初恋
「――無事か?」
私はそう問われ、我に返った。
目の前には立つのは、不機嫌そうにムスっとした表情を浮かべる、同い年くらいの男の子。
私は彼の問いに応えようと、首を縦に振ってみる。
だが、彼はその返答の仕方が気に食わなかったようだ。
腰が抜けて立つことの出来ない私に対し、彼は手を差し伸べようともせず、腕を組んで見下してくる。
ずっと黙って、ただ視線を送ってくるだけだった。
私は必死に立とうと努力するが、疲労の溜まった足腰は、そうそう言う事を聞いてはくれない。
さながら生まれたばかりの仔馬の如く、何度も何度も尻もちをついた。
立ち上がろうと力むほど、力が入らず尻餅をつく。
そんなことを繰り返す私の姿を、彼は黙って見守っていた。
――手を貸すこともなく、無様な姿を嘲笑うこともなく。
ただひたすらに、私を待ってくれているのだ。
無言のプレッシャーからか、あまりにも長く感じた時間。
実際にはそれほど長い時間ではなかったのかも知れないが、これほどまでに一分一秒が長く感じたことはない。
私は尻もちを二十回ほど着いたところで、ようやく立ち上がることが出来た。
震える足を抑えながら、必死に体勢を保ち、なんとか彼と対等であろうと対面する。
そこで彼はようやくフッと笑みを浮かべ、もう一度最初の言葉を呟いた。
「無事か?」
「……無事、だよ……!!」
実際のところ無事でもなんでもなかったのだが、ここで弱音を吐くのは、なんだか無性に悔しく、そして彼に申し訳なく思った。
「そっか」
私の必死な返答に対し、彼のレシーブはとてもそっけない。
けれども、私にはこれが彼の精いっぱいの優しさなのだと、この時幼いながらに理解出来ていた。
何せ、彼の周りには――私を捕らえようとしていた大の大人達が、七人も気絶して倒れていたからだ。
とある事情で追われ、追い詰められていた見ず知らずの私を助けるために、未だ少年である彼は危険も顧みず飛び込んできたのだ。
――そして彼は強かった。
見たことのない氷の剣を操る神器によって、彼は大人七人を沈黙させた。
それでも無傷とはいかない。
大人達の振るう剣やナイフによって、生々しい切り傷をつけられている。
全身ボロボロな状態になっているのにも関わらず、彼は踵を返し、何も言わず平然と立ち去ろうとする。
そんな彼の姿に、私は子供ながらにときめいてしまっていた。
――生まれて初めての、恋。
これが一目惚れというものなのだろう。
「……待って……」
私は全身が痛みに悲鳴を上げる中、心だけは温かく、その温かみに甘えるように彼の方へ勇気を奮う。
「……待って……!」
その勇気は大声となり、彼を引き留めさせた。
「待ってよ!!」
何事も無かったかのように立ち去ろうとする彼の肩を掴む。
「ん?」
振り向いた彼と視線が合った。
瞬間、私の顔は沸騰し、うまく呂律が回らなくなる。
「どうした? まだ敵がいるのか?」
ブンブンと首を横に振り、どうにか口を動かせるよう心で念じた。
「あ、あのっ! ありがとうございました!」
願いは叶い、礼を言う事が出来た。
「いいよ、別に」
やっぱり彼の態度はそっけない。
それでも私は満足だった。
助けてもらった上、光を見出せたのだから。
自分と同じような年齢で、これほどまでに強い男の子がいるなんて。
もしかしたら自分も同じくらい強くなれるかもしれない。
彼の後姿を見送る。
振り返ることもしない彼に、私は益々惚れていった。
「――お~い、ウェイル、どこへ行った!?」
どこかで大きな声がする。
現れたのはスキンヘッドで身体の大きなおじさん。
私はとっさに姿を隠した。
「ウェイル!! やっと見つけたぞ!! ダメだろ、勝手にオークションを抜け出したりしたら――……ってなんだなんだ!? お前さん、その傷は!?」
「別に。大したことないよ、師匠。早く戻ろう。オークションがあるんだろう?」
「いやいや、大したことあるだろう!? 一体何があった!?」
「転んだ」
「いや、転んだだけでここまで切り傷が出来るわけがないだろうに……。また何か事件に巻き込まれたのか?」
「本当に転んだだけだよ。早くオークションに戻ろう」
「もうとっく終わっちまったよ。これから帰るところだ」
「じゃあさっさと帰ろう。拾ってきた小汚い子を置いてきたままだし」
「小汚いって……。お前、自分の妹弟子にそんな表現はないだろう」
「本当に汚いんだから仕方ないさ。それよりも、さっさと帰って鑑定の続きをやろう。面白い依頼品が届いているんだろ?」
「よく知ってんな……。分かった分かった。その傷の手当てもいるだろうし、さっさと戻るか。いいか? 帰ったらギルパーニャに手当てしてもらうんだぞ?」
「判ってるよ」
「後、何があったかちゃんと話すんだぞ」
「だから転んだだけだって」
彼が師匠と呼んだおじさんは、私に事に気づくことはなく、私の初恋の相手を連れてどこかへ行ってしまった。
――ウェイル。
それが彼の名前。
私の命を助けてくれた大恩人。
後に私の目標となり、私を導いてくれた、私だけのお師匠様。
耳を澄ましていると聞こえてきた、鑑定という言葉。
私は生まれてこの方、商売に関した様々な知識を詰め込まれていたが、それはどれも自分から知りたいと思ったことではない。
でも、この鑑定という言葉は、ひどく私の心を反応させた。
だって、彼――ウェイルは鑑定が大好きなようだったから。
彼の好きな事を私も知りたい。
この時、私の頭の中では、プロ鑑定士になるための算段が、綿密に張り巡らされていた。
私は他人からよく天才だと言われる。
一度見聞きしたことは絶対に忘れないし、論理的な思考にも強い。
そんな武器を活かしながら勉強を続ける日々。
全てはウェイルにもう一度会って、想いを伝えるために。
プロ鑑定士を目指していけば、いつか出会えると信じて。
――そのために、私は必ずプロ鑑定士になる。




