騙された贋作士
「さて、そろそろ決着をつけようか。僕も久々に本気で行くよ!!」
イングは勢いよく服を脱ぎ、上半身を露出させた。
その腹部にある丸い窓のような形をした神器が、低い音を吐き出し始める。
神器『無限地獄の風穴』の穴が開いたのだ。
冥界に繋がるおぞましき神器からは、心すら凍りつかせる冥府の風が吹き荒ぶ。
「さあ、見てくれ、僕の最高のコレクション!! 世にも珍しいドラゴン・ゾンビだ!!」
自分自身に酔いしれているのか、イングは顔を紅潮させて両手を上げて天を仰いだ。
イングの身体から魔力光がほとばしると、『無限地獄の風穴』は断末魔のような音を響かせる。
まるで神器自体が苦しんでいるかのような叫び声だった。
艶かしく光る牙はうねうねと動き、窓は大きく開いていく。
しばらくすると、もはやイングの身体に留まれないほど巨大化し、空間を引き裂き穴は広がっていく。
激しい轟音と魔力光、そして腐臭とともに、穴から巨大な爪が飛び出し、次に頭部が這い出てきた。
「で、でかい……!!」
気絶しそうなほどの腐臭が周囲に立ち込め、朽ちた翼と骨だけになった尾も現れる。
冥界より出でし巨体の全貌が露となった。
「……来ましたね、龍のゾンビが……!!」
全身は腐り果て、黒い体液と膿を巻き散らすおぞましき怪物。
白目剥く醜い姿のその龍には、当然自我すらないのだろう。
目の前に現れた巨大な恐怖に、イレイズは全身が凍りついた気持ちだった。
例え朽ち腐った成れの果てとはいえ、龍の持つ魔力は通常の神獣を遥かに凌駕する。まさに桁違いという表現が相応しい。
普段から龍という存在と近しく接しているからこそ、龍の底知れぬ恐ろしさを誰よりもよく理解している。
――だからこそ、対策は万全だった。
「さあ、これでフィナーレだね!!」
イングが合図を送ると、ドラゴン・ゾンビは腐った膿混じりの体液を撒き散らしながら魔力を溜めはじめた。
「全部消し飛ばせ!!」
イングの号令でドラゴン・ゾンビは大きく口を開け、巨大な炎を吐き出そうとした――その瞬間。
「――うらあああぁぁぁぁぁぁぁッ!!!!」
甲高い咆哮がクルパーカー上空へ響き渡り、それと同時にドラゴン・ゾンビの頭部が弾け飛ぶ。
「な、何があった!?」
あまりにも想定からかけ離れた事態に、イングは思わず面食らい叫んでいた。
一体何が起こったのか、頭の状況整理が追いつかないうちに、次々とドラゴン・ゾンビの身体には巨大な氷柱が突き刺さっていく。
「ゾンビとはいえ龍だぞ……!? 一体誰が僕のコレクションを……!?」
「目には目をってやつさ」
狼狽するイングに対し、また別の声が一つ。
「龍には龍をってな。さっきぶりだな、悪趣味男」
「こんな朽ち果てた龍なんて、ボクの相手じゃないね!」
空から降りてきたのは青い翼を携えた少女フレス。
そしてそのフレスの隣に歩く人影が一つ。
「――待たせたな、イレイズ」
「信じてましたよ、ウェイルさん!!」
氷柱の発する冷気をかき分けて、ウェイルが姿を現した。
「まさか、ずっと隠れていたのか!?」
「いや、隠れていたわけじゃないさ。ちょっと野暮用があったからな。たった今到着ばかりだ」
「野暮用……?」
「そうさ、すぐに判る。きっと驚くぞ? お前さんにとっては驚くだけじゃ済まないだろうがな」
「……クッ」
この鑑定士が一体何を企んでいるのか。それは判らないが、何かあるのには違いない。
氷柱の発する冷気で視界が霞む。
(これはチャンスか……!?)
