神器『無限龍心―ドラゴン・ハート―』
「イング様? 先にリューリクを持って帰っていて下さい。私がお姉様を止めますから」
「うん、そうして貰える? あ、そうだ。ルミナス、頼みがあるんだけど、帰ってくる前に、誰かの心臓を取ってきて欲しいんだ。それをリューリクに埋め込めば、リューリクは動くことが出来るようになる」
「本当ですか!? でも、その人、死んじゃいますよね? 大丈夫なんです?」
「大丈夫大丈夫。僕等は贋作士だからね。当然代わりの心臓を持ってきているよ」
イングが取り出したのは、鈍く赤く光る、心臓の形をした神器だった。
「ほら、この神器『無限龍心』を埋め込めば、埋め込まれた人間は心臓が要らなくなる。それどころか身体は人並み以上に丈夫になるようだよ。そうだ! 君のお姉さんに、これをプレゼントしたらいいよ。これまで迷惑を掛けたお返しにさ」
「それ、名案です! お姉様、リューリクの為に、その心臓をくださいな♪」
「何頭イカれたこと言ってんの……!?」
もう、アムステリアの我慢は限界だった。
妹のルミナステリアは、この気持ち悪い男イングの、操り人形と化している。
なんとしてもイングをここで殺さなければ、ルミナステリアは二度と普通には戻れない。
「リューリクの遺体を持っていかせはしない」
アムステリアは起きて、着の身着のまま外へ出たため、何も武器を持っていない。
目の前にはナイフを持ったルミナステリアに、神器を持っているであろうイング。
やるなら命懸けになる。勝つ見込みなど薄いだろう。
「よいしょっと」
イングはリューリクの身体を担ぎ、アムステリアのことなんて無視して持っていこうとする。
「てやあああああっ!!」
それがアムステリアには許せなかった。
あの男を蹴り飛ばして、リューリクを取り戻さねば。
目標はイングただ一人。ルミナステリアには手を出したくない。
ルミナステリアを避けて、イングへと突っ込み、アムステリアは蹴りを入れた。
(――捉えた――!!)
――はずだった。
だがアムステリアの蹴りは、無情にも空を切る。
「…………どうして……!?」
今、自分の蹴りは完璧に敵を捕らえたはずだった。
しかし目の前にイングはいない。
どこへ行ったか、周囲を見渡す。
「どこへ……!?」
「ここだよ?」
声がしたのは、なんと上空だった。
見るとイングの身体が、ほんのりと輝いている。
咄嗟に悟る。これは神器が発動する時に光る、魔力光だと。
イングの背には、何故か黒い翼が出現していた。それで咄嗟に空へと逃げたのだ。
「あら、イング様ったら。またコレクションが増えたのかしら?」
「コレクション……!?」
「ええ。多分大型の鳥型神獣の死体ね、あれ」
「神獣の死体ですって……!?」
イングが死体収集愛好家であることは『不完全』でも有名な話であったが、まさか神獣の死体まで集めているとは思わなかった。
そしてその死体を自由に操れるとも、知らなかったのだ。
――だからこそ、アムステリアは心臓を失うことになる。
「さあ、ルミナス! 大切なリューリクを取り戻したいなら、お姉さんの心臓を取らないとね! 大丈夫、僕が手伝ってあげる」
「……くっ!」
上空から見下ろしてくるイングを、恨めしそうに睨むアムステリアは、この時自分の足元の警戒などしてはいなかった。
「……え!?」
土が突如として盛り上がり、アムステリアは何者かに足を掴まれた感覚があったのだ。
「な、なんなの、これ!?」
地面から次々と手が生えてきて、アムステリアの足を掴んでいく。
「は、離しなさい!」
自慢の蹴りで、何とかその手から逃れようと試みるも、その手の握力は尋常ではなく、それも数が膨大であったため、アムステリアは動くことすら出来なかった。
「さあ、ルミナス。お姉さんは拘束したよ? 後は、心臓を貰うだけだ」
「ありがとうございます、イング様。後はやっておくので、先に帰っていてください」
「そうするね」
イングはリューリクの体を空へ向かって投げると、その体に対して、腹を向けた。
イングの腹から、巨大なリングが飛び出ると、リングはリューリクの身体を吸い込んでいく。
「リューリク!!」
アムステリアの叫びも空しく、リューリクの遺体はイングの身体へと収まっていった。
「じゃあね~」
にっこりとこちらに手を振ると、イングはそのままどこかへ飛んで行ってしまった。
