秘密がありて、秋に隠す
四条の邸にも落葉がからからと啼くようになった。
乾いた赤い葉はみっともなく萎んでしまって、風に吹かれては右往左往する。時折激しく枝揺らす風あらば、落ちる葉もろともに一つの群れをなして転がっていった。
そこに無頓着に割り入る男が一人。落ち葉は最期に一つ二つと呻いては物言わぬ死骸となる。黒い沓が通ったあとには形も残さない塵芥となるのだ。
男はするりと沓を脱ぐ。迷いなく邸内に入り込む。一連のことを見た者は誰一人いない。
邸には一人の女が静かに端座する。微睡みの中で足音に気づき、漸う目蓋を上げて、闖入者を映した。
「お前もよくよく物好きな」
億劫そうに女は躰を起こす。
「冬になっては邸から出るのも嫌になっていくだろうに」
男は勝手知ったる様子で円座を引っ張り出して、その上に胡坐をかいた。
「いいや、暇には飽きが来る。暇に付けては暇つぶしが肝要なのだ。宮が知るように」
「まあ」
女がくつくつと嗤う。「お前ごときに見破れる妾と思うてか」
「どうであろうか」
男も嗤う。自嘲しているようにさえ見えた。
「いつものことながら気に食わぬ男よ」
女は美々しい片眉を上げてみせ、男はまるで気にしていないように張り付けた微笑を浮かべた。
「歓待はせぬぞ」
「そうだろうとも。むしろするのは俺だ」
男の持つ包みがはらりと解ける。女に見えるように押し出すと、女は手にする檜扇を放り出し、顕われた二冊の書物を見下ろした。
「献上するものと同じ品だ。やろう」
女は手を伸ばす。ひどく緩慢な有様で、袖から覗く白い手は微かに震えていた。
「御上への献上か。確かに、御上が好みそうなものよ」
「そして宮も好む」
「お前、出世を頭打ちにする気か」
「毛頭ない」
女はとっくりと自らの手の内にある書物を見詰める。男はそんな女を密かに見詰めている。
やがて顔を上げた女は観察している男をねめつけた。男は簡単に引き下がった。
「お前の望みを叶えてやる義理はないぞ」
「宮に何一つ望んだことなどない」
「虚実を申すか」
「申しますとも」
ああ、阿呆だ、と今ひとたびは女が引いた。
「では問おう。近頃の都はどうだ」
男はふむとつるりとした顎を撫でて、後、膝を打った。
「百鬼の夜行が専らの噂と聞く。かくいう俺の従者たちも見ている」
女は蛇のようににやりと顔を笑ませた。
「またどこぞの女の元へ通う道すがらであったか。恨まれた女に取り殺されぬようにな」
「お前は取り殺してくれぬのか」
「かくも面妖な間柄になった覚えはないぞ」
男は大げさに肩を竦めてみせる。冷たい秋風が几帳の衣をもゆらゆらと揺らしていく。
「百鬼の夜行などつまらぬことこの上ない」
女は先ほどのうたたねの残り香なのか、小さく唇を開き、欠伸を噛み殺した。
「よくわからぬものはこの先もよくわからぬ。これまでもよくわからなかったのだから疑いようもなし、ああ、妖とは何とつまらぬものか」
「人が怯えるものをつまらぬとは言わぬが」
「妾が怖いと思えぬものだから仕様がない」
男はほう、と溜息をついた。己に扱いきれぬからである。
「宮よ、今日この日はどんな話を所望か」
「常々言っておるものを。その耳は目と同じく節穴であろうな」
「節穴かもしれぬ」
男の言葉に女は苛立たしげに顔を顰めたが、白く輝く美貌に翳り(かげり)はない。険がある分、冴え冴えとした美しさが男の眼を射るばかりである。
「心だ」
移り変わる心を知りたい、変わらぬ心を知りたい。
女はことごとく断言した。男はその眩しさを独占できることに密やかな喜びを見出した。その姿を見られるがために、男はこのようなところに通い続けているのかもしれぬ。
「都で一際浮き名を流すお前なのに、ちっとも心を教えてはくれぬ」
「心を教えることはできぬぞ」
「妖よりはわかりやすかろう」
「それでも」
よくわからぬ、と女はぼやいた。
「ある意味においては妖よりも見えるようで見えないものだ。俺にわからぬ以上、お前にもわからぬ」
「そういうものか」
「そういうものだ」
女は一息ついて、こう云った。
「ならば、やはりお前は取り殺されたほうがよかろう」
あんまりなことを言う、と男は苦笑いを零した。
「恨みで人を殺めるくらいの想いならば、変わらぬ心になるだろうに」
女は至極真面目だった。貴い身の上ゆえに、恋情など知らず育ったがために、このようなことを言えるのである。
「確かに」
だが、と男はこのように続けた。
「俺がそうなったとき、宮はどうするのだ」
「妾か」
女は沈黙した。ふ。女は頬を優しく緩ませた。ぽつりと零されたのは一言。
「泣いてやろう」
もう何ヶ月も前に書いたものですが、分量が短すぎてどうしよう……となった作品です。でも、この小説の空気感が好きなので、短編連作のような形でぼちぼちと続けていければいいな、と。
小さな作品ですが、覗き込めばきらりと光る。そんなものを入れていきたいと思う今日この頃です。