悪魔の噂の黒幕
――世にも珍しい花がある。
身体の内側から咲き誇る、凍り付いた血の花だ。
サスデルセルを恐怖にどん底に叩き落としたデーモンからは、深紅に染まった花が咲いた。
その光景に、ウェイルはしばし唖然とし、そして花を咲かせた張本人へ視線を移す。
「下級デーモンの癖に、ボクの師匠をいじめるなんて、許せない」
フレスは笑顔を浮かべて、ウェイルへ手を差し伸べた。
その小さな手を握り、ゆっくりと立ち上がる。
「ウェイル、無事? ヘロヘロみたいだけど」
「……ああ、お陰様で何とか無事だ。そんなことよりフレス、今のは一体何なんだ!? 神器でも持っているのか?」
デーモンの絶命の仕方は、明らかに普通じゃない。
体内からツララを生やせる神器なんて、見たことも聞いたこともない。
「神器じゃないよ? ボクの魔力で、あいつの血液を一瞬にして凍らせてやっただけ。そしたら血液はツララになって体内を切り刻み、突き破ったってこと。ボクは水や氷を司る龍だからね。これくらいは朝飯前だよ!!」
「……そ、そうか……、流石だな……」
さらっと、恐ろしいことを口にしたフレス。
フレスは龍だという実感を、心の底から刻まれたウェイルであった。
「お互い命を助けられたな。ありがとよ、お嬢ちゃん」
ハンマーを杖代わりにしてヤンクが歩いてくる。
ヤンクは事の一部始終を見ていたはずだが、フレスのことについて何も言及してこない。
「ヤンク、今のを見て何も訊かないのか?」
「ああ、訊かないさ。『客の詮索はしない』がモットーだからな」
「女性関係以外は、だろ?」
「ガハハ、その通りだ!」
「そういえばステイリィは?」
「あいつなら治安局へ報告しに戻ったぞ」
「そうか」
ウェイルはそのまましばし身体を休めるために座っていたが、ある程度体調が回復したところでラルガポットの噂を思い出して、襲われた二人に事情を聞くことにした。
「フレス、助けた二人はどこだ?」
「あそこに座ってるよー」
フレスは彼らを狭い裏路地に隠したようで、二人は今もそこで腰を抜かしていた。
「お前達はラルガポットを持っているのか?」
「持っているわけないじゃないですか!! 買えるわけないですよ!! あんな高価なもの!!」
「……確かにそうだな」
今現在、ラルガポットの価格は超高騰している。
一般市民が、おいそれと手を出せるほど安価ではない。
「どういう風に襲われたんだ?」
「どういう風にって……本当に突然襲われたんですよ!! 赤い光が地面に走ったと思ったら、そこから奴が飛び出してきて!!」
「……赤い光から出てきただと?」
「そ、そうですよ! あれは一体何なんですか!? ま、まさか誰かが召喚術を使っているんじゃ……!?」
「いや、それはちょっと違うな」
――赤い光が走る。
この現象をウェイルは知っている。
「……なるほど、その手があったか」
発想の転換だ。
というか今までどうして気づけなかったのか。
「ねぇ、ウェイル。ラルガポットって何?」
「あれ? 知らないのか?」
「うん。それって結構最近の神器でしょ? ボクが詳しいのはもっと昔の神器だから」
「そうか。そういえばラルガポットは人工神器だったな。お前が知らないのも無理はないか」
考えてもみれば、フレスとは先程出会ったばかりで、この都市に蔓延る悪魔の噂について、何一つ話してはいなかった。
フレスはすでに事件の当事者なわけだし、何より弟子である。事件解決に一役買ってもらわねばならない。
現代のことに疎いフレスに、ラルガポットおよび人工神器について説明してやった。
「ラルガポットというのは、ラルガ教会が製造している真銀製の神器だ。魔除けの効果があるとされている」
「本当にそんな能力があるの?」
「一応わずかにだが魔力を放っているぞ。ラルガポットは人工神器だからな」
