フレスのお料理教室【前編】
「うう……、やっちゃったよぉ……」
今、フレスは反省――いや、猛省していた。
フレスの目の前にあるのは新品なのかと見間違えるほどピッカピカに輝く、からっぽとなった食器の数々。
「ウェイル、ごめんなさい……」
どうしてこんなことになったのか。
それは数分前に遡る。
――●○●○●○――
「しかしサグマールの奴、一体何枚報告書を書かせるつもりだ……!!」
その日、ウェイルはクルパーカー戦争についての事後調査報告書を書くため、部屋に籠りきっていた。
「イングの持っていた神器、確か『無限地獄の風穴』って名前だったか。ただでさえ面倒な神器だというのに、さらにフロリアのことも書かなきゃないけないし……。これは飯を食ってる暇もないぞ……」
一都市の命運を分けた大事件であったのだ。
しかもウェイルはというと、いくらサグマールの後ろ盾があったとはいえ、世界競売協会へ侵入するなど、独断で好き勝手に動き回っていた。
そういうことで報告すべき事項は山ほどあり、その報告書の提出に追われていたわけだ。
「くそ、腹減ったな……」
空腹に堪えながら、報告書を書き進めるウェイルであった。
そんなウェイルを影から心配する視線が一つ。
「……ウェイルってば、ご飯も食べないで書類を書いているけど、大丈夫なのかな……?」
正午はとうに過ぎ、そろそろおやつの時間にもなろうかという時間帯。
ウェイルは朝から一口も食事をとらずに、ずっと机にかじりついている。
そんなウェイルを心配したフレスは、用意されていた昼食を部屋に運んであげていた。
しかし、ウェイルは多忙から口にする暇がなかった。
となればフレスの目の前にあるのは、湯気の立ついい香りの昼食。
「……お、おいしそう……!! だ、ダメだよ、ボクはもう食べたんだから我慢しないと!! ……ごくり」
それからしばらく待っても、ウェイルは食事に手をつけようとしない。
気がつけばすでにおやつの時間。
目の前には美味しそうな昼食。
フレスの口からは涎が流れて止まらない。
「ウェイルってば、食べないのかなぁ……?」
相変わらず忙しなく報告書をまとめ続けるウェイル。作業は終わりそうにない。
「……ちょっとくらいなら食べてもいいよね……?」
目の前で漂うかぐわしい香りに、フレスはついウェイルの昼食に手を出してしまい、そして。
「――はっ!? 全部食べてしまった!?」
案の定というべきか、綺麗さっぱり完食してしまったのだった。
――●○●○●○――
(……うう……、ボクのバカ!! どうしてウェイルのご飯、全部食べちゃったんだろう……)
反省したところで昼食が戻ってくるわけではない。どうにかしてウェイルに食事を取ってもらおうと、フレスはうんうん頭を悩ませていた。
するとフレスの脳裏に一筋の光明が差す。
「そ、そうだ!! ボクがウェイルの為にご飯を作ってあげればいいんだよ!!」
そういえばこの前、ウェイルにシチューを作ってあげた。
生ゴミは散乱し床は凍りつき、部屋中酷い有様にはなってしまったが、肝心のシチューは結構上手に作れていた。
「よーし、もう一度ウェイルのために腕を奮っちゃうもんね!!」
そうなれば早速行動あるのみ。
「ウェイル、ちょっと外に出てきていい?」
「本は読んだのか?」
「ま、まだだけどさ……。もう飽きちゃったんだよ!! ねぇねぇ、ちょっとくらいいいでしょ?」
ベッドの上で転がりながらフレスは駄々をこねる。
「駄目だ。あれしきの本を読めないでプロ鑑定士になんてなれるもんか」
「むぅ、だって全然面白くないんだもん! ボクだって何かしたいんだよ!」
「俺は今仕事中なんだ。あまり騒がしくしないでくれ」
「ならそれを手伝うよ!」
「素人には無理だ」
「なら外出を認めてよ!」
「本を読んだらな」
しばらく口論が続けたが、ウェイルは本をよめとの一点張りで埒が明かない。
だからフレスは完全に拗ねてしまった。
「もう! ウェイルの馬鹿! 分からず屋!! ウェイルの為なんだからね!! いいもん! ボク、ちょっと出てくるから!」
プンスカと頬を膨らませ、フレスは部屋を飛び出してしまった。
「全くあのバカ。……ん? 俺の為……?」
――●○●○●○――
「飛び出して来ちゃったけど、どうしよう……。料理するにはいいけど、この前みたいに部屋をぐちゃぐちゃにするのは嫌だなぁ……。美味しく出来たのだって、偶然だもんなぁ……」
