女神の詩
現在時刻、午後二時十五分。
もう後小一時間ほどで、プロ鑑定士試験の全過程が終了するという、まさに最後の土壇場の時刻。
「……難しいですね……」
ハーフエルフの少女イルアリルマも、最終試験に苦戦する一人であった。
彼女には大きすぎるハンデがある。
普通の人間の持つ五感の内、視覚と触覚を失っているのだ。
普段、彼女はこの失った二つの感覚を補うために、類まれなる聴覚と、エルフ族でしか持ちえないされる、気配を感じる感覚である『察覚』を武器に、これまで鑑定を進めて来た。
しかし今回の最終試験の条件は、この武器を非常に生かしにくい。
(せめてもう少し数を絞ることが出来たらいいのですが……)
倉庫に眠る芸術品の数は膨大の一言だ。
この中から最初に指定された品の本物を見つけ出さねばならないわけだ。
見ることも出来ず、触っても判らず。
彼女にとって、物を探索する作業こそ、最も苦手とするジャンルと言える。
(私が唯一探せそうなのは、アトモスの時計くらいでしょうか)
彼女の武器である聴覚を唯一生かせるのは時計くらいなものである。
アトモスの時計の秒針を刻む音は、イルアリルマクラスの聴覚の持ち主からすれば特徴的だそうだ。聞けばすぐに判るという。
それなのにも関わらず、彼女は苦戦を強いられていた。
(何故でしょうか……、アトモスの音が聞こえませんね……)
音や気配から、他の受験者達が時計を持って倉庫から出ていくのが判る。
彼らはそれがアトモスの作品だと確信したのだろうか。
だがイルアリルマには、持ち出された時計が贋作だと確信があった。
(アトモスの時計は、あんなに音が大きくない)
――静かに時と音を刻む。それがアトモスの時計の特徴だ。
アトモスの時計は、非常に丁寧に製作されている。
歯車の一つ一つが淀みなく流れるように回り、秒針を動かしている。
きめ細かく研磨された部品は、無音に近い動作音を実現させていた。
それ故に静寂の時計という異名すらある。
(どの時計もうるさいくらいに音がする。……本当にアトモスの時計はあるのかしら……?)
そう考えた瞬間、一つの推理が脳裏を過った。
(……本当は本物など、ないのではないでしょうか……?)
他の品については判らないものの、アトモスの時計についてはこの場にはないような気がする。
そんなことを考察しながら歩いていると、前からギルパーニャが歩いてくる気配を感じ取った。
気配から察するに、彼女の状況も芳しくないようだ。
続いて感じたのはフレスの気配。
偶然にも三人が同じ場所めがけて悩みながら歩いているようだった。
「あ、ギル? リルさんも?」
「フレス? あれ、リルさんもいたんだ」
「お二人とも、いかがですか?」
その問いに、やはりというべきか二人の反応は芳しくなかった。
「う~ん、どうも変な感じがするんだよなぁ」
「あ、フレスもそう思う?」
偶然なことに、この二人もイルアリルマと似たような感想を抱いている。
「私も、何か見落としている気がするんです」
「う~ん、ボク、セルクの絵画ならたくさん見てきたから、なんとなく判ると思ってたんだよね。でも、実際探してみると全く判らなくて」
「私はプルーフ硬貨を探していたんだ。確かに似たような硬貨や記念硬貨はあったけど、持ってみた感じ1/2オンスの硬貨じゃないって、そんな気がするんだ」
「私も時計を探しているんですが、全然見つからないのです」
「時間は……もうあまりないね……」
チラリと時計を見る。
ギルパーニャの言う通り、時間は残り僅かとなっていた。
「殆どの方はもう品を持って出ていきましたね。残っているのは私達含めて8名です」
「もしかして本物は全部持って行かれちゃったのかなぁ……」
だとすれば、すでに合格の目はないということだ。
「試験は四人しか合格できないんでしょ?」
「多分そうだよね……、どうしようフレス。私達、もうだめなのかな……?」
「大丈夫だよ。まだ本物はここにあるって、そう思わなきゃ」
落ち込むギルパーニャに、それを励ますフレス。
「そうだよね。四人も受かるって、そう考えないといけないよね」
「そうだよ! まだ品はあるって!」
(……四人も……受かる……?)
