誓いのキス?
「……ウェイル、どうやら来たようだよ!!」
フレスの地獄耳が、敵の足音を捕えた。
静寂を保っていた地下が、徐々にざわめき始めたのを感じる。
「敵の数は?」
「多いね。足音の数からしておそらく百は超えている」
「なんだ、その程度か。それならクルパーカー戦争の時より随分と楽なんじゃないか?」
「それもそうだね!」
ウェイルがニッと笑うと、フレスもパアッと相好を崩した。
こんな時でも楽観的な二人。
数々の事件を共に乗り越えた二人にとって、この程度の事件では、すでに大したことではなくなってきている。
「さて、フレス。油断だけはするなよ?」
「そっちこそ!」
次第に迫ってくる足音に、二人は臨戦態勢を整える。
そして地下スラムの入口に、警備隊の一団が姿を現した。
「見つけたぞ! 例の鑑定士だ!」
「これは警備隊の皆さん。俺に何か用か?」
「ルクセンク様の命令でお前を逮捕する! 大人しくしろ!」
「おいおい、俺が一体何をしたっていうんだ?」
「これからお前らは胸にあるドッグタグを紛失してしまうということになっている」
「ああ、なるほど。納得だ」
この都市に入った時に配布されたドッグタグには、こういう利用法もあるということか。
彼らはウェイル達のドッグタグを奪う気でいるらしい。
ドッグタグを紛失したことにすれば、警備隊はウェイルを逮捕する大義名分が出来る。
「全く、よく出来た制度だよ」
「全員、奴のドッグタグを奪え!!」
ウェイルが愚痴をこぼしたのと同時に、警備隊は一斉に二人に向かって突撃してきた。
しかも一人一人の手には刃物が握られている。
「人間為替といい、ドッグタグシステムといい、酷い制度ばかりだな、この都市は」
「ウェイル! どうする?」
どうする、とは龍に変身するかどうかのこと。
「そうだな……。この数相手だ。そうするとしよう。彼らを殺さないように力を抑えることは出来るか?」
「当然! いくよ、ウェイル!」
フレスはウェイルに詰め寄ると、ウェイルもフレスの視線に合わせるために腰を落とした。
「ウェイル、お願い!」
「……ハハハ!」
「ちょ、ちょっと、何がおかしいのさ!?」
この一大事に、ウェイルは思わず笑ってしまった。
意味が判らないとばかりに、フレスはしかめっ面を浮かべる。
「どうして笑ったの!?」
「いや、だってな? この都市では俺達は結婚をした扱いになっているんだぞ? そうすれば、これは誓いのキスってやつに見えたりはしないか?」
「――なっ、なななななっ!?」
「おっと、翼を広げるなよ、服が破れるだろ?」
「だってだって、ウェイルが変なこと言うから――――ウッ!?」
文句を言うフレスの口を塞ぐように、ウェイルは唇を奪った。
その瞬間、蒼く輝く光がフレスを包み込む。
激しい冷気と共に吹き出す殺気に、警備隊の連中は思わず足が竦む。
冷気が晴れて光が消えると、この地下スラムが狭く思えるほどの巨大な龍が現れていた。
『我が師匠は割とデリカシーの無い奴だったんだな』
「龍の姿では誓いのキスは難しそうだな」
『ふん、言ってくれる……』
神龍フレスベルグは冷気を発しながらひとしきり笑うと、すぐに表情を一変させる。
『さて、こいつらをどうしてくれようか……』
「殺さないようにな」
フレスベルグの鋭い眼光が、容赦なく警備隊員に突き刺さった。
失禁すらしてしまいそうな威圧感に、逃げ出す隊員も少なくはない。
しかし、ウェイルはそれを許すつもりはない。
「フレスベルグ、奴らを逃がすな」
『無論だ』
フレスは身体をうねらせ飛翔する。
地下スラム入口へと走り向かう隊員を抜き去り、入口の前に立ち塞がった。
『申し訳ないが、お前達を外に出すわけにはいかないのでな。どうだ? まだ我とやる気はあるか?』
フレスの問いで、ようやく彼らは己が目的を思い出す。
「こんな奴らを拘束するだなんて……!!」
「絶対無理だ!!」
「化け物が相手なんて聞いてなかったぞ!! どうなっているんだ!?」
しかし彼らにその目的を全うする力など、もう残されてはいない。
フレスベルグの龍の姿に、気力を根こそぎ奪われてしまっていた。
「逃げるな、任務を全うするんだ!!」
中には極少数ではあるが、立ち向かおうとする者達もいた。
剣を持ち、フレスベルグへ切り込んでくる。
『良い度胸だ。だがそろそろ寝ていろ』
フレスベルグは、そんな彼らを優しく撫でてやった。
それだけで十分すぎるほど。
刃は折れ、鎧は割れ、身体は吹っ飛ばされて壁に激突していた。
勇敢であった数人がいとも簡単になぎ倒されたことで、隊員達の間に衝撃が走る。
今や完全に、地下スラムは恐怖で支配されていた。
「フレス、よくやった。俺達も次へ行くぞ」
『ああ、そうだな。こいつらはここに閉じ込めておくのか?』
「そうだ。警備隊が外に出てくると計画が台無しだからな」
ウェイルがフレスベルグに何やら指示をすると、フレスベルグは再び警備隊の方へと視線を戻す。
恐怖で竦み動けなくなった彼らを尻目にウェイルは一人地下スラムから抜け出る。
フレスベルグがそれを確認すると、背中に纏うリングに魔力を溜め始めた。
『すまないが、数日の間ここにいてもらうぞ。心配せずとも食糧や水なら大量に残されている。死ぬことはないだろう。数日後には自力で脱出できるだろうしな』
フレスベルグは力を放出した。
青い輝きは、冷気となって、地下スラム入口周辺を包み込んだ。
「な……、入口が……!!」
冷気が晴れると、フレスベルグが何をしたのか、警備隊員は理解できた。
「こ、凍っている……!?」
フレスベルグの冷気で、入口付近には巨大な氷塊が出現し、周囲を凍らせていたのだ。
氷の塊が邪魔をして、入口は完全に塞がれていた。
「これじゃあしばらく動けないじゃないか……」
地下スラムに残された警備隊員は、閉じ込められたという現実が目の前にあるというのに、少しばかりホッとしていた。
凄まじき恐怖の対象が、この場からいなくなっていたからだ。
それに例の龍がいうに、自分達は数日後には脱出できるらしい。
ルクセンクの恐怖からも一時的に解放されたということも重なり、警備隊員は皆安堵していた。
――●○●○●○――
「よくやったぞ、フレス」
「もう、ウェイルってば! 変なこと言わないでくれる!?」
龍の姿から元に戻ったフレスが、案の定抗議してくる。
「いいじゃないか。ただの冗談だ」
「だから! 冗談だっていうのが一番腹が立つんだけど!」
「それよりもフレス。次だ」
「それよりもって! ボクにとっては重要なんだけど! ……もういいよ……。次いこ」
まともに取り合わないウェイルに何を言っても無駄だと悟ったフレス。
もちろん納得をしたわけではなかったので、頬を膨らませて表情だけでも抗議は続けていたが。
「次こそが最も重要な仕事だぞ? 大丈夫か?」
「ボクが大丈夫でない理由の大半はウェイルのせいなんだけどね」
「そうか。不満は仕事が終わった後いくらでも聞いてやる。行くぞ」
「はいはい……」
二人はピリアから授かった地図を頼りに、地下道から直接ルクセンクの館へと繋がる道を歩いた。
そう、二人の次の仕事とは――
「――ルクセンクを監禁する」




