母への理解
「……本当にウェイルさんの言う通りなんでしょうか……」
イルアリルマは、その類稀なる察覚と聴力を用いて、慎重に周囲の様子を探っていた。
会場内外どちらからも感じる、異質なほどに鋭い殺気。
この気配、おそらくはプロ。
人を傷つけることに、何の躊躇も覚えない人間の放つ気配だ。
その気配は、まだ多少落ち着いているものの、これからどう動き出すか判らない。
この作戦に参加して、これから大騒ぎを起こそうとする以上、その殺気は私に向かってくることになるのは間違いない。
いつその時が来るかは判らぬが、必ずや訪れるその瞬間を創造すると、胸が凍り、冷や汗が流れる。
途方もなく不安に駆られ、恐怖を覚えた。
(……でも、でも、私が頑張れば……!!)
母親を追い込んだ奴隷商売の胴元であるリベア社に、復讐が出来る。
それに、自分が出来るのは最前線に立つことではなく、サポートに回ること。
あの時、そうウェイルと約束した。
怖いけれど、やり遂げなくてはならない。
「まだ状況に変化はないですね……」
察覚を抑え、聴覚だけに集中する。
目を瞑り、耳を澄ませた、その瞬間だった。
「――……れより………、ぬしそうか………します……――」
(……この声って……!? もしかして……)
――聞こえた。間違いなく。
以前、中央為替市場前でウェイルと会話していた、あの男の声。
今の宣言の後、すぐに女性の声に変ってしまったが、間違いなくあの男の声だった。
そしてその内容とは、ウェイルの予想通りの株主総会開始の宣言。
「始まったんだ、ついに株主総会が!」
ウェイルの懸念通り、予定時間よりも早く株主総会が開始された。
「…………っ!!」
イルアリルマは決心した。
今こそ、ウェイルに頼まれた自分の役目を実行する時だと。
持っていたマッチに火をつけ、爆竹に点火。
それを上空目がけて投げつけた。
――パパンッ!! パァンッ!!
爆竹は派手に炸裂し、爆音と共に煙が空に上がった。
――●○●○●○――
大きな炸裂音と共に、モワモワと煙が上がっていく。
何事かと周囲が騒然とする中、私は全力で走った。
騒ぎを聞きつけ、走る私の姿を見て、危険な殺気は容赦なく私へと向けられた。
だから逃げる。とにかくウェイルと合流するために。
幸い、私は半分とはいえエルフの血が流れている。
だから人間よりも、基礎的な身体能力は高い。
簡単には追いつかれることはない。
そう高をくくり、油断したのが失敗だった。
(あ、あれ……?)
ふわりと、私の体は宙を舞う。
そう、私には視力がない。
人の気配を感じて避けることは出来るが、地面に出来たちょっとした段差には気配がない。
足が引っ掛かり、つまづいて転んでしまった。
まずいと思って立ち上がろうとした時には、もう遅かった。
迫りくる殺気に足が竦む。
耳障りな笑い声に、汚い言葉の数々。
初めて自分の良すぎる聴覚を恨んだ瞬間だった。
数秒以内には囲まれ、そのまま男達に蹂躙されてしまうだろう。
そんな現実が、足音と共に近づくのが判ると、恐怖で心が支配された。
「いや、いやああああああッ!!」
脳裏を埋め尽くしたのは、奴隷に堕ちた母の姿。
その悲惨な姿は実際には見たことがないけれど、想像には容易い。
母もこんなに怖い経験をしたのか。
そう思えば思うほど、母に対する憎しみは薄らぎ、奴隷商への憎しみは募っていく。
「おい、姉ちゃん。我が社の株主総会前に、一体何の騒ぎを起こしてくれたんだ?」
案の定、イルアリルマは見下してくる男達に囲まれた。
その全員が、先日に対峙した柄の悪い男達。
リベア社の護衛についていた連中だ。
「爆竹って、遊びでも許されることじゃねぇよな? 誰かが怪我したらどうするんだよ?」
「ここは安全第一の銀行都市スフィアバンク。危険物の持ち込みは違法だぜ?」
「俺達は株主総会の邪魔する奴は絶対に許すなと言われている。覚悟するんだな……!!」
男の一人が、ひざまずくイルアリルマに向かって足を振り下ろした。