そのセリフに、イルアリルマの脳裏に一本の線が繋がった。
(なるほど、そうですか、そういうことですか。道理で本物が見つからないはずです)
考えてもみれば、最初に条件を提示されたとき、サグマールはこう述べていた。
『本物があれば一つを提出しろと』
つまりその逆転の発想をすれば良いだけだ。
「お二人とも。私の予想ですが――」
『――緊急事態が発生しました。受験者の皆さんはその場で待機して下さい。繰り返します――』
イルアリルマのセリフを打ち消すかの如く、唐突に流れたアナウンス。
プロ鑑定士協会のスタッフが、受験者達に指示をして回っていた。
「あの、一体何があったんですか!?」
フレスが問い詰めると、スタッフはこう言う。
「教会都市サスデルセルで大規模な暴動が発生したとのこと。どうやらラルガ教会とアルカディアル教会の連中の戦争が本格的に始まるそうだ。その影響はラングルポートにも及ぶ可能性がある。安全が確保されるまで、しばしお待ちいただきたい」
「試験はどうなるんです?」
「最終試験の予定に変更はない。この場で待機とはいえ鑑定は可能だろう。各自鑑定を行い、時間までに倉庫を出て提出してくれれば問題ない。安全確認のための待機指示だから、この周辺はデイルーラ社管轄だからすぐに待機は解除されるだろう。午後三時を回ることはないはずだ」
それを聞いてホッとしたのはギルパーニャとイルアリルマ。
対して逆に焦燥感に駆られたのはフレスだった。
「どうしたの? フレス」
「あのね、ボク、なんだかすごく嫌な予感がするんだよ」
どうして不安になるのかはフレス自身にも判らない。
それでも図書館都市シルヴァンから神器暴走、教会争いなどの一連の事件。
そして龍姫という単語。
フレスの懸念する一連の事件の続きは、すでにラングルポートの足もとまで伸びてきていた。
――●○●○●○――
「テメレイア殿。決行の時でございますぞ」
「ああ、そうだね。準備はいいかい? リューズレイド」
午後二時四十五分。
すでにガングートポート敷地内に入り込み、身を潜めていたテメレイア率いるアルカディアル教会は、作戦決行のタイミングを窺っていた。
サスデルセルで発生させた暴動は、とどのつまり囮。
本当の目的は、こちらにあった。
「サスデルセルでの暴動に慌てた治安局は、総力を挙げてサスデルセルへ応援に向かったとの報告が。今この時こそが最大のチャンスです」
ガングートポート内から治安局員の数が減った。
この時を彼らはずっと待っていたのだ。
信者の一人が、目標の一つである治安局管轄の倉庫の様子を伝えに来る。
最初の想定通り、軍艦のある倉庫は今、警備が手薄になっている。
「行きましょう。今こそ軍艦を奪う時」
「そうだね。では、始めようか」
テメレイアは、手に持つ本――シルヴァニア・ライブラリーから盗み出した第一種閲覧規制書物である『神器封書』を開いた。
そこに書かれていた一文を、テメレイアは念じて、歌にする。
『――――――――』
内容は誰にも判らない、神の詩。
歌っているテメレイアすら、その音や意味を理解する事が出来ない、神曲と呼ばれる詩。
三種の神器の一つ『創世楽器アテナ』をコントロールする、禁断の詩だ。
聞く者を快楽へと導き、欲望を駆り立て、恐怖を目覚めさせる。
そんな旋律がテメレイアを中心に響き渡っていく。
その詩に呼応するかのように、独唱者の周囲には魔力が充満し始め、そして弾けていく。
――突如、遠くの方で爆発が起きた。
続いて近場でも爆音と共に人の悲鳴が響き渡る。
『――――――――』
テメレイアの詩により、ラングルポートの各地で魔力暴走により爆発が巻き起こっていった。
「皆の衆!! これより治安局の持つ弩級戦艦を奪う! レイア殿、後は頼みましたぞ!!」
歌の途中だ。返事はしない。
リューズレイドもそれを判ってか、部下を引き連れて襲撃を開始した。
「何事だ!?」
「何者かが許可なくガングートポートに侵入している!」
当然治安局員の数は減ったとはいえ、それでも未だ大勢常駐している。
多くの治安局員が侵入者の排除の為、行動を開始し始めた。
アルカディアル教会と治安局の全面戦争が始まる。
(出来れば誰も怪我をしないで欲しい。……甘え過ぎかな……?)
『――――――――』
そう思いながらもテメレイアは、治安局員の邪魔を排すため詩の魔力を強めた。




