テメレイアのレクイエム
「レイア殿。よく生きていましたな」
「僕はつくづく友人に恵まれていてね。この命、そう簡単には散らせられないようだよ。そして今度は僕が友人を助けてあげる番なんだ。さあ、イルガリ。覚悟してくれ」
アルカディアル教会総帥、イルガリ。
ミルを操り、一度はテメレイアを殺しかけた宿敵。
「フハハハハ!! ……左様ですか。しかし、どうする気ですかな?」
「君を倒してミルを元に戻す。それだけだ」
「いいのですか? 私を殺せば龍姫様は元に戻らないかも知れませんよ」
「だから倒すって言ったのさ」
最初に動いたのはフレスベルグ。
『――時間を止めてみせよう』
蒼白い輝きと共に、ミドガルズオルムの翼の周りには冷たい冷気が集中していく。
『――凍てつけ』
その掛け声の瞬間、ミドガルズオルムの翼は一瞬の内に凍りついた。
『…………!?』
翼を凍らされてはミドガルズオルムも身動きが取れなくなる。
とはいえ、そもそも龍は翼だけでなく魔力によっても浮いているので、翼が動かなくなったから即墜落、というわけではない。
だがその動きは著しく制限される。
『今の内だ、時間はあまりない!』
フレスベルグの氷はミドガルズオルムの動きを封じたが、大地の力を使うミドガルズオルムに氷の力はそこまで効果的とは言えない。
よって氷の封印もあまり長くは持たない。
フレスベルグの作り出してくれた僅かな時間で、決着をつけなければならない。
「お前と話している時間はない。さっさと決着をつけさせてもらう」
ウェイルが氷の剣を精製して腕と融合させると、イルガリに切り掛かった。
「龍姫様。私を守りなさい」
翼が凍りつかされ、動きの取れないミドガルズオルムであるが、魔力の行使は問題なく行えるようだ。
イルガリの元へ向かうウェイル達の前に、うっそうと生い茂る草木が現れる。
「頼むぞ、サラー!」
『任せておけ。その程度、我が炎の前には壁にもならん』
ウェイル達が走りを止める必要なんて、どこにもなかった。
何故なら次々と現れる邪魔な草木は、全てサラマンドラが焼き払ったからだ。
「なぬ……!?」
「お前を守るものは何もないってことだ」
一気にイルガリへと詰め寄ったウェイルは、氷の剣をイルガリの首元に突き付け、テメレイアも神器封書を片手に、イルガリの背後に立ち塞がった。
「イルガリといったか? チェックメイトだ。ミドガルズオルムを操っている神器を渡してもらおう」
「りゅ、龍姫! こいつらを!」
『無駄なあがきだ』
ウェイルらの周囲には、サラマンドラの炎が逆巻く。
今更ミドガルズオルムが何をしようと、それこそフレスの氷が解けて動き始めようと、もう全てが遅い。
だが、イルガリは最後まで抗うつもりらしい。
「待て、私を殺せば龍姫は元に戻らんぞ……!」
「そんなこと百も承知だと何度も言ったよね?」
「だからこうして生かしているんだろう? もっとも、生かしておくだけだからな。この意味、理解出来るな?」
「……クッ」
流石にイルガリも、この状況になっては表情から余裕が消える。
ウェイルとテメレイアの気迫に、命の危機すら感じほどだった。
「素直に神器を出せ。そうしたならお前の身は司法に委ねる」
「…………仕方ありませんな」
イルガリは案外素直にそう答え、己の指にはめている指輪を、指から抜いた。
その際も二人には油断はない。
むしろ精神介入系神器だということで、敵に操られないようにと身構えていたほどだ。
だがその強固な身構え方が仇となる。
イルガリの咄嗟の行動に、一瞬だが遅れをとることになる。
「こうしてしまいましょう」
「「なっ――!?」」
何が起こったのかというと、イルガリはその指輪を指から抜くや否や、それを口に入れ、飲み込んだのだ。
「さあ、これで龍姫を救うには私を殺すしかなくなりましたな」
ゴクリと指輪を飲み下したイルガリは、してやったりと笑みを浮かべた。
しかし、その行動を見た二人は、冷ややかな視線をさらに冷たくする。
