嫉妬
「なんだとっ!? あの鑑定士の株が、全て買い占められてしまっただと!?」
ルクセンクの激昂に、周囲の執事達は皆恐怖で縮こまっていた。
「いつ頃の話だ!? おい!!」
「は、はい……!! 本日の午前10時頃のことだそうです」
「一体どんな方法を用いたんだ……!? いくらなんでも全て買う資金なんてどこにもないはずだ……!!」
「それは、その……奴はその、弟子と、結婚をしたとのことで……!!」
「なにっ!? た、確かにその方法なら……!!」
――正午。
周囲を戦慄させるルクセンクの怒号が、人間為替市場に轟いていた。
更新された貼り紙に、ルクセンクのターゲットであるウェイルの価値が表示されている。
その価値は、現在――0リベルテ。
株式を100%取得されたものは、基本的に人間としての価値を失う。
ウェイルはフレスと株の100%持ち合いをした。
つまりこの都市ではウェイルはもうフレスの所有物となっている。
個人の所有物である以上、所有者の承諾がない限り株売買は出来ない。
そういう点からウェイルの株の値は、フレスが売買を行おうとしない限り0となるわけだ。
同様にフレスの価値も0になっている。
フレスはもう、ウェイルの所有物となっているのだから。
「……鑑定士め、もうすでにここの存在を知り対策を打ってくるとはな……!! ……クッ!! 流石はプロ鑑定士と言ったところか。少々甘く見すぎたようだ……!!」
まさかこんな短時間の間に先手を打たれるとは、ルクセンクといえど想定外であった。
となれば鑑定士が次にどのような行動に出るか、想像するのは容易い。
「何が何でも奴をこの都市から出すわけにはいかなくなった……!! おい!!」
「はっ!」
付き添っていた従者が跪く。
「この鑑定士の居所を今すぐに調べろ! 警備隊にも連絡し、大至急拘束するのだ!」
「ルクセンク様。すでに警備隊は奴らの居所を掴んでおります」
「……どこだ!?」
「地下スラムです」
「地下スラムか……。確かルイというドブネズミがちょろちょろしているところだったな。姉弟揃って汚らしい奴らだ」
「報告によると、そのルイが鑑定士を匿っていると。いかがなさいましょう?」
「地下スラムか。地上のゴミ共の収容場所としてわざと放置してやっていたものを……!! 警備隊に伝えろ! これからすぐに、地下スラムを殲滅せよと! 人間為替市場のことを知った鑑定士を確実に捕えるのだ!」
「はっ!」
ルクセンクの命令が響き渡ると、警備隊はすぐさま行動を開始した。
――●○●○●○――
ウェイル達は全ての準備を終え、後はルクセンクの行動を待つだけになっていた。
すでに地下スラムの住民達は完全に避難を終え、残るはウェイル達ただ二人。
ルイはすでにハンダウクルクス駅近くで身を隠し、ピリアもそれに付き添っていた。
他の『無価値の団』構成員も、ファイラーの支給した武器を片手に、都市の至る所へ潜んでいた。
広大な地下スラムに、たった二人で残ったウェイルとフレスは、今か今かと『その時』を待っている。
「ねぇ、ウェイル」
ふいにフレスが声を掛けてくる。
「なんだ?」
「ウェイルってさ、どうして自分から事件に巻き込まれていくの? サラーの時もそうだし、今回もさ」
「別に自分から巻き込まれているつもりはないんだけどな」
「そうなの? でもさ、巻き込まれないように回避しようとすれば出来たよね。サラーの時だって無視すれば良かったし、今回だって逃げようと思えば逃げることは出来たでしょ? いざとなったらボクが変身して空から逃げればいいんだしさ」
フレスは、ウェイルが無駄に正義感を持っていることをよく知っている。
しかし、そんな強い正義感を差し引いてでも、ウェイルは余計なことに首を突っ込みたがる節がある。本人に自覚はないかも知れないが。
