愛おしき弟子
「『不完全』とは、どうやって接触した?」
「わ、判らないのだ……」
「おいおい、判らないはないだろう?」
「ほ、本当だ!」
「この期に及んでしらばっくれるか。知ってるか? プロ鑑定士には贋作士や詐欺師を尋問する時、肉体的懲罰を与えてもよいという権限を持っている。この意味は判るな? 正直に答えろ」
「ほ、本当に分からないのですよ!」
「ふざけるな!!」
あたふたするだけで何も答えようとしないバルハーの態度に、ウェイルの怒りは限界を超えた。
バルハーの手を取って指を掴み、そのまま握力をギリギリと強くしていく。
そして骨が折れる生々しい音が鳴り、苦痛でバルハーは絶叫した。
「ぎゃああああああああああぁぁぁぁぁっ!!」
「さぁ、答えろ」
「ぐぐぐ……で、で、ですから、ほ、本当に! 本当に知らないのです! 気がつけば『不完全』からの使者が部屋の中にいて、儲け話があると提案されただけなのですから!!」
「その時の契約の内容は!? 契約した相手の名前は!? 姿形は!?」
「…………ッ!」
ウェイルの尋問に、バルハーは脂汗を浮かべながら黙秘を続けた。
その態度に、ウェイルの憤りはさらに加速していく。
「早く答えてくれ。さもなくば――死ぬぞ?」
「ぐぎぎぎぎいいいぃぃぃっ!!!!」
ウェイルは、バルハーの足を思いっきり踏み潰す。
さらに痛みで顔の下がったバルハーの顔面に、躊躇いなく拳をぶち込んだ。
「――ウェイル、止めて!! そんなことしたら、この人、死んじゃうよ!!」
ウェイルの暴行を、フレスが抱きついて止めに入る。
だがウェイルは、フレスの言葉に聞く耳を持たない――いや、聞こえてすらいない。
ウェイルにとって、この世で最も憎い敵の情報がここにあるのだ。何をしてでも手に入れてやると、心の奥底から黒く染まっていく。
今のウェイルに、容赦という言葉はなかった。
「――早く答えろ」
ウェイルの鬼迫に気圧され、精神的にも観念したバルハーは、少しずつ言葉を吐き出していった。
「……け、契約はラルガポットの贋作製造と魔獣『ダイダロス』の召喚、そして悪魔の噂を流すことです……!」
「見返りはなんだ?」
「に、妊婦です……! 私にはよく理解できませんが、ともかく妊婦を差し出せとのことで……それ以上あいつらが何をするつもりかは判りません……!」
「……なるほど。それでシュクリアを報酬に充てたってわけか」
生きた人間が報酬だなんて、非人道的にも程がある。
『不完全』の目的が一体何にしろ、ウェイルの怒りは更に激しくなっていく。
「それで契約を交わした相手の名前は!? 姿形は!? 今どこにいる!?」
それこそが最も重要な情報だ。『不完全』を探す最大の手掛かりとなる。
「答えろ」
「言えません……!」
「何故だ?」
「言ったら殺されてしまいます!!」
「いいから答えろ」
「…………」
これ以上は絶対に喋らない。口を堅く結ぶバルハーの表情は、そう訴えていた。
「――判った。答える気がないなら、答えたくなるようにするだけだ」
ウェイルがバルハーの首に手を掛けた。
ギリギリと首が絞まり、このままだと窒息してしまうだろう。
ある程度バルハーがもがいたところで、スッと力を抜く。
「ごほっ、ごほっ……!」
「答える気になったか?」
「だ、誰が、お前みたいなクソ鑑定士なんかに……!!」
「そうか。つまり死ぬ覚悟が出来たってことだな?」
「うぐ――!?」
もうウェイルに力を緩める気はなかった。
ギリギリと首が絞まり、バルハーは白目をむき始めた。
その時――
「ウェイル、だめーーーーーーーーっ!!!!!」
――フレスが大声で叫び、ウェイルの手にしがみついた。
