約束は、きっと――
テメレイアは今、オライオンの甲板上にいた。
自身最大の武器である本型神器『神器封書』を抱きしめて、この数日間のことを思い出す。
「なんだか変な気分だね」
考えても見ればここ数年、本気で本音を話せたことはなかった。
プロ鑑定士としての潜入捜査と、アルカディアル教会幹部へのご機嫌伺いや裏捜査ばかりしていて、ある意味で人を騙すことばかりしてきていた。
それがどうしてだろうか。
久々にウェイルと会って、ちょっと話しただけだというのに、もう全てを彼に打ち明けている。
「やっぱりウェイルは不思議だね。それが彼の魅力なのかな」
テメレイアはこれから、長い時間をかけ準備に準備を重ねて練り上げた計画の最終段階へ進もうとしている。
誰にも話さず、全てを自分と部下数人で実行するつもりであった。
しかしウェイルに全てを打ち明けたことで、ウェイルまで巻き込んでしまう羽目になっている。
申し訳ないと思うこともあったが、それ以上にテメレイアは嬉しいと思っていた。
ウェイルが自分を頼れと言った時、全てを彼に委ねようと瞬間的に決断していた自分がいることに気が付いた。
慎重で、何もかもそつなくこなすテメレイアにしてはあり得ない判断かも知れない。
それでも、テメレイアはこれで良かったと心底思っている。
「一人の男に委ねる、か。やっぱり僕は女なんだね」
女なのだと自覚すると、胸が熱くなった。
彼との再会の約束。
まともな神経で考えれば、実現出来る確率は無に等しいはずだけど、何を隠そう私達の約束なのだ。
きっと叶う。いや、絶対に叶う。
そう確信めいた想いを巡らせると、改めて胸が熱くなった。
そんな甘い感傷に浸っていると、一人の男が傍に寄ってきた。
見慣れた影に、スッと肩の力を緩めて警戒を解く。
寄ってきたのは、リューズレイドだった。
「レイア殿。ついにイルガリ様の目的を達成する時が来ましたな」
ようやくこの時が来た。そう彼はしみじみと言う。
「そうだね。後はこのオライオンでアルクエティアマインを殲滅するだけさ」
「貴方の力が頼りなのです。よろしくお願いしますぞ」
三種の神器の一つ『創世楽器アテナ』。アルカディアル教会の握る武力の一つだ。
「ああ、任せてくれ。それよりも龍姫様はどこへ? 最近お姿を見せて下さらないが」
「龍姫様はイルガリ様と一緒におられます。決起の時まで、龍姫様を外に出すことはまかりならないと」
「……そうだね。そうだろうさ」
龍姫ミルがどうしてテメレイアの前に姿を現さないか。それは単にイルガリのせいだ。
現在ミルはアルカディアル教会にとっては神同然だ。おいそれと一般信者の前に出すわけにはいかない。
唯一龍姫と連絡が取れる。意思疎通ができる。
イルガリの武器は、この特権なのだ。
神の声を聴くためには、イルガリを通すしかない。
逆に言えばイルガリが語る全ての言葉は神の言葉になるというわけだ。
実は一足先にソクソマハーツに戻ったテメレイアだが、イルガリに阻まれミルと再会することは叶っていなかった。
本当なら一度戻ったタイミングで、テメレイアは計画の全てをミルに話すつもりであった。
ミルも自分が神器で縛られていることを知っていたし、監視の目がある中、遠回しにではあるが、自分の正体(性別以外)を話している。
オライオンを墜落させるなんて話はしていないが、二人で教会を抜け出すと、そう約束したのだ。
そのために、今すぐにでもテメレイアはミルに会わなければならない。
アルカディアル教会が、戦争を始めてしまう前に。
(何としてもミルに会わないとね……!)
「ねぇ、リューズレイド。もう一つ聞きたいことがあるんだけどいいかな」
「はい」
「君は僕のことをどう思っているのかい?」
実はテメレイアは、リューズレイドのことをそこそこ信頼のおける人物だと思っていた。
無論、アルカディアル教会信者であるが故、これまで汚いことにも手を染めてきているはず。
しかしながら、リューズレイドは基本的に紳士的だった。
テメレイアが最初に潜入捜査に入ったとき、テメレイアに懐疑的だった信者達を諭し、またテメレイアの面倒を見てくれていた人物でもある。
付き合いも長く、互いに命を助けあったことすらあるほどだ。
「……どうでしょうかな」
だからこそ、この男は判っているはず。
周囲とは異なる臭いを、テメレイアが放っていることを。
リューズレイドがここに来た理由も大方想像がつく。
テメレイアがこれから為すべき行動を、止める気でいるのだろう。
おそらく服のどこかにナイフか何か仕込んでいるはずだ。
「どうでしょう、とは、どういうことかな?」
努めて冷静に、テメレイアは問う。
しかし対応するリューズレイドの声は、いつもの穏やかなものだった。
「私は頭が固いものでしてな。テメレイア殿の言っている意味、意図は判りかねます。しかし私はもうこの教会内でしか生きてはいけない。ですからアルカディアル教会の進むべき道なのであれば、何を差し置いてでもついていかねばならないと、そう思っております」
「……そう」
何も聞いてすらいないのに、リューズレイドはそう語ってくれた。
少し寂しげな表情と目が印象的だった。
「…………」
「…………」
しばらく二人して沈黙していたが、沈黙を破ったのはリューズレイドの方からだった。
「貴方は貴方の好きな方へ、好きな道へ行けばいい。それこそが我々の教えです」
「……そう」
一見、自由を重んじるアルカディアル教会の信徒らしい言葉のように聞こえる。
だがテメレイアの捉え方は別のものであった。
「でも、僕はそれがアルカディアル教会の教えだからというより、君の本音のように聞こえる」
「私の本音、ですか?」
「うん。だって本当は、君はここで僕に何かしなくちゃならないのだろう?」
「……さて、どうでしょうかな」
いつも通りの惚け方。
「君らしい反応だ。君には感謝しているよ」
「それはこちらもです」
それっきり二人はまた沈黙した。
テメレイアはそっと、リューズレイドの傍から離れる。
彼がどのような行動を取ろうとも、すぐに対応できるような態勢で。
「龍姫様に、よろしくとお伝えください」
「……え……?」
「いえ、何もありません」
惚けて見せたが、テメレイアにはしっかりと聞こえていた。
心の中で感謝しながら、リューズレイドに背を向けて、戦艦内部の扉を手に取る。
テメレイアは「よし」と一言漏らして、扉を開いて内部へ向かった。
向かうはオライオンの司令官室、イルガリのいる場所へ。
「やはり無理でしたな」
懐に忍ばせたナイフを取り出したリューズレイドは、そのままナイフを甲板から外に投げ捨てた。
「レイア殿の目には適いません」
やれやれと、しかしながら安心したような表情を浮かべて、リューズレイドも船内へと戻ったのだった。