「さあ、お姉様。心臓を頂戴しますね。大丈夫、代わりのこの神器をあげるね。私、お姉様を殺すことなんて出来ないから」
「ルミナス、止めなさい……!! もう、リューリクは戻ってこないのだから……!!」
ルミナステリアは、少しだけ憂いた表情を浮かべていたが、今度は一気に表情をしかめていく。
「違う! リューリクは戻ってくる! 私はこの十年以上、それだけを願って生きてきた! そしてようやくリューリクを助ける方法を見つけることが出来た!」
「イングはただの死体収集家よ。リューリクのことを大切に思っているわけじゃない。ただのコレクションとしか見ていないのよ!? そんな男を信用するの!?」
「だって、それしか方法がないんだから!!」
はぁ、はぁ、とルミナステリアが息を切らす。
ルミナステリアがこんなに大声を出したのは、リューリクが亡くなったあの日以来だ。
そして改めて悟った。
ルミナスは、本当にリューリクのことを愛していたのだと。
愛し過ぎて、恋焦がれすぎて、リューリクを失った朧月は、狂ってしまった。
「ルミナス。これが最後にするわ。止めなさい。リューリクの為にも」
アムステリアは、最後の望みを賭けた。
これでも聞いてくれないのであれば、もうどうしようもないと思った。
ルミナステリアは本気だ。
これまでの異常な行動も、全てはリューリクのことを想っての、ただそれだけの行動だったのだ。
「……私はただ、彼に会いたいだけ。もう一度、彼と会って、話がしたいだけ。私と、”お姉ちゃん”と、リューリクの三人で、もう一度仲良くパイを食べたい、ただそれだけなの……」
「……そう」
ルミナステリアは、改めてナイフを向けてきた。
心臓の上、アムステリアの形の良い胸の上を、ナイフがなぞっていく。
だが不思議とアムステリアに恐怖はない。
ただ『ならば仕方ないと』そう思ってしまったのだ。
ルミナステリアの今の台詞、アムステリアを『お姉様』ではなく『お姉ちゃん』と呼んだ。
その二人称が酷く懐かしく、そして当時を思い出して、切なくなった。
「……好きに、しなさい」
もう、止める必要もない。ルミナステリアに止まる気など、最初から無いのだから。
「ごめんね、お姉ちゃん」
ナイフが、アムステリアの胸に突き刺さる。
それと同時にルミナステリアは神器を発動させていた。
その影響だからだろうか。
心臓をえぐられているというのに、全然痛くなかったのだ。
それどころか心地がいい。
例えるなら運動した後、水を浴びて、すぐにベッドに横たわる感覚。
全身が気持ちの良い疲労に包まれて、意識を手放すかのごとく眠りにつく。
そんな感覚が強くなった感じだった。
――無意識に思う。
自分はもう、人間の枠を超えたのではないかと。
心臓が抜かれたのが判った。それと同時に、神器が入ってくるのも分かる。
入れられた神器は、不思議と最初からそこにあったかのようにしっくりとくるもので、しかもアムステリアの肉体に劇的な変化をもたらし始めた。
身体中に、力が満ち溢れてくる。
人間の心臓が、どれほど脆弱なものだったのか、今ならよく理解できる。
代わりに入った神器は、人間の心臓とは比べ物にならないほどタフで、身体全体を強化してくれた。
「……お、終わったの……?」
「ええ、終わったわ、お姉様」
二人称が元に戻ったことに、少し落胆する。
「心臓を抜かれたんだもの。お姉様、少し休んだ方がよくってよ」
「余計なお世話よ……」
とはいえ、限界に近いのは間違いない。
確かに肉体が強化されたという実感はあったのだが、いかんせん、頭がボーッとする。
それもそのはず、周囲は真っ赤に染まっている。
出血が多すぎたのだ。
「ありがとう、お姉様。ゆっくり休んで」
意識を失う直前のルミナステリアの顔には、涙が浮かんであった。
――●○●○●○――
アムステリアが目覚めたのは、それから三日後の、ベッドの上でのこと。
「ルミナス……」
律儀にも妹はあの後、自分をベッドへ運んでくれたようだ。
あの神器の影響だろうか。体調はすこぶる良い。
胸を見てみると、刺されたはずの心臓の傷など、どこにも見当たらなかった。
改めて、胸に入った神器の強さを感じる。
「……決めた」
アムステリアは決断した。
私は、今日限りで『不完全』から脱退すると。




