師匠、シュラディン
「師匠!! ただ今帰りました!!」
リグラスラム郊外のスラム街。
ウェイルが幼い頃に修行していたという建物の前に来た。
壁はあちこち亀裂が入り、吹き荒ぶ風で風化寸前の家だったが、決して汚いわけでなく、とても大切に使われているように見受けられた。
そんな家を見て、ウェイルは過去を思い出し感傷に浸っていた。
「懐かしいな、本当に。何年ぶりかな……?」
家の傍に転がっているバケツ。
これでよくギルパーニャと水遊びをしたものだ。
「フレス。ここが俺の師匠が住んでいる家だ。お前にとっては師匠の師匠にあたるわけだ。きっといい勉強をさせてもらえるさ」
「そだね! ボクもウェイルの師匠って人に色々と聞いてみたことがあるんだ!」
そんな会話を交わしていると、家の奥からギルパーニャが二人を呼ぶ。
「おーーい!! ウェイルにぃ、フレスちゃん! 入ってきてよ~~!!」
「今行くよ~~。ウェイル、ボク先に入ってるね!」
「おう。俺もすぐ行く」
ウェイルは転がっていたバケツを、昔の記憶にある定位置に戻した後、フレスに続いたのだった。
――●○●○●○――
家の中は、外見からは想像もつかないほど広かった。
鑑定士という職業に就く者の住処には、必ずと言っていいほど地下室が備わっている。
日光の当たらない地下室は鑑定品を管理・所蔵するには持ってこいで、防犯上の観点からも非常に優れている。
ウェイルの師匠は地下室にいたらしい。
ギルパーニャと一緒に居間に戻ってきた。
「師匠、お久しぶりです」
「ああ、久しぶりだな、ウェイル」
現れたのは、渋い声の老人。
しかし、ただの老人と思うでなかれ。
還暦を少し前に過ぎたばかりの老人の癖して、その肉体には年相応という言葉を辞書から消し去ってしまったほどの、隆々な筋肉を携えていた。
頭はスキンヘッドで、こめかみにはドラゴンのタトゥー。
表情は終始穏やかであったが、その瞳だけは異常なまでに鋭かった。
もし怒らせてしまった場合のことなど想像もしたくはない。
そんな男に、ウェイルは仰々しく頭を下げた。
フレスもつられてピョコッと頭を垂れる。
師匠はゆっくりと手を上げ、それをウェイルの肩に乗せた。
「ラッハッハッハッハッ!! よく来た、ウェイル! 随分礼儀正しくなったじゃないか!!」
懐かしい笑い声が響く。
「不肖の弟子が久しぶりに師匠に会うわけです。仰々しくもなるというもの」
「何言ってんだ!! ここにいた時、お前さんが敬語を使う姿なんて見たことがなかったぞ!?」
「そうだよ! ウェイルにぃったら貴族連中にもタメ口叩くんだから!! 師匠がどれだけ変な目で見られていたか覚えてないの?」
「無論、記憶しております。その節は誠に申し訳ありませんでした」
「ラッハッハッハッ!! 過ぎたことだ、気にするな!! それに貴族連中はスラム街の住民に対しては漏れなく奇異な視線を向ける。ウェイルがどうこうする以前の問題だ! それにお前さんが敬語を使わない理由も知っている。そんなことよりウェイルよ。いい加減堅苦しいのは止めてくれ。こっちの方が息が詰まる。それとも何か? お前さんは師匠の息の根を止めたいとでも言うのか?」
「そうだな。今更師匠に敬語なんて考えられない」
「それはそれで少し問題があると思うけどなぁ?」
「ギルパーニャ。お前も人のことは言えんぞ?」
懐かしい会話劇を繰り広げた三人は腹を抱えて笑った。
(むぅ、ボクだけ仲間外れ……)
フレスは疎外感を感じて少し不貞腐れていた。
改めて師匠に振り向くと、ウェイルはフレスを紹介した。
「師匠、ついに俺にも弟子が出来てな。紹介するよ」
「どうもそのようだな。珍しいこともあるもんだ」
「こいつの名はフレスという」
「フレス、だと……?」
その名を聞いて、一瞬師匠が硬直したように見えた。
「青い髪に……そしてフレス……!! まさか……!!」
「師匠、どうかしたのか?」
「……い、いや、何もない。続けてくれ」
「そうか? 判った」
師匠はやけにそわそわとした様子だったが、その理由に心当たりはない。
「旅の途中で偶然出会ってな。プロ鑑定士を志望していて、今は俺が面倒を見てやっている」
「むぅ。どっちかというとボクがウェイルを守っているんだけど!」
「確かにな。フレスには随分と助けられてるよ」
今の台詞。それは本心だった。
ここ短期間の間に起きた数々の事件。
とてもじゃないがフレスなしでは解決できなかっただろう。
二人で旅した時間は短いが、確かにそこには信頼関係が出来ている。
そんなウェイルの本心はしっかりと師匠に伝わったらしい。
「……ふむ。良い師弟関係なのだな」
「ああ。それは自信を持って言えるよ」
「そうか……。彼女が楽しそうで本当に良かった……!!」
妙な台詞回しは気にはなるが、ウェイルの杞憂を晴らすように、シュラディンは二カッと笑みを浮かべてきた。
「さて、次はワシのこともフレスちゃんに紹介しろ」
「そうだな。フレス、この方が俺の師匠であるプロ鑑定士のシュラディンだ。俺の師匠だからな、目利きの腕は大陸一だよ」
「た、大陸一!? す、すごい……!」
「そりゃあ大袈裟に言いすぎだろう? 精々リグラスラム一だ」
「大袈裟なもんか。この俺の師匠なんだぞ?」
「お前のその自信過剰っぷりは見ていて気持ちいいな! そうだ、鑑定士は常に自分に自信を持たないといかん。自分の鑑定結果に自信のない鑑定士など役には立たないのだからな。そういえばお前、ヴェクトルビアで何やら大活躍したそうじゃないか! 噂になっていたぞ?」
王都ヴェクトルビアにて『セルク・オリジン』を巡って起きた一連の事件は、瞬く間に大陸全土へと広まり、その事件を解決し勲章を授かった英雄として、ウェイルの名前は大陸中に知られることになった。
「なんでもセルク関係だとかなんとか。新聞で読んだが、相当大きな事件だったようだな?」
「……あの事件は色々と考えさせられるものがあった。芸術は時として人を狂わせると、身に染みて理解したよ」
「何はともあれ無事で良かった。お前さんは昔から無茶ばかりする癖があるからな。師匠として弟子の活躍は嬉しいが、同時に心配でもあるんだ」
「心配かけるよ。今までも、そしてこれからもな」
シュラディンはポンッと優しくウェイルの肩に手を置いた。
それは師匠が弟子を褒める時の仕草。
久々に味わった褒められるという状況に、ウェイルは少し嬉しくなったのと同時に、心配をかけたと少しばかり反省した。
「師匠~~!! ウェイルにぃ~~!! フレスちゃん~~!! 食事の準備するから手伝ってーー!!」
そんな染みったれた空気を一掃する、軽快なギルパーニャの声。
ウェイルとシュラディンは互いにニヤリと笑うと、
「「今いくよ!」」
と、声を合わせて調理場へ向かったのだった。
「大陸一……。だったらシュラディンさんは、フェルタリアのこと、詳しいのかな……?」
フレスの独り言だけが、残された部屋に染みていった。