「人工神器? 人間も神器を作れるの?」
「ああ。といっても少量の魔力を操れる程度の代物だが。旧時代の神器に比べたらおもちゃみたいなものだ」
「へぇー。人間って、そんなおもちゃを欲しがってるの?」
「色々とあってな」
徐々に事件の全貌が見えて来た。
悪魔の噂と、実際に戦った経験。
そして赤い光。
「しかし、まさかな……」
「何か気がついたの?」
「ああ、お前のおかげだ。フレス」
ウェイルはフレスの頭の上に手を置いて褒めた。
頭の上に?マークを浮かべているフレスだったが、次第にくすぐったくなったのか――
「むぅ、ボクを子供扱いするのは止めてよ! これでもウェイルより年上なんだから」
――と、頬を染めながら手を払ってきた。
デーモンは赤い光から出てきたという。
それは召喚術の時に生じる光ではない。
つまり今回現れたデーモンは、召喚術によって呼ばれたのではなかった。
本来魔獣を使役するのならば、召喚術を用いるのが一番手っ取り早いはずなのにだ。
逆に言えば、召喚術をわざわざ用いなかったと考えられる。
「召喚術は使えないってことは……」
召喚術という術式は非常に難しく、誰もが扱える術ではない。
そういう技術的な面で使えないのか、それとも別の理由なのか。
ラルガポットや悪魔の噂を考慮すれば、その理由は絞られてくる。
「あまり信じたくはないが、辻褄は合うな」
召喚術を禁忌としている組織が、この都市にはあるではないか。
状況が状況だけに、その疑念はもはや確信へと変わっていた。
「ねぇ、あの死骸、どうするの?」
「治安局が秘密裏に回収するだろう。こんな魔獣を住民達に見られたら、噂はさらに広がるだろうからな。だが回収される前に確かめておきたいことがある」
ウェイルはデーモンの死体をくまなく調べ、そして発見した。
「――見つけた。こいつだ」
ウェイルが手にとったのは、デーモンが身に付けていた首輪だった。
「フレス、こいつを知ってるか?」
「ちょっと見せて」
フレスはウェイルから首輪を受け取ると、しげしげと見定め始める。
「うん。これなら見たことがあるよ。人や神獣を無理やり従わせる時に使われる神器だ。精神介入系神器で、確か『従属首輪』って名前だったかな。昔は奴隷商売をしていた人間が使っていた、ボクの大嫌いな神器だよ」
「問題はこいつを使わなければならなかったっていう点だ」
デーモンが召喚術によって現れたのならば、こんな神器は必要ない。
召喚術とは原則、召喚された者は、召喚した者に対して絶対服従の契約を交わす。
では何故このデーモンにはこんな精神介入系神器が装着されていたのか。
それはこのデーモンを使役している者と、デーモンを召喚した者が別人であるということだ。
――つまり、悪魔の噂を流布した張本人は、召喚術が使えない立場の者ということになる。
そして証言者の話した赤い光。
実のところこれは、転移系神器特有の発光現象なのである。
召喚術とは次元超越をする術式であるが、転移術は空間超越をする術式であり、類似点は多いが似て非なる術式である。
召喚術の主な用途は、労働力の確保として用いるものだが、転移術はもっぱら移動手段として使われる。
特によく用いているのは教会組織で、布教活動のための移動手段や運送手段として用いられている。
「あ、ウェイル! ここに誰かのサインがあるよ? たぶんこのデーモンの使役者だね」
精神介入系の神器の特徴として、使役者の刻印が必要となる事が多い。
大抵は使役者直筆のサインが神器に施される。
そのサインが契約の証であり、対象者を縛る鎖となるわけだ。
そしてウェイルはこのサインに見覚えがあった。
何せそのサインは、今日見たばかりのものだったからだ。
「間違いない。悪魔の噂を流布した黒幕は――ラルガ教会だ」




