豪華ホテルのオーナー
長い長い汽車の旅の末、ようやく図書館都市シルヴァンに降り立ったフレスは、まず大きく深呼吸をした。
「すぅうううう、ふいぃいいいいいいぃぃぃ」
「なんとも間抜けな深呼吸だな」
「フレスちゃんがそうする気持ちも理解できるよ。ここの空気は大陸随一においしいからね」
シルヴァンの駅ホームから出た三人は、長旅の疲れを癒すため、すぐさま宿へ向かうことにした。
「ウェイル達は宿を確保しているのかい?」
「いや、実はまだなんだ。結構急いで出てきたもんだから準備すら適当でな」
「変わらないね、君のそういう出たとこ勝負なところ」
「……けなしているな?」
「いやいや、誉めているんだよ。行動力があるってね」
「物は言いようだな」
なんだかんだで褒められた気がしない。
「実は僕、この都市には中々に詳しくてね。良い宿を知っているんだ。君も来るかい?」
「いいのか? こっちにはもう一人おまけがついてくるんだが」
「ボク、おまけなの!?」
人差し指を自分に向けて驚くフレス。
「大歓迎さ。二人を招待するよ」
「招待? まるで自分の宿のような言い草だな」
「うん。だって本当に僕の宿だからね」
「……なんだと?」
テメレイアの解答に、一瞬思考が停止した。
「ね、ねぇ、ウェイル。ボク、今なんだか変な事を聞いた気がするんだけど……?」
「俺も聞いたぞ。こいつは今変なことを言った」
「別に変な事でもないさ」
しれっと突っ込みどころ満載なことを言いのけるテメレイア。
表情を窺ってみるも、その整った顔は真面目そのもの。
「僕は色んな都市に宿を持っているからね。経営は他人に任せてるけどさ。別荘と違って放っておいても管理や掃除をしてくれるし、お金も稼いでくれるし、いい事尽くめさ」
テメレイアには非常に素晴らしい商才があったことを、ウェイルはここにきて痛感する。
そういえば以前ともに仕事をしたときも、その若さには似合わない大金を持っていた。
出張中の滞在費も全てテメレイアが出してくれたし、何故かテメレイアは何かとウェイルに気を使ってくれていた。
どうしてテメレイアがここまでウェイルに親切にするのか、ウェイル自身よく分かっていない。
一度尋ねたことがあるものの、テメレイアは笑いながら、
「それはね、ウェイルだからだよ」
と、意味の分からない答えを返してくるだけだった。
「さあ、案内するよ。ついてきて」
促されるまま、テメレイアについていくと、程なくしてシルヴァン市内が見えてきた。
「うわ、すっごく静かだねぇ」
「ああ。静かなのもこの都市ならではの特徴だな」
図書館都市シルヴァンは、俗にサイレントシティと呼ばれることがある。
商売人・競売人達の賑やかな声は一切なく、道行く人達にも皆落ち着きがあるように感じた。
外にいるというのに、さながら図書館内にいるかのよう。
「住人も学者や研究者が多いかね。あまり騒ぐようなことは好まないのさ。さて、見えてきたよ。あれが僕の宿だ。なかなかに立派だろう?」
テメレイアが指差した先にあった宿とは、ヤンクの宿とは似ても似つかないほど美しい装飾に彩られた、石造りの大きなホテルだった。
「こりゃ凄いな……。外の装飾は大理石か。それに、もしかしてあの彫刻は『リンネ』の作品か?」
「一目で判るなんて、流石だね。その通りだよ」
天才彫刻家、リンネ・ネフェル。
その作品群にはアレクアテナ大陸中にファンをおり、セルクと並ぶ人気芸術家である。
「僕はリンネ彫刻が大好きでね。結構な高値だったけど、競り落としてしまったんだよ。アハハ」
「いや、笑える金額じゃないだろうに……」
無論ウェイルでは到底手を出そうとは考えもしない価格に違いない。
「ここに泊まった後は、ヤンクさんの宿になんか行けないね……」
「言うな。俺はあの小汚いのが好きなんだから」
もっともテメレイアの宿に泊まった後、同じ感想を言えるかと問われたら、頷ける自信はない。
「本当にこんな豪華なホテルがお前のものなのか?」
「まあね。本当かどうかはすぐに判るよ」
テメレイアを疑うつもりは毛頭ないが、いくら何でもこのレベルのホテルになると、疑いの一つや二つ出てくるというものだ。
テメレイアを先頭にしてホテルに入ると、そこには想像通りの光景が待っていた。
内装も言わずもがな豪華な装飾で彩られており、天井には輝くガラス細工の工芸品が並び、とにかく目に映る全てが煌びやかであった。
テメレイアが受付に一言二言呟くと、受付嬢は血相を変えて奥の部屋へ引っ込んでいく。
代わりに出てきたのは、大層図体の大きい、チョビ髭を蓄えた中年男性であった。
手には葉巻を持ち、来ているスーツもぱっと見ブランド品だ。
「やぁ、テルワナ。久しぶりに泊まりに来たよ」