「放せ、フレス」
ウェイルは首を絞める力を更に強める。
「ダメ!! ウェイルは鑑定士でしょ!? 鑑定士は拷問までするの!?」
「摘発・逮捕も職務のうちだし、尋問をする権限もある。贋作士を追う際に、犯人が死ぬなんてことはよくある話だ。それに今までこいつのせいでどれだけの人間が傷ついてきたと思う? こんな奴の身を案じる必要はない。何も話さないなら死んで当然の人間だ」
「……違う! このままじゃ、ただの殺人になっちゃうよ!! ウェイルは殺人するために鑑定士になったの? 殺人の手伝いをさせるためにボクを弟子にしたの!?」
フレスの慟哭に近い叫びを、ウェイルはただ黙って聞いている。
「違うよね! ボクの師匠は正義感溢れる鑑定士なんだよ。ルークさんもそう言ってたんだ!」
フレスの言葉は、ウェイルの心に反芻していく。
だがそれでも、ウェイルの憎悪の炎は消えそうにない。
「お前だって復讐したい相手がいるんだろ……!? なら俺の気持ちは判るはずだ……ッ!!」
ウェイルの口から本音が漏れた。
それを聞いたフレスは、ハッと目を見開いて動揺していたものの、
「判らないよ!」
と、力強く否定した。
いつの間にかフレスの目には大粒の涙が溜まり、零れ落ちて床に染みを作っていく。
「ボクにだって、復讐したい相手はいるよ! でも今のウェイルがやっているのとは違う! だって、ウェイルは復讐に関係のない人まで殺そうとしているんだよ!? そんなのは絶対に間違っているよ!! もしその人を殺しちゃったら、ウェイルもその人とやっていることは同じだよ!! ボクは後悔しているんだ! もしあの時、ボクにもっと皆を守れる力があったら! もしあの時、ボクに死ぬ覚悟があったら! 今頃ボクの大切な人達は、幸せに暮らしていたはずなんだ! ボクなんかと関わらなければ良かったんだ! だからボクは、もう関係ない人を巻き込むことは絶対に嫌なんだ! ボクのせいで関係のない人が傷つくのは、二度と見たくないんだよ!!」
フレスにも過去がある。
誰にだって他人に触れられたくない過去があるのだ。
それは人だって龍だって、変わりは無い。
「……お願いだよ。ウェイル……!!」
フレスはウェイルを背後から、そっと優しく抱きしめた。
「帰ってきてよ、ウェイル……。ボクを一人にしないでよ……。ボクを立派な鑑定士にしてよ……!!」
この言葉が、ウェイルの何かに突き刺さった。
ウェイルは自分の中の憎悪の炎が弱まっていくのを感じる。
「――帰ってきてよ……『師匠』……!!」
「――――クソッ! クソッ!! クソォォォォォォォォォッ!!!!」
――ウェイルは天井を仰ぎ、咆哮した。
ウェイルはバルハーから手を放す。
まるで呪縛から解き放たれたように。
憎悪の炎はもう消えていた。
自然と言葉が漏れる。
「……そうだったな。俺は正義感溢れる鑑定士で、そしてお前の師匠だったよ」
うん、うん、と、フレスは抱きついたまま何度も頷いた。
そんなフレスの頭を、ゆっくりと撫でる。
何故だろう。フレスのことをとても愛おしいと思った。
『不完全』に対する怒りが、心の中から徐々に消えていくのが判った。
「ごめんな、フレス」
「……許さない」
フレスは涙でぐしゃぐしゃになった顔を真っ赤にさせて、頬を膨らませた。
その顔は怒っているが、とても嬉しそうにも見える。
嬉しいと思っているのはウェイルも同じだった。
「どうしたら許してくれる?」
「……二つ、約束して。復讐に関係のないことで、絶対に人を殺めたりしないこと。もう目の前で、人が死ぬのは嫌だよ……!」
「……ああ、判った。約束する」
