二つの音
大波乱の株主総会は、新リベア社の買収に成功したプロ鑑定士協会によって中止を宣言された。
投資家達の阿鼻叫喚は、ホール全体を揺るがすほどであった。
王都ヴェクトルビアの死守に成功したプロ鑑定士は、ようやく一段落できるとお互いに胸を撫で下ろしていた。
「ウェイル!! ボクら、ヴェクトルビアを守ったんだよね!!」
「そうだ。これも全部フレス、お前のおかげだよ」
「え!? ボク、そんなに貢献していないと思うけど……」
「いやいや、お前が一番の功労者だよ。俺はマリアステルでお前のことを最悪の株を掴まされたアホだと言ったが、あれは撤回しよう。あの時フレスが騙されていなかったら、今この時を無事に迎えてはいないだろう」
「う、うん。全然褒められた気がしないけど……。でも確かにあの時は本当に騙されただけだったんだけど……。全部偶然だよ」
「運も実力のうちだ。プロ鑑定士になるためには運だって必要なんだ」
そんな会話をしていた二人のところへアムステリアとシュラディン、サグマールがやってくる。
「なんとかなったな」
サグマールが拳を上げてきたので、互いにコツンとぶつけ合う。
「だな。一時はどうなるかとも思ったが」
「ホントよ。私がいなければ、みんなこの場にたどり着けてはいないもの」
「実際そうだな。それにヴェクトルビアの暴動を止めた功績は大きいよ」
アムステリアの活躍がなければ、今頃は暴動を抑えるために株主総会に出席する余裕すらなかったかも知れない。
「よく成長したな、ウェイル」
最後に声を掛けてきたのは、師匠シュラディン。
「どうしたよ、急に」
久しぶりに褒められて、少しばかり照れてしまう。
「ウェイルにぃ、凄かったよー!!」
その背後からひょこっと出てきたギルパーニャがウェイルへ抱きついた。
「最後の宣言、びしっと決まってかっこよかったよ! 流石は私の兄弟子!」
「褒めても何もでないぞ」
「……あれ? フレス、どこへ行くの?」
「ちょっと、ね」
互いの健闘を讃えあう最中、フレスは背を向けて歩き出す。
ウェイルは何も言わずにその背を見つめていた。
「ウェイルにぃ? フレス、どうしたの?」
「…………」
震える肩を抑えながら、フレスは歩く。
目的は、闇の神龍ニーズヘッグ。
フレスは怒りの形相を浮かべて、ニーズへッグに立つ。
「フレス、もしかして怒ってるの……?」
ギルパーニャは、フレスの怒る姿を初めて見たようだ。
ウェイルだって、その姿を見るのは二度目なのだ。
フレスはニーズヘッグに詰め寄り、湧き上がる衝動を声に託して叫んでいた。
「ニーズへッグ!! ボク、君のこと、絶対に許さないから……!!」
「……フレス……」
対するニーズへッグは、そんなフレスの形相などお構いなしで、ついにフレスと対面できたという事実に喜びを覚えている様だった。
「どうしてそんなに嬉しそうなの!? ボクは、ボクは……!!」
その態度が、ことさらフレスの神経を逆なでた。
フレスは敵対心をむき出しにしながら、手に魔力を溜め始める。
フレスは本気だ。
魔力を放出して、ニーズヘッグを吹き飛ばそうとしている。
「……フレス……フレス……!! ……会いたかった……なの……」
「……クッ、まだそんなことを……!! ボクをバカにして……!!」
怒り心頭のフレスは、激情に流され魔力を撃ち放たんと、手を前にしてニーズヘッグへ照準を向けた。
「フレス! 止めるんだ!!」
そのフレスをウェイルが羽交い絞めにして抑えつけた。
「ウェイル、邪魔しないで!!」
「フレス、堪えてくれ。お前が本気で魔力を放出すると、後ろに残っている一般投資家達にも被害が出る!!」