真っ白な冷気は辺り一帯を白く染め、視界を悪くしていた。
(この冷気を利用するか)
視界が悪いのは鑑定士達も同じ。
つまり鑑定士達もゾンビ軍団の動きにはすぐに対応できないはずだ。
そう考えたイングは即座に、ゾンビ軍団に命令を下した。
「……今のうちに奴らを殺せ……!!」
ゾンビ達はどこにいようが視界が悪かろうが、イングの身体に神器がある限り命令を受信し続けることが出来る。
ゾンビは、イングの念じるがままに働き続けるのだ。
しかし、異変はすぐに訪れた。
「……どういうことだ……?」
イングは間違いなく命令を下したはずだ。
だがしばらく経っても、一向に戦闘が始まった音が聞こえてこない。
イングの焦燥をあざ笑うかのように冷気の霧は晴れていく。
すると、またしてもイングにとって想定外の事態が起こっていたのだ。
「『不完全』所属、イング・イルエーテルだな? 違法品売買の容疑で逮捕する。大人しくしろ!!」
「な――何故だ!? 何故お前達がいる!?」
冷気が晴れた後に現れた一団に、冷静を装っていたイングもついに声を張り上げることになった。
逮捕の命令を下したサグマールと、その背後にはプロ鑑定士協会。
さらに大勢の治安局員がこの場を完全に包囲していたからだ。
「どうして治安局がいるんだ!? お前達はレイリゴアの事件に集中していたはずじゃないのか!? それがどうしてここに、こんな大勢で……!?」
周囲を見渡すと、イングの操作するゾンビ軍団は全て地に伏していた。
どのゾンビもピクリとも動く様子はない。
「ステイリィ上官! ゾンビは全て始末しました!!」
「よし、ごくろう!! では私はウェイルさんのところに戻る! 後は全部お前らに任せた――って、あれ!? ウェイルさんがいる!? え!? お前サボるつもりだったろって!? いやいや、サボるつもりなんてこれっぽっちも……!!」
治安局員の声が騒々しい。
「……なるほど……そういうことか……!!」
ゾンビが命令を無視した理由は単純だ。
治安局員達が、ゾンビを全て倒したからだ。
「イング! そこを動くな!!」
「くっ、まだだ!! 『無限地獄の風穴』があればゾンビなんていくらでも……!!」
「神器を使わせるな!! 掛かれ!!」
治安局員はイングを取り囲むと、サグマールの命令で一斉に飛び掛った。
隙を見て一斉にイングへと飛び掛かった。
イング自身、特別身体能力が高いわけではない。
ゾンビを使役出来ないイングは、拍子抜けするほど簡単に拘束された。
拘束され跪くイングに、イレイズは言う。
「貴方達は騙されたんですよ」
「騙された、だと……?」
「そうです。貴方達は私を嵌めようとしたんですよね? 治安局最高責任者のレイリゴアを暗殺することによって」
「……フロリアの仕事だ。失敗はない」
「随分と部下を信頼しているんですね? でも残念。フロリアは失敗したんですよ。何故なら――」
「――ワシはこうして生きておるからだ」
「レイリゴア!? な、何故生きている!?」
イングがここまで顔を歪ませたことは過去にあっただろうか。
顎が外れかねないほどの大きく口を開けて驚愕していた。
「お前達はワシを殺したと思っていただろうな。あれは全て演技だ。お前達『不完全』が現れたら、ワシはすぐに気絶するように元々決めていたのでな」
「私達は貴方達をおびき寄せるために、わざと目立つような形で会議をしていたのです。私の裏切りをアピールすれば、『不完全』は必ず動き出す。当然私を嵌めるようなやり方をしてくると。ですから先手を打ったのですよ」
「だが治安局は本気でお前を狙っていた!! 実際手配書も出ていたし、そうとしか見えなかった!!」
「知らせていたのは上層部だけですからね。ですから下っ端の治安局員達を撒くのには苦労させられましたよ」
「――だからこそ、この私の出番だったのです!!」
ふふんと、大きく鼻を鳴らしたステイリィ。
さっきまで泡を吹いて気絶していた癖に、レイリゴアがクルパーカーに到着し、自分の手柄を報告する機会が来た瞬間、目を覚ましたのだ。
「この私こそがイレイズさんを助けた張本人なのです!! この私がいなければ今頃イレイズさんは下っ端のボケ……じゃなくて部下達に殺されていたかも知れません!! この私のおかげでイレイズさんは生きています!! この私のおかげで!! さぁ、感謝して私をとっとと昇進させるべきではありませんか!? レイリゴアさん!?」
ちらちらと意味を含みすぎる視線を送り続けてくるステイリィを無視して、レイリゴアは続けた。
「お前達は見事に騙されたのだ。どんな気分だ? 普段贋作で人々を騙すお前達が騙されたというのは……?」
「……クソ……!!」
全ては治安局とイレイズの計画通りであり、イングは掌の上で踊らされていただけだった。
それを痛感したイングは、これ以上何も喋らなかった。
「連れていけ」
レイリゴアの命令により、イングは連行されていく。全てを諦めたのか、一切抵抗することはなかった。
「これで全て終わりましたな、イレイズ殿。……イレイズ殿?」
部族都市クルパーカーと贋作士集団『不完全』過激派の全面戦争。
それはクルパーカーの勝利によって幕を下ろした。
それは決して簡単な勝利ではなかった。
多くの被害や犠牲が出た。
それでもクルパーカーは勝利し、『不完全』の恐怖支配を打ち破ったのだ。
「イレイズ殿? 一体どこへ……?」
レイリゴアはイレイズを探したが、その姿はどこにも見当たらなかった。
「あちらですよ」
代わりに声を掛けたのはバルバード。
バルバードの視線の先に、イレイズはいた。




