ミルのトラウマ
想定以上の魔力に、思わず竦んでしまいそうだったイルガリだったが、それでも憮然とした態度を保てたのは、切り札を持っていたからであった。
ポケットの中に入っている、二つの神器。
1つは精神操作系神器の中でも、人間程度しか操ることのできない低レベルな神器『精神汚染針』。
そしてもう一つが真の切り札――神器『精神従属玉』。
(精神従属玉さえ発動できれば、全てが終わる……!)
イルガリが神器を取り出そうとして、素早くポケットを弄った――その時。
「貴様はいい加減に恥を知るべきぞ」
「なっ……!?」
イルガリは腕に強烈な圧迫感を覚えた。
「根だと……!?」
「手癖の悪さは命を落とすぞ? イルガリ」
「……グググ……!!」
ミルは巨大な樹木を召喚して、その根でイルガリの腕を拘束した。その腕を砕かんとガチガチに締め付けたのだ。
苦痛に顔を歪めるイルガリに、ミルは冷たい笑みを向けながら、近づき耳打ちした。
「貴様がわらわの魔力を封じたことは別にどうも思ってはいない。レイアが献身的に世話してくれたおかげで、怒りも消え去った。だからこそ貴様らに何されようとも何も言わなかったのじゃ。しかしそのレイアがいない今、別に貴様らに従う必要もない。そのポケットの神器で何かしようとしたのじゃろうが、わらわを出し抜こうなぞ千年早いわ」
「……クッ……」
右腕の感覚が消え去っていく。
骨が砕ける前に、まず腕が弾けるだろう。
(……もう右腕はいい。どうにかあれを、あれさえ出せれば……)
イルガリの切り札、精神介入系指輪型神器『精神従属玉』。
無闇やたらに能力を発動させないように、指にははめずポケットに入れていた。
幸い、それは左のポケットに。
(……隙を見て使うしかない。こいつさえ操れれば右腕はどうなろうと修復可能だ)
「イルガリ。もうよい。貴様に聞いても無駄そうじゃ。わらわは自分でレイアを探す」
そのセリフの意味、それは死の宣告である。
だがその時、ミルには幾ばくかの油断があった。
何せ相手は右腕を壊された、龍の自分から見ればゴミクズのような相手だ。
切り札の神器も封じた。後は一思いに殺すだけ。
そんな圧倒的な優位な状況に、少しだけ油断をしてしまっていたのだ。
だからこそ、ミルは一瞬視線を床に落とした。
その隙をイルガリは見逃さない。
(――機だ)
イルガリはすぐさま左手でポケットをまさぐり、真紅の宝石のついた指輪を左手の人差し指にはめた。
「龍姫様、これが何かお分かりですかな?」
ミルはイルガリの咄嗟の行動に、本来であれば即座に反応して、イルガリの持つ神器を破壊しにかかっただろう。
だが、目の前に突き付けられたその神器を見て、ミルの時間は停止した。
「なっ……、なっ…………、なぜ、そ、その指輪が……!?」
ミルは小刻みに震えていた。
イルガリはまだ力を行使していないのにも関わらずだ。
「それだけは、それだけはやめろ、やめるのじゃ!!」
狼狽えるミル。尋常ではない怯え方だった。
突如として泣き出し、目を瞑って耳を塞ぎ始める。
「や、やめ、やめて、やめ、やめて、やめ、や、やめて……」
ブツブツと何かを呟き、目を見開いて、頭を抱えている。
イルガリの右腕は解放された。
ミルの錯乱っぷりに、イルガリはしめしめと笑みを浮かべていた。
「龍姫様? いいんですか、これを使って」
イルガリは直接的にはミルの制御は出来ていない。
『魔王の足枷』もいつ限界を迎えるか判らないものであったし、テメレイアがいなければミルと話すら出来なかっただろう。
だからこそ徹底的に過去の文献を調べ、ミルの弱点を探していた。
そして発見したのだ。
ミルが『狂い荒ぶる大地の龍神』と呼ばれるに至った原因となった事件のことを。
「貴方の大切な人達がまた一人、悲惨な死を遂げていく。ある雨の夜と同じようにね」
「いやだ……、あの夜のことだけは、いやだ……」
精神介入系神器は、とても強力な力を持っているのには間違いないが、その発動条件が非常に厳しいことが多い。
特に他人の精神の操作なんてものは、正常な相手には何ら効果はない。
相手を動揺させ、心が張り裂けそうな状態になってこそ、操作できるようになるというもの。
だからこそ、これまでイルガリは恐怖や心酔といった人の操りやすい部分を用いて、人間を操ってきた。
人間相手でも難しいのだ。
ましてこの度の相手は龍だ。生半可なことでは精神を揺るがすことは出来ない。
だからこそ、このミルのトラウマの元凶たる神器を探し出し、見せつけてやったのだ。
「いえいえ、悲劇は続くものです。テメレイアも、結局あの夜と同じように死ぬことでしょう」
「…………」
トラウマによって絶望に浸ってしまったミルは、最後の方はもう言葉すらも発することも出来ない状態だった。
これならもう、ミルを操ったも同然である。
「さあ、龍姫様。私の計画を手伝っていただけるなら、テメレイア様も助けることが出来ますよ」
そんな甘い言葉を最後に、イルガリは神器を発動した。




