妙な引っかかり
北、西の空から最初に煙が見えたのが、およそ二時間前。
それぞれに増援を送り出したのが一時間前。
相変わらず空には不吉な煙が立ち込めており、兵士達の不安を煽る。
刻々と変化する戦局や部下からの報告を、バルバードは逐一まとめていた。
「住民の避難はどうなっている?」
「西地区は全世帯の避難が完了しました。北地区では多少時間は掛かっているものの、後一時間で避難が完了するそうです」
「よし分かった。住民の避難が完了し次第、兵を全て本部に戻せ」
「承知しました!」
「報告します! 送った増援部隊が北地区へ到着したとのこと! すぐに体制を整え、敵との交戦に向かうと連絡が来ました!」
「西地区はどうだ?」
「西地区にも間もなく到着予定だそうです! 電信の情報だと兵の士気は高揚、すぐにでも戦闘を行える体制だそうです!」
「よし。戦況が変わり次第、また報告せよ!」
「報告します! 偵察部隊から電信が届きました。未だ敵の姿は未確認。現状奴らの姿はないとのことです」
「よし、引き続き監視体制を緩めるな!」
――次々と届く、戦況の報告。
地図の上を踊るように動くマーカーを見つめながら、バルバードは淡々と部下に指示を送っていた。
せわしくなく人が動く中、フレスとサラーはバルバードの隣にて刻一刻と変わる情報を黙って聞いていた。
(……未だ被害の情報はない、かぁ……)
フレスが隣で聞いている内容に、死傷者が出たという情報は入ってきていない。
少しだけホッとした反面、妙な引っかかりを覚えていた。
「……フレス。何かおかしくないか……?」
「……確かにね」
ふいにサラーがそんなことを言うものだから、フレスも同意した。
被害者が出ていないことに安堵する一方で、それに反比例するかのように得体の知れない違和感を二人は覚えていた。
「『不完全』を相手に戦争しているんだ。開戦してまだ数時間とはいえ、被害者なしは何かおかしい」
「そうだよね。相手には魔獣だっているんだから」
「それに奴らは神器を使うんだぞ? 奴らの持っている神器の力は想像以上におっかないものばかりなんだ」
フレスが頷く。
サスデルセルでもヴェクトルビアでも、奴らは油断ならない神器を駆使していた。
『不完全』は強力な神器を用いて魔獣、時には人すらも操る。
強力な神器を、その使い方を熟知しているプロ集団が戦う相手なのだ。
未だ直接的な接触がないとはいえ、被害が全くないとは考えにくい。
「奴らが本気を出せば、離れたところからでも攻撃してくるはず。転移系神器を使えばもっと直接的にも攻撃可能だ」
「そうだよね。ボク、何か引っかかるものがあるよ」
このモヤモヤは何だろう。こんな時ウェイルなら――。
(的確な指示や指摘をしてくれるんだよね)
でも、そのウェイルは今はいない。
そのことにフレスは今、不安を覚えていたのだ。
(ボク、最近ちょっとウェイルに依存し過ぎていたのかな……?)