そんなフレスの素朴な質問に、ウェイルは少し頭をひねらせていた。
「うむ。確かに俺は変に事件によく巻き込まれるな」
思えば、フレスと出会ったラルガ教会での事件もそうだった。
鑑定士として見過ごせない事件だったとはいえ、あそこまで深入りする必要はなかったのかも知れない。
しばらく考えて、そして自然に出た言葉。
「……羨ましいと思っているのかもな」
「……羨ましい……?」
あまりに予想外の言葉だった。
呟いたウェイル自身も少し驚く。
しかし思い当たる節はある。
「例えばイレイズの時のことだ。イレイズは何のために戦った?」
「……自分の都市を守る為、でしょ?」
「そうだ。そして今回も同じだ。ルイ達はこのハンダウクルクスを少しでも住みやすい都市にしようと戦っている。故郷を想うあまりに、こんな大それた行動をとっている。それが羨ましいんだよ。俺にはもう、そう思える故郷がないのだから」
「……フェルタリア……だよね」
ウェイルの故郷、神器都市『フェルタリア』。
それはもう、アレクアテナ大陸には存在しない。
良質な神器を量産していたこの技術と、そして龍という存在を狙って、贋作士集団『不完全』の手により、フェルタリアは崩壊した。
ウェイルはフェルタリア王家で、唯一生き残った人間なのだ。
「フェルタリアが襲われたのは、俺がまだ幼い頃だったからな。故郷の記憶はあまり残っていないんだよ」
フェルタリアが滅亡したのは20年ほど前のこと。
ウェイルはフェルタリア滅亡の後、師匠であるシュラディンと共に、貧困都市リグラスラムで青年期を過ごしたのだ。
「……ボクはね。フェルタリアのこと、しっかりと覚えてる……!!」
フレスはギュッとウェイルの手を握って、そして故郷のことを語り出した。
「ボク、フェルタリアで目を覚ました時にさ。人間に対する怒りで心が支配されていたんだ。その時、とても良い音楽が聞こえてきたんだ。ふと見ると、女の子がピアノを弾いていた。その子ね、ライラって名前だったんだ」
「……ライラ……!?」
シュラディンから聞いたライラという名前。
やはりシュラディンがフェルタリアで見たというのはフレスに間違いなかった。
「ライラはボクのせいで、手に怪我まで負ったのに、ぎゅっと抱きしめてくれたんだ。ライラはとっても優しくてさ! 初めて人間の親友が出来たんだ! ライラと暮らすのはとても嬉しかったし、楽しかったんだよ。フェルタリアの人達は、みんないい人ばかりでさ! ボクが龍だって告白した時も、誰も嫌な顔一つせず、それどころかより一層親しくしてくれて。王様はボクを守ってくれたんだよ。本当にフェルタリアを故郷だと思ったほどだよ」
フレスの顔は、とても優しい表情だった。
それはとても幸せな記憶で、そして切ない思い出。
何せこの先の結末を、嫌というほど知っているのだから。
「だからね、ウェイルが羨ましいっていう意味、分かる気がする。だってさ、ウェイルってば少しだけボクにも嫉妬してるんでしょ? フェルタリアのことを覚えている、このボクをさ!」
「…………ッ!!」
フレスに言われて、初めて実感したのかもしれない。
「……そうだな。俺はお前が羨ましいよ」
ウェイルは、無意識のうちにイレイズやルイに嫉妬していたのだと。
「ねぇ、ウェイル……」
「なんだ?」
「今度さ、フェルタリアがあった場所へ行ってみない……?」
「……そうだな……」
故郷の跡地。
未だ一度も足を運んだことはなかった。
行こうとしたことはあるものの、その度に気持ちが悪くなり、吐き気が込み上げてきた。
だが今は隣にフレスがいる。
彼女がいれば行くことが出来るかもしれない。
――最愛の故郷、フェルタリアに――。