――どうやらイルガリは、何か勘違いをしているようだ。
「君は馬鹿だね。本当に馬鹿だよ、イルガリ」
「な、何がだ……!? 変な脅しは止めろ。こうなった以上、何の意味も成さん」
「お前さ、勘違いしてるよ。俺達がお前を殺さなかったのは、お前が持つ神器がどのような形で、どこに隠しているか判らなかったからだ。下手をして神器を破壊してしまったら困るからな」
「ど、どういうことだ!?」
「だからさ、イルガリ。僕らは別に君を殺すことに制約があったわけじゃない。困るのは神器が破壊される可能性だけさ。つまり君を殺すこと自体には、何ら制約はないのさ」
目的はミルを操る神器を、破壊せずに回収すること。
神器さえ回収すれば、後はテメレイアがミルの洗脳を解除すればいいだけの話。
「要は神器さえ無事なら、君はどうなってもいいんだよ」
「なっ…………!?」
せせら笑っていたイルガリの顔が、サーっと青くなっていく。
「……そうですか。ならば……!」
ここまで追い詰められて、すでにイルガリは半分自棄になっている。
およそこれまで自分の行動が失敗したことがなかったという自信が、彼を最後の暴挙へと駆り立てた。
こともあろうにこの場面で、持っていたもう一つの神器『精神汚染針』を取り出して、ウェイルの方へ向けてきたのだ。
「こいつ、まだ神器を――!?」
イルガリの持っている神器は一つだと思っていたウェイルに、この動きは想定の範囲外。
神器の影響を受けまいと、剣を下げて身を引き、どんな攻撃が来てもいいよう、剣を盾にして構えた。
「無駄です! こいつも精神介入系神器でしてね!!」
「それも精神介入系かよ……!! 何個持ってんだよ……!!」
『精神汚染針』は、龍に対しての効果はほとんどないが、人間に対しては十分な効果を発揮する。
あまりにも突然な出来事なのと、取り出された神器がまたも精神介入系であることに、ウェイルは実質追い詰められていることになる。
すでに神器を構えられている以上、こちらも下手には動けない。
敵の手を切り落とせればいいのだが、それよりもイルガリの神器発動の方が早いだろう。
「……クッ」
「次は貴方が我が右腕となりなさい!!」
イルガリが『精神汚染針』を構え、発動しようとした――その瞬間。
「――君には普通の死すら生ぬるい……!!」
――その声は、闇よりも深く、氷よりも冷たかった。
「――んぐぐっ!?」
イルガリは、突如として口を塞がれた。
ただ塞がれただけではない。
口の中に何かを入れられていた。
「……絶対に、許さないよ……!! 僕の大切なウェイルを操ろうとするだなんて……!! ――万死に値する!! 君には、僕の知る中で最も惨たらしい死がお似合いさ……!!」
「んぐんぐ……!?!?」
イルガリの口を塞いだのは、テメレイアだった。
そしてテメレイアの手には、光り輝く神器の本『神器封書』がある。
「残しておいた最後のガラス玉。まさかこんなことに使うとは思わなかったけどね……!!」
テメレイアがイルガリの口の中に入れたのは、最後まで残しておいたガラス玉。
「もご、もご!?」
口を押えられてまともに喋れないイルガリ。
可哀そうなことに、イルガリの最後の言葉は、聞き取ることすら出来ないものであった。
「――死になよ」
テメレイアは、優しく詩を歌っていく。
それは、まるで彼に対する鎮魂歌のように。
意味も言葉も判らぬ神の言葉を、ひたすらに紡いでいく。
イルガリの口の中から、溢れんばかりの魔力光が弾けた。
テメレイアはそっと手を離し、最後の一小節を歌い上げた。
その瞬間――アルクエティアマインの空に、小規模な爆発が起こった。
「――自業自得、だよ? ねぇ、イルガリ……?」
首より上が粉々に砕け散った躯に対しても、テメレイアの目は冷ややかだった。
助けられたウェイルであったが、今のテメレイアの表情はとても恐ろしく、胸が冷たくなったという。




