈夫よ。ウェイルより私の方が強いんだし」
「それはそうだが……」
アムステリアが『不完全』を脱退し、プロ鑑定士協会に入った時、彼女のもたらす情報により、敵のアジトの場所はある程度特定できていた。
しかしながらプロ鑑定士協会がアジトに踏み込むことが出来なかったのは、単に敵が危険すぎる存在であるからという理由だけではなかった。
問題はアジトのある都市にある。
「『ルーテルストン』に乗り込んだのか……。あそこはどんな様子だった?」
「そうね。まあいつも通りだったわよ。でも私が当時住んでいたリグラスラムの『ジャンクエリア』よりはだいぶマシだったけど」
「『ジャンクエリア』と比べる時点で相当凄いけどな……」
「おい、ウェイル。るーてるすとん? ってなんだ?」
本を閉じて見上げてくるフレスが聞く。
「アレクアテナ大陸唯一の、治外法権地帯のことだよ」




