ニーズヘッグの狂気
ニーズヘッグは座ったまま、顔を上げてウェイルを睨んできた。
「……フレスは、どこに、いるの……!?」
「それも言ったはずだ。教えるわけがないと」
「…………!!」
それは急変という奴だろう。
ゆらゆらと立ち上がったニーズヘッグが、腕に魔力を溜めはじめた。
「……フロリア……約束……」
「……そういえばフレスに会いたいから、二人を捕まえてって約束してたね。もういいよ。こうしてウェイルと話が出来たんだから」
「だめ……。フレスに会えてないの……!!」
「フロリア、早くそいつを止めろ!」
黒き魔力を輝かせるニーズヘッグに、ウェイルも氷の刃を構えた。
「今日、フレスに、会うの……!! 会って、言わなきゃ……!!」
「あわわわ、ちょっとニーちゃん、落ち着いて!」
「フレス……!! ……あああああああああ!!」
「うわぁあ!?」
中途半端に溜まった魔力が、ニーズヘッグから放出された。
ニーズヘッグはどうやら軽い錯乱状態になっている様だった。
「ステイリィ、下がれ!!」
乱れ飛ぶ闇の波動弾を、氷の刃で弾き飛ばす。
軌道の逸れた波動が本棚に直撃して、本が散乱する。
「ああああ、あああああああああああああ!!」
「どれだけ、魔力を放出する気だよ……!! 近づけん……!!」
激しく暴れるニーズヘッグに、ウェイルもこれ以上近づくことは出来ない。
攻撃を捌くだけで精一杯であった。
「ニーちゃん、もう寝てなさい」
フロリアの手刀がニーズヘッグの後頭部に落ちる。
「…………あう」
ピタリと大人しくなったニーズヘッグ。
流石は龍。意識を失うことはなかった。
代わりに目をぱちくりさせて。
「フロリア……? …………どうしたの…………?」
「ん~ん、なんでもない! さ、ちょっと行くところが出来たから、背中乗せて」
「……判ったの……」
一時的な記憶喪失なのだろうか。
フロリアは手慣れた手つきでニーズヘッグに手刀を喰らわせていた。
「この子はちょっと精神的に不安定なことがあってね。制御するのが結構大変なんだよね。そっちの龍が羨ましいよ。じゃあね、ウェイル。また会おうね~!」
「おい、ちょっと待て! この部屋、一体どうしてくれるんだ!!」
ニーズヘッグの魔力のせいで、家具は破損し書類は吹き飛び、散らかり放題。
「大丈夫だって! 今からもっと散らかるんだからさ!」
「もっと散らかるって……ってまさか!」
「やっちゃって、ニーちゃん」
「……ん」
容赦のない輝く闇の波動弾が、ウェイルの部屋の壁を一閃した。
後には大きく、空に繋がる穴が開く。
「じゃね!」
小さく手を振るフロリアの姿は、何とも腹立たしい。
「じゃね、で済むか、アホ!!」
ウェイルが叫び終わった頃には、もう二人の姿はなかった。
「……ウェイルさん、あのクソメイドの話に乗って、良かったんですか?」
伏せていたステイリィが、のそのそと起き上がってくる。
「信頼はしてない。でも、フロリアの言葉で一つだけ信頼してもいい所がある」
「何なんです? それ」
「…………を守る。これだよ」
「はて? 守る?」
人差し指を口元に当てて考えるステイリィだったが、聞こえていない以上答えは見つからない。
「それよりも部屋の片づけ、手伝ってくれ」
「あっ! そういえば仕事が残っていたんだった! では帰らせていただきます!!」
ステイリィはシュバっと手をあげて、そそくさと逃げ帰りやがった。
「逃げ足だけは無駄に早い奴め……!!」
――●○●○●○――
――上空にて。
「……どこへ……いくの……?」
「それはもう決まっているよ。早速この100万ハクロアを使っておかないとね!」
「……フロリア……本当のこと……言ってない……」
「え?」
フロリアは少しばかり驚いていた。
ニーズヘッグにしては珍しく、フレス以外のことについて言及してきたからだ。
だからフロリアはつい嬉しくなって、口が軽くなってしまう。
「まあね。と言っても私、嘘は何一つ言ってはいないよ? ただ、少しだけ情報を隠しただけ」
「……それって……リベアの目的……でしょ?」
「今日はやけに食いついてくるね。そう、私達、本当は知っていたんだよね。リベアの本当の目的。でも、ウェイルには敢えて伝えなかったんだよ」
「…………どうして……?」
「どうせもうじき判ることだし。それにウェイルなら心配ないよ。私が見込んだ男だからね」
ニーズヘッグとここまで会話を弾ませたのは初めてだ。
「今日はやけに話してくるね?」
「……どうせ……あの鑑定士の近くには……フレスがいる……。フレスに……酷い目に……あって欲しくない……だけ……」
フロリアは、今初めてこの龍の本質を垣間見た気がした。
ニーズヘッグは、ただ純粋なだけ。
それもとびっきりに鮮明、クリアな。
彼女は何故か、ただフレスのことだけを考えて生きている。
およそ理解は出来ないが、する気もない。
途方もない時間の中を生きている龍の精神など、理解出来るはずもない。
フロリアは、仲間の贋作士からニーズヘッグが過去にどんなことをしたのか聞いている。
その内容はあまりも残酷で、とても言葉では言い表せられないレベルのことだ。
ニーズヘッグの行動原理は、それが始まりなのかも知れない。
だからこそ、ただフレスに会いたい。フレスと話がしたい。それだけを考えている。
その為ならば、どんなに卑劣なことでも出来る。それがニーズヘッグの純粋さだ。
(危ういねぇ……)
それはまるでガラスの如く透明な精神。
しかし、そういうものは総じて脆かったりするのだ。
(こっちに牙を剥かなきゃそれでいいかな?)
今はただ、フレスを餌に利用すればいい。
「……結局…………どこへ……いくの……?」
「そうだね、まずは――」
行先とその目的を告げると、ニーズヘッグは一気にスピードを速めた。
その日、マリアステルでは紫色をした龍を見たと、もっぱらの噂になった。




