フレスの罪
召喚されたデーモンの出現は、アルカディアル教会の信条を考慮すれば予測できて当然ではあったのだが、いざ実際に本物に遭遇してみると焦りは止まらず、恐怖で胸はサーッと冷えていく。
治安局員の中には、全身が震え、腰を抜かす者もいるほどであった。
「おい、大丈夫か?」
ウェイルが手を差し伸べたのは、最初にデーモンに襲われそうになった腰を抜かした局員。
「え、ええ……だ、大丈夫、です」
「全然大丈夫そうには見えないぞ……」
強がってはいるものの、顔を恐怖でひきつらせ、顔色は真っ青だ。
彼の見た目はとても若い。実戦経験は皆無に近いのだろう。
人間と神獣の共存するこのアレクアテナ大陸ではあるが、その比率は圧倒的に人間の方が多い。
人間千人に対して神獣一匹。それでも多く見積もっているくらいだ。
いくら治安局に属していたとしても、現物の神獣や魔獣と対峙する機会など普通はない。
彼の反応は仕方ないと言えた。
「君らは、すぐに駐屯地に戻るべきだ」
ウェイルの提案に治安局員達は皆、静かに頷いた。
彼らはたった今、ウェイルとフレスの実力を見ている。
護衛、そして偵察としてついてきた自分達よりも、圧倒的に上回る力を持っている。
自分達が足手まといになることなど、百も承知していた。
「すまないが、俺達はここから単独行動に出る。あまり大勢で動いても敵信者や魔獣に見つかりやすくなるだけだからな」
「……そうさせていただきます。悔しい話ですが、我々の力ではお二方の足手まといにしかなりそうにない。我々はこれよりただちに駐屯地へと戻り、本部に状況を報告しようと思います」
「それがいい。治安局本部とてデーモンの召喚くらい想定しているだろうが、おそらくはその想定以上の数がいるはずだ。ソクソマハーツの制圧に動くなら早い方がいい」
ソクソマハーツをこれ以上放置すれば、現状以上に酷い状態となるのは火を見るより明らかだ。
それにもしここで召喚された魔獣が、この都市を飛び出して他都市へ侵攻を始めてしまったなら、被害は想像を絶するものとなる。
そうなる前にも、治安局はソクソマハーツを早急に制圧せねばならない。
魔獣を一匹たりとも、外部に出すわけにはいかない。
「俺達のことはいい。早く本部に報告しろ。それ相応の武力を持って作戦を開始しろとな」
「……判りました……!!」
そう返事をした局員達だったが、握る拳の力加減を見ても分かる通り、とても悔しそうだった。
彼らとて生半可な気持ちでここに来たわけではない。
この惨劇を見て、正義感の強い者ならば、どうにかしてやりたいと考えるはずだ。
その気持ちをウェイルはよく判るし尊重したいとも思う。
しかし、今はそうも言っていられぬ非常事態。
足手まといとなる可能性のある存在は、早いとこ切り捨てたいというのが本音である。
「出来る限り早く応援を連れて戻って来ます。鑑定士殿、どうか御無事で」
「心配ないさ。俺には頼りになる弟子がいるからな」
そう笑顔を向けると、彼らは申し訳なさそうに駐屯地へと戻っていった。
帰る途中に、魔獣に襲われないことを祈るだけだ。
「フレス、行くぞ」
「…………」
ウェイルが振り向き、そう声を掛けたのだが、どうにも返事がない。
「……フレス?」
見るとフレスの表情は暗いものだった。
「フレス、大丈夫か?」
「…………ボク達、とんでもないことをしていたんだね……」
フレスの脳裏には、先程ウェイルに言い掛けた言葉が反芻していた。
「フレス? おい、大丈夫か? さっきから様子がおかしいぞ!?」
「――えっ!? あ、うん」
何度か尋ねた後の、やっと帰ってきた返答。
どうもウェイルの思っている以上に、フレスは何かを深刻に思い詰めている様だった。
ようやくフレスの異変に気が付いたウェイルだったが、その異変の原因はすぐに理解できた。
「あのね、ウェイル。ボクね……!!」
「ミルを助けるぞ」
「……え……?」
自分の告白を遮った突拍子もない言葉に、フレスは目を丸くした。
「ウェイル、ボク!」
「フレス。罪の責任なんて、もう考えなくていいさ」
「…………!!」
フレスの言いたいことを、先に否定したウェイル。
堰を切ったように、フレスの激白が始まる。
「……ボクは昔、大勢の人を殺した! 今の魔獣や、ミルを持ち上げている連中と同じように!」
ウェイルやライラと出会ってからは、あまり見なくなった人間の死。
フレスは忘れていた。
かつて自分も人を殺め、己の力を過信していたことを。
それがこの度、生々しすぎるほどの死を目前にして、フレスは罪を思い出したのだ。
「昔のことだ。誰も覚えていないさ」
「でも、でも!」
ウェイルはフレスが哀れに見えた。
フレスの罪は、今や語る人間もいないほどの大昔。
フレスがどれだけ謝罪しても罪を償おうとも、その姿を見てくれる人も許してくれる人もいない。
必死に言葉の続きを紡ごうとしているフレスが、とても不憫に見えたのだ。
「フレス。今することは謝ることじゃない。そうだろ?」
だからこそウェイルは師匠として、傷つき続ける弟子の痛みを、少しでも和らげてあげたかった。
「ミルを助けるぞ」
「……うん……!!」
もしかしたらこの惨劇の原因はミルであるかも知れない。
直接ではないにしろ、ミルは龍姫として奉りあげられ、アルカディアル教会の象徴となっている。
無関係とは到底言えないはずだ。
そんな原因である可能性の高いミルを助けてやろうと、ウェイルはフレスに明確な道を開いてやった。
そうすることで過去の罪によって道に迷っているフレスの心を、少しでも楽に、そして出口へと導きたいと考えたからだ。
「フレスもミルにも事情があった。だから誰のせいでもない」
「……うん。ありがとう、ウェイル」
ふと見せたフレスの笑顔、それだけでフレスの師匠であってよかったと思えたウェイルであった。
「テメレイアの言うオライオン暴走の時間までもうあまり猶予はない。さっさと敵の本部へ乗り込むぞ」
「……うん!」
二人は顔を上げた。
アルカディアル教会本部の巨大な建物が、二人を待ち構えるかのように見下ろしていた。




