狂気のアムステリア
「ナムル殿!!」
サグマールが手を伸ばし、ナムルを助けようとした。
――しかし。
辺り一帯に鮮血が飛び散った。
血塗られたナイフが、真っ直ぐに突き立てられている。
「ナムル殿!! ――……なっ!?」
事の異常さに気付いたサグマールは、思わず素っ頓狂な声をあげた。
「なっ……!! なんだ、お前は!?」
ジャネイルすら、その異様な状況に目を見開いている。
ジャネイルは間違いなくナイフを突き立てた。
そしてそれは、人に刺さったはずだ。
だが、刺されていたのはナムルではなかった。
視界にすら捕えられない速さで、何者かが身代わりに剣を受けていた。
「お前、一体誰だ……!?」
ナムルの身体を庇うかのように身代わりとなっていたのは、スラリと黒い髪が伸びた女性だった。
髪は血に濡れ、周囲は真っ赤に染まり始める。
「邪魔しやがって、このクソアマァ!!」
またも邪魔されたことに激情するジャネイルは、刺さったナイフを引っこ抜く。
邪魔な女を蹴り飛ばし、改めてナムルへ向けて刃を下ろした――
「――あ~あ。痛かった。でもどうやら間に合ったみたいね。大丈夫? ナムルさん?」
その台詞が聞こえてきた時、ジャネイルの身体は宙を舞っていた。
その時、サグマールとジャネイルは、時間がスローになった感覚に見舞われていた。
(アムステリア!?)
ナムルを庇ったのは、他ならぬこの女、アムステリア。
(眩暈……!? いや、これは……俺が宙に浮いているのか!? 何故だ!?)
ジャネイルは大きく回転しながら、何が起こったのか理解出来ずにいた。
「これはナイフのお礼ね」
その瞬間、ジャネイルはその場から姿を消していた。
次にサグマールがジャネイルの姿を捕らえたのは、そこから5メートル離れた先の壁。
「あら、お似合いの姿」
壁に身体全体を叩きつけられたジャネイルは、さながら潰れたカエルの様。
悲鳴や絶叫をする時間すら与えないほどの、アムステリアのキック。
「……アムステリア殿か……、助かった……」
「あのねぇ、ナムルのお爺ちゃん。カッコつけるのもいいけど、歳を考えなよ」
「いやいや、年寄りは後先短いからの。こういう場面では率先して前に出んと」
「いいから後ろでお茶でも飲んでなさい」
ナイフで刺されたはずのアムステリアだが、何事もなかったかのようにピンピンしている。
アムステリアの身体が丈夫すぎることは、プロ鑑定士の中でも有名なことだった。
もっとも、どうしてそんな身体を持っているのか、身体の仕組みはどうなっているのか、その理由や理屈を知っているのは、ウェイルを含めた極一部だけだ。
「な……、なんなんだ、お前は…………!?」
蹴り飛ばされたジャネイルは、信じられないと言った表情でアムステリアを見た。
「奴を、奴を殺せ……!!」
「あらやだ、まだ意識があるのね。結構頑丈なのね、貴方」
「誰でもいい! 殺した奴には報奨金を弾む!」
地を這うジャネイルの命令は、無様にも虚空へと消え去る。
彼の部下には、一人として立っている者はいなかったからだ。
「どうして誰も残っていないんだ……?」
「そりゃ、私が掃除したからよ。あんなゴミクズはさっさと捨てるべきだわ」
ナムルを助けた時には、すでにアムステリアが他の連中をなぎ倒していたのだ。
「さて、覚悟はいいかしら……? 久しぶりに頑丈な男に出会ったのだもの。存分に楽しませてもらうわよ?」
その瞬間、ジャネイルは生まれて初めてゾッとした感覚を覚えた。
背筋が凍るとはこういう感覚か。
目の前に立つ女から発せられたその言葉に、ジャネイルは人生を諦める覚悟をした。
「ナムルのお爺ちゃんを殺そうとした罪は重い。さあ、貴方も存分に楽しんで?」
後は一方的な暴力。
アムステリアに容赦という言葉は存在しない。
殴られ続け、ようやく気付く。
狂気に壊れた人間の、底知れぬ恐ろしさを。
「あら、流石に殺すのはまずいかしら」
胸倉を掴んだ手を放すと、意識のないジャネイルは、そのまま地に崩れ落ちた。
「あんまり鑑定士を舐めないことね」
その光景はまさに悪魔絵図。
男達を踏み倒し、アムステリアは歩き出す。
拳には血をしたたらせ、表情は妖艶な笑みを浮かべて。
「さあ、サグマール。貴方らはさっさと裏から行きなさい!」
「お前が味方で良かったと、これほど強く感じた日はないよ……」
サグマールを含めたプロ鑑定士数十人は、ウェイル達に先んじて会場内に入ることに成功した。
「――さて、私はウェイルのところへ、と」