テメレイアは慣れたように軽く手を挙げると、それに対してテルワナと呼ばれた髭の男は、腰ぽっきり60度くらいにひん曲げる。
「お久しぶりでございます、オーナー」
「「「お久しぶりでございます!! テメレイア様!!」」」
テルワナの後に続くように、他の従業員も挨拶をした。
「うん。皆も久しぶりだね。少しの間お世話になりたんだけど、部屋は空いているかな?」
「勿論でございます。オーナーがいつ来都してもお泊り出来ますよう、オーナー専用の部屋を常に用意しております。最上階のスイートルームにございます」
「そう、助かるよ。そうだ、テルワナ。僕の親友を紹介するよ」
話の対象がウェイル達に移ると、従業員達の目が一斉に二人へ集中した。
「ウェイル。な、なんだかすごいね……」
「テメレイアの商才は凄まじいとは知ってはいたが、まさかここまでとはな……」
こそこそ話もそこそこに、テメレイアは二人を従業員達に紹介し始める。
「こっちが僕と同じプロ鑑定士のウェイル。大親友なんだ。彼が少しでもこのホテルに不満を持ったなら、僕は君らを許さないよ」
テメレイアが今発したのは、友人の紹介を兼ねた命令である。
従業員達に緊張が走り、冷や汗をかくテルワナが、代表してお任せくださいと頭を下げた。
「レイア、俺はそこまでしてもらわなくても……」
「いいのさ。僕はウェイルが嫌な思いをするところを見たくないだけだから」
その台詞に、ウェイルも苦笑しか出てこない。
テメレイアは昔からこんな調子なのだ。
どうしたことかウェイルのことになると、妙な過剰反応を見せる。
親友として気を使われるのは悪い気はしないが、度が過ぎないかと心配することは多々あった。
「そしてこっちがウェイルのお弟子さんであるフレスちゃん。彼女のこともよろしくね」
「勿論でございます。テメレイア様の親友は我らが主と同義。精一杯ご奉仕させていただきます」
「うん。期待している。それと、彼らの宿泊代は全て僕が持つからそのつもりで」
「承知しました」
「おい、ちょっと待て」
流石に今のは聞き逃せない。
たまらずウェイルは口を挟んだ。
「そこまで甘えるわけにはいかない。元々俺達はお前の部屋に間借りするだけだったはずだ」
「そうだね。だから何もおかしなことはないよ」
「おかしいだろう。宿泊代をレイアだけが持つのは。間借りなんだから、むしろ俺達の方が多めに出さないといけないのに」
ウェイルがそう主張すると、どうしてかテメレイアは悲しそうな顔を浮かべた。
「ウェイル。悲しいね。僕は君からお金をもらうことをこれっぽっちも望んでいないというのに」
「しかしなぁ……」
「ここは僕の城だよ。ルールは僕が決める。その僕がウェイルはお金を払わなくてもいいと言っているんだ。僕の気持ちを汲んで欲しいというのは、もしかして僕のワガママなのかな……?」
こんなことを本気で言ってくるのだからウェイルとしても対処に困る。
「だがなぁ……」
「僕は自分の家に友人を招いた。そう考えてほしい。それに間借りするのは本気だよ。生憎部屋は他に空いていないらしくてね。僕も立場上、一人の夜ってことが多かったし、たまには気兼ねなく親友と会話を楽しみたいのさ。それでもダメかな?」
そんな上目づかいは反則だ。
手を前にして願う仕草を取られては言い返すこともできない。
テメレイアは、時々男であることを忘れさせる仕草を取る時がある。
最初はそうやってからかってきているのかとも思ったが、それは勘違いであることに気付いたのは出会ってすぐに判った。
難儀なことに、これは全て素の行動なのだ。
おかげでテメレイアは少々変わった趣味を持つ連中から狙われているとの噂がある。
「判った。やっぱりレイアには勝てないな。世話になることにする」
「そうこなくてはね。さあ、それじゃ早速出かけようか」
テメレイアはテルワナに視線を送ると、ホテルの従業員達はそそくさとウェイルの荷物を預かりに来た。
「滞在用のお荷物はここでお預かりします。テメレイア様の部屋に置いておきますので、安心してください。身軽な格好の方が、図書館へは行きやすいでしょうから」
「え? どうして図書館に行くって知ってるの?」
「この都市を訪れる方の九割以上は、図書館を利用するために来るのです。ましてや鑑定士さんが来る理由など、それしかございません。ささ、急がねば閉館時間になってしまいますよ?」
「そうだね。ウェイル、フレスちゃん。荷物は彼らに任せて図書館に行こうか。君達にも手続きの時間が必要だろう?」
「そうだな。早いところ手続きを終えておきたい」
そういうわけで、何から何まで至り尽くせりといった二人は、荷物を従業員に預けると、早速テメレイアの案内で都市へ繰り出すことになった。