ウェイルは美味しいと感想をくれたが、正直に言うとあのシチューはかなり適当に作ったものだった。
何せフレスはあまり料理をしたことがない。
以前フェルタリアにいた時、一緒に住んでいた女の子としたことがあるくらいだ。
「ライラは料理上手だったもんなぁ。ボクもライラみたいに料理上手になりたいよ……」
ライラのように手際よく料理するためには、一体どうしたらよいだろうか。
「料理の得意な人に教えてもらえばいいんだ!」
そう閃いたフレスは、意気揚々とマリアステル市内に出た。
このマリアステルにいて、料理のできそうな人物。フレスの脳内検索機能の結果は――。
「そうだ! 困った時のテリアさんだ!」
そもそもマリアステルで知っている人なんて、アムステリアくらいしかいない。
思いつきのまま、アムステリアの家に向かったフレスである。
――●○●○●○――
「……どうしてアンタが一人でうちに来てるのよ」
「それがね、ボクがウェイルの分のご飯を食べちゃって。代わりにボクが料理を作ってあげようと思ったんだよ」
「へぇ、アンタが料理ねぇ。それは人用の料理なの? ちゃんと食べられるものなんでしょうね?」
「うむむ、失礼な! ボクだって食べられる程度の料理は出来るよ! でもウェイルには今よりもっと美味しい料理を振舞ってあげたいじゃない!」
「その気持ちは判らなくもないけど、どうしてうちに来るのよ」
「テリアさん! ボクに料理を教えてください!」
「嫌よ、面倒くさい。それと次にまた私をテリアって呼んだら殺すわよ!?」
「お願いだよぉ~~!! 教えてよ~~~~!!!」
アムステリアの腕にしがみつきながら懇願するフレス。
いくら腕をブンブンと振っても一切離れようとしなかった。
「さっさと離しなさい!!」
「教えてくれるまで離さない~~!!」
「私はこれから仕事で忙しいの!! ウェイルの頼みならいざ知らず、どうしてアンタのために時間を割かなきゃならないのよ」
「いいじゃない! テリアさんのけちんぼ!!」
「アンタがその呼称を使うな!! とにかくアンタの為に割ける時間なんて一分一秒もないの!!ほら、とっとと帰りなさい!!」
「嫌だ~~!!」
「この小娘……!! こうなったら……!!」
アムステリアはフレスの掴んでいる服ごと脱ぎ捨てて、ぽいっと外に投げ捨てたのだった。
まだ生暖かい服を掴んで、フレスはぺたりと座り込む。
「う~ん。テリアさんも駄目なら……。サラーのところに行くのは遠すぎるしなぁ。ボク、他に知り合い全然いないよ~~。……あ、服を一着もらっちゃった!! ラッキー!!」
なんとも無駄にポジティブなフレスである。
とはいえ知り合いが少ないことは困った問題だ。
頼るあてもないまま、これからどうしようと思案しながらトボトボ歩いていると。
「――あ、このお店……!!」
目に留まったのは、少し質素な佇まいの店。
レストラン『ファッティホエール』。見覚えのある名前であった。
「ここ、サラーと再会した時のお店だ!! そうだ、ここならきっとおいしい料理を教えてくれるはずだよ! ボクってホントにラッキーだね!!」
己が幸運に感謝して、フレスは目を輝かせながら店に入った。
「いらっしゃい。あら、お嬢ちゃん、お一人かい?」
店に入るとやってくる、クジラのように大きな女将さん。
「一人です! 今日は料理を教わりに来ました!!」
「……は?」
ニコニコ笑顔で非常識な注文をするフレスの顔を、女将さんは舐めるように覗き込んだ。
「アンタ、この間クマがどうとか言っていた娘じゃないかい。突然どうしたのさ」
「えっとですね、以前ここで食べたお料理、とっても美味しかったから教えてもらいたくて」
「あらら、そりゃ嬉しいこと言ってくれるねぇ。う~ん、どうしたものかねぇ」
「お願いします!! ボク、何でもしますから!!」
深々と頭を下げたフレスに、どうしようかと腕を組む女将さん。
「お願いします!!」
「どうしてそんなに料理を勉強したいんだい?」
「……えっと、た、大切な人に食べてもらいたくて……!!」
大切なお師匠様の大切な昼食を食べてしまったお詫びをしたい、なんて言えず。
しかし女将さんは目を細めて頷いていた。
「うんうん。アンタ、健気で可愛いねぇ。あたしゃそういう話には弱いんだよ。よし、判った。私がコックに話を付けてやる。任せときな!」
「うん! ありがとう、女将さん!!」
「でも一つだけ条件があるわよ!」
「条件? それって……?」
「それは――」