そんなことをフレスが考えていたその時。
「報告します!」
息を切らせた兵士が、部屋に飛び込んできた。
「どうした!?」
「敵がいません!!」
「それは既に聞いている。偵察部隊は敵を見つけていないと報告してきた」
「それが違うんです! 西地区の増援が、煙の上がった地区に到着したのですが、そこには負傷した味方しかいなかったのです!」
「何!? つまりもう突破されたということか!?」
「そうではありません! 彼らの主張によると何もないところから突然爆発が発生したとかで! 煙はその爆発によるものだそうです! 皆その爆発に巻き込まれて負傷しているとのこと!!」
「何を言っている!? 爆発が起こったということは、それを起こした敵がいるはずではないか!! 増援部隊は敵の姿を見なかったのか!?」
「本当に敵はいなかったのです!! ただ突然爆発が起きたと、兵士は口を揃えてそう言っているのです!」
「一体どういうことなのだ……?」
敵がいない。しかし負傷者は出ている。
一体どうすればこのような状況が生まれるのか。
「――神器だ」
「サラー殿……?」
「時限爆弾型神器か、転移系神器を使ったんだろうさ。奴らがよく使う手だ」
「報告します! バルバード様! 北地区の戦局ですが、敵が一向に見当たりません!!」
「北もなのか!? 負傷者は!?」
「すでに七名が負傷しているとの確認しています!!」
「……フレス、まずくないか? この状況は」
「……うん。かなりまずいと思うよ」
サラーが言わんとしていること。想像するに、それは最悪の状態だ。
「おそらく敵は、すぐ近くにいる……!!」
「ボクもそう思う……」
「……どういうことだ? 敵がいないとは……」
バルバードも事態の異質さに焦りの色を隠しきれない。
「ボクらが止めるしかないよね」
「どこまで出来るか判らないけどな」
バルバードは南地区の兵力を削いでまで、北、西地区へと援軍を送った。
援軍の力を得た兵士達によって、北や西地区内で『不完全』の動きを止める予定だったのだ。
その作戦の目的は悪くはない。
南地区はクルパーカー最後の砦とも行っていい最も重要な地区だ。そこへ敵の侵入を許してしまえば全てが終わりかねない。
南地区への敵の侵入を阻止する行動は、現状では最優先される事項であるからだ。
――しかしながら、この作戦には大きな穴もある。
南地区へ侵入させまいと他地区へ増援を送るということは、一時的に南地区の兵力が低下するということでもある。
逆に言えば一番重要な部分が手薄になるということだ。
「バルバード! 大至急、兵を南に帰還させろ!! 北や西は奴らの囮だ!!」
「承知しました……!!」
サラーがバルバードに命ずると、焦りの色が濃かったバルバードは、すぐさまサラーの命令通りに兵の帰還命令を下した。
「敵はこれを狙っていたんだね……」
北、西に兵力を集中させ、薄くなった南を叩く。
サラー達はある重要なことを失念していた。
それは自分達が戦っている相手は『贋作士』だということ。
奴らがその気になれば、戦場の一つや二つ偽ることなど造作もない。
「敵は直接南に来るつもりだ!! バルバード! すぐさま兵を臨戦態勢に!!」
サラーの命令の最中、さらに一人の兵士が部屋に飛び込んできた。
その顔を見るだけで、芳しくない事態が発生したと誰もが理解して身構えた。
「ほ、報告します! 南地区最前線で待機していた小隊一つが……か、壊滅させられました……!!」
「――なんだと!?」
バルバードはここに来て、ようやく自分の読みが甘かったことを痛感した。
「早く全軍をここに戻せ!! とにかく急がせろ!!」
「いや、状況が変わった。もうそれは駄目だ。敵は北や西地区を監視している可能性もある。全軍撤退なんてさせたら、今度はその地区が壊滅させられる。それに今から戻したところで意味はない!! 敵はもうすぐそこまで来ている!!」
バルバードの命令に、サラーは冷静に口を挟んだ。
「それではどうすれば……!!」
バルバードは猛者だ。それは違いない。
だが猛者ゆえに己の力を過信していたところが、多少なりともあった。そのツケを今、焦りという形で払わされている。
これではまともに指示するどころか、戦場に出ることすら出来ないだろう。
「バルバード様! 軍は一体どうすれば!?」
バルバードの焦りは、部下達にも伝染していく。
軍全体にその雰囲気が伝わるのだけはまずいと、バルバードの代わりにサラーが指示を下した。
「北、西地区には各千人ずつを残し、後は南に戻せ。ここにいる兵達の内、千人は住民の避難を。残りは私についてこい!!」
「承知しました!! おい、全軍に今の指示を回せ!!」
バルバードは、サラーの言う通りに指示を出した。悔しいが今はサラーの命令がもっとも迅速だと判断したからだ。
「フレス!! 私達が行こう!!」
「うん! サラー、久しぶりの共闘だね」
「……そうだな。実に八百年ぶりだ」
「ボク、全力でやるからね!!」
互いに拳をコツンとぶつけた。
「背中は預けるぞ! フレス!」
「うっしゃあ! 任せてよ、サラー!!」