「そんなの関係ない! ニーズヘッグはフェルタリアを滅ぼした原因で、そしてライラが死ぬ原因となった張本人なんだ!! 絶対に許せない!!」
「――関係ない、か……」
その言葉は、絶対零度のごとく冷たく、ウェイルの心に突き刺さる。
「どいて、ウェイル! こいつは絶対に!!」
魔力の集中を止めないフレスに対し、ウェイルは無言で向き合った。
――そして。
――パンッ……。
乾いた音が、大ホールに小さく響き渡った。
「…………え…………?」
頬を抑えるフレス。
何が起こったか理解できなかったようだ。
「……ウェイル……?」
ようやく頬に痛みを感じ始める。
それほどまでにフレスは呆気にとられていた。
「ど、どうして……?」
そんな疑問を口にするフレスを、ウェイルは思いっきり抱きしめてやった。
「フレス。お前の口から『関係ない』なんて、そんな悲しい言葉は聞きたくない。それはお前が俺に教えてくれたことだろ」
そう耳元で囁くと、フレスはハッと目を見開いた。
「ボ、ボク、今……」
フレスは気づいたようだ。
今の行動は、それこそニーズへッグが過去にしたことと、何ら変わりはないことに。
関係のない人を巻き込む。
それはフレス自身が、ウェイルに絶対してはいけないと諭したこと。
「……ご、ごめん、ウェイル……」
「こっちこそ、頬を叩いてごめんな」
少し赤くなった頬をなでてやる。
「関係ない人は巻き込まない。これは俺とお前の約束だ。だよな?」
「……うん」
「俺だって故郷を崩壊させたニーズへッグは許せない。フレスの気持ちも痛いほど判るさ。だけど」
「ウェイル、大丈夫。ボク、気づいたからさ」
そう、フレスは自分で気づくことのできる賢い子だ。
だから最高の弟子なんだ。
「落ち着けたか?」
「うん、もう大丈夫」
ウェイルは、そっとフレスを離した。
「なあ、フレス。プロ鑑定士試験前に、ヤンクの宿で話したよな。復讐は後回しにしようってさ」
「勿論覚えているよ。まずはプロ鑑定士になろう、全てはそこからだって」
「お前はプロになれたか?」
「ううん。まだだよ」
「だったら復讐は後回しにしよう。俺もお前に付き合うさ」
「うん!」
フレスの持つ心の闇を、半分背負ってやる。
あの夜の誓いを、ウェイルは忘れたことはない。
「ありがとね、ウェイル」
「何を言うか。俺とお前の仲じゃないか」
「それボクの!」
ウェイルはフレスの頭をなでた後、振り返ってニーズへッグを睨みつけた。
「そういうことだ。お前のことは後回しにしてやる」
「……フレス……ボク、は……」
「もういいよ。だから話しかけないで」
「……フレス……」
この二人の間に立ち、ウェイルは一種の違和感を覚えた。
ニーズへッグの台詞といい、振る舞いといい、彼女はどうしてかフレスのことを一番に考えている。
そんな彼女が、本当にフレスを苦しめるようなことをしたのだろうか。
フレスを疑う気はない。
そもそもニーズヘッグは、イレイズの都市を攻めた張本人でもある。
フェルタリアを攻め落としたのもニーズヘッグだというし、ウェイルにとっても仇には違いない。
しかし、ウェイルにはどうしてもニーズヘッグのことを、純粋な悪だと断定するには首をかしげるところがあった。
「……ごめん……ごめん、なさい……なの……」
しきりにそう呟くニーズヘッグを、嫌悪の目で対応するフレス。
ウェイルがフレスの方に視線を返した時だった。
舞台裏から、何やら光が見える。
(あれは、まさか……!?)
「ごめ…………あ…………!!」
咄嗟に動いたのはニーズヘッグだった。
その光を確認するや否や、誰よりも早くニーズヘッグは動き、そして――。
――ダンッ……!!
今度は明確に命を奪わんとする音が、大ホールにこだましたのだった。