正直、守れる保証はどこにも無かった。
『不完全』という組織に対し、今までずっと冷酷に徹していたからだ。
しかし、フレスの前では了承の言葉以外、出てこなかったのだ。
「後の一つは……?」
「クマの丸焼き……で、許してあげる」
「……そ、それは難しい約束だな……」
「守って、くれる?」
「ああ。約束する。だから許してくれ」
「……うん!」
そこで見せてくれたフレスの笑顔は、この二日間で見た彼女の表情の中で、もっとも可愛いものだった。
バルハーは気を失っていたが、微かに息があった。
しかし、もう虫の息でもある。
このまま放置すれば死んでしまう可能性だってある。
「ウェイル。名残惜しいけど、ちょっと退いてて」
フレスは一度ウェイルから離れ、バルハーの前まで屈んだ。
「こんな奴でも一応人間なんだ。だからボクの力で治してあげる」
「そこまでする必要があるのか?」
「このままだと死んでしまうよ。ボクはウェイルに殺人なんかして欲しくない」
フレスは一度祈るような仕草をした後、両手をバルハーの上にかざした。
「何をするつもりなんだ?」
「ボクの生命力を、少しだけ彼に分けてあげるの。龍の生命力は凄いんだ。あっという間に治っちゃうよ」
「そんなことをして、お前は大丈夫なのか!?」
「大丈夫だよ。これのせいでボクの寿命が縮む、ということは絶対にないから。そもそもね、ボク達龍には死という概念はないんだよ」
フレスの両手が青白い光に包まれていく。
とても優しい光だ。
青白き光は、やがて小さな玉となって、バルハーへと降り注ぎ、身体全体を包み込んだ。
ウェイルが折った指や足に光が集中し、瞬く間に腫れは引いていった。
「……治ったのか?」
「うん。とりあえず怪我は完治したよ。でも身体に受けたダメージが消えたわけじゃないから、当分は目を覚まさないよ。目を覚ます頃には、誰か来てくれてるよ」
そうか、と返事をしたウェイルは内心複雑な気持ちだった。
本当なら今すぐにでもバルハーを起こして、もう一度情報を聞き出したい。
だが、フレスはバルハーにこれ以上の尋問することを望んでいない。
今またバルハーを尋問するということはフレスを裏切る事と同義だ。それだけは絶対にしたくない。
今のウェイルは『不完全』に対する憎悪より、フレスに対する愛おしさの方が勝っていた。
今、自分のすべきこと。
フレスと共にすべき責務。
それは――鑑定士の職務だ。
「――よし、鑑定士としての仕事、始めるぞ」
「うん! それで、何やるの?」
「贋作の『破棄』だ」
――鑑定士の職務。
それは美術品を鑑定したり、贋作を破棄すること。
決して殺人なんかではない。
「破棄?」
「そうだ」
ウェイルは部屋中に置いてある偽ラルガポットが入った木箱を指差した。
「あれを全部壊すの?」
「なんだ、苦手か?」
「ううん、得意分野かも!」
フレスは目をキラキラさせている。
初仕事に、やる気に満ち溢れているようだ。
「いいか、二度と流出しないように全部ぶっ壊すぞ! 本来ならいくつかサンプルを持ち帰るところなんだが、贋作ラルガポットならまだルークのとこに大量にある。だからここの奴は全部ぶっ壊していいぞ!!」
「うっしゃあー! ボクに任せて! うりゃうりゃうりゃうりゃ~~!」
ウェイルの言葉を聞くより先に、フレスは景気の良い軽快な声を上げながら贋作ラルガポットを壊し始めていた。
「やっぱり仕事は楽しくやらないとね! ウェイル!」
偽ラルガポットを破壊して回るフレスは、実に楽しそうだった。
「そうだな。仕事は楽しまなくちゃな!」
「うん!!」
フレスの弟子としての初仕事は、実に賑やかなものとなったのだった。




