捕らわれの姫君
「誘拐犯さん、誘拐犯さん、私は殺されてしまうのかしら」
「うるさい。しゃべるな」
「だって5日前からずっとここに繋がれて、ひたすらぼうっとしているだけなのよ?さすがに飽きてしまったわ」
「…………」
「誘拐犯さん?もしかすると誘拐犯さんは、お喋りが得意ではないのかしら」
今にも崩れそうな物置小屋の中、私は両足と両手を縛られて転がされている。
5日前の朝に侍女に綺麗に結ってもらった髪はもう見る影もなく、金色の長い髪は床へ広がっていた。
誘拐犯さんは難しい顔で砂と埃でざらつく床にそのまま腰をおろして、立てた剣を持ったまま、面倒くさそうにため息をはく。すごく機嫌が悪そうね。
「ねぇねぇ、誘拐犯さん」
「ちっ……」
舌打ちと共に抜かれた剣が、私の首に突きつけられた。
冷えた鉄の感触に背筋がぞくりとする。
「…………」
いつの間にか立ち上がっていた彼を見上げると、今にも射殺されそうなほどに鋭い目で、誘拐犯さんは私をにらんでいる。
「黙れ」
低くて掠れた、腰にくるいい声。
今は目の下に隈が出来ているうえに無精ひげが顎を覆っているから、浮浪者のような見た目。
でもきちんと身なりを整えればかなりいい線をいくと思うの。
5日間も2人きりで、観察する時間はいくらでもあったのだから間違いないわ。
「死にたいのか」
とても強い殺気を込めた怖い目と表情と声で、誘拐犯さんはそんなことをいう。
私は自分の首元に当てられた抜身の剣と誘拐犯さんの厳しい顔を見比べて。
出来る限り綺麗に見えるように、にっこりと笑ってみせた。
「そうね。私はもう捨てられてしまったもの。生きていても意味がないかもしれないわ」
「っ……」
誘拐犯さんの黒い瞳が動揺に揺れる。
なんというか、誘拐して殺そうとまでしておいて、この反応。
どうしても非情になりきれない、優しくて甘い人だわ。
5日前の夜に館に侵入してきた彼に捕まったのは、私とお母様の2人だった。
誘拐犯さんはその場に駆けつけてきたお父様に、選べと言ったの。
一人だけ助けてやるから。どちらか選べ、と。
お父様はためらうことなく言った。
『妻を…妻を助けてくれ!』
『娘はいい、いらないから。妻だけは…!!』
『娘をやるから!好きにしていいから!』
そうしてお母様は解放されて、私は誘拐犯さんの手元に残り、館からここへ連れてこられた。
お母様の身柄と引き換えにもらったたくさんの宝石が、誘拐犯さんの周りに転がっている。
手のひら大ほどもある大きな宝石や、国宝級の細工師が作ったアクセサリーに置物。
一生遊んでくらせるほどの価値があるそれらが、ただの石ころみたいにころころと転がされている。
お金が目的ならば、誘拐犯さんが誘拐をした目的は達成できたはず。
そしてお父様に捨てられた私は用無しで殺して捨てて遠くに逃げてしまえばいい。
なのにどうしてか、誘拐犯さんはそうしないのだ。
城下町のはずれの、使われていないこの物置小屋に隠れ住み、私を床へ転がしてすでに5日。
私だって、もちろん捕まったときには怯えていたわ。
殺されるかもしれない恐怖にがたがた震えてた。
でもね?
お母様が解放されて、お父様がお母様と笑顔でしっかりと抱き合っている姿をみたとき。
私は捨てられたのだと分かったとき、もうその震えはとまっていた。
そうか。私は必要ないのかって、すとんと胸に落ちてきた事実に、どうしてか納得してしまった。
途中で放り出さずにうっかり潜伏先まで連れてきてしまった私をどうしようかと、誘拐犯さんが5日間も悩んでいるところをずっと見てきた。
そろそろ誘拐犯さんは本当に逃げなければいけないと思う。
こんな城下町にいれば、近いうちに見つかってしまうものね。
でも私が足枷になっているから、きっとなかなかタイミングがみつからない。
だったら私は、今ここで彼に殺されるべきだわ。
「誘拐犯さん、出来れば痛くないようにしてね?どうせなら首をすぱっと一気に切り落としてちょうだい」
「っ……、……はぁ」
誘拐犯さんは、過振りをふって剣を下ろした。
そして剣を持っていない方の手で、顔を覆って、肩を落として、大きな大きなため息をつく。
「誘拐犯さん?」
もう一度呼んでみると、彼の手が素早く動いた。
シュッ、と。剣が空を切る音が私の耳を掠める。
「……あら?」
私は目の前に持ってきた両手を握って開いて確かめる。
足も、同じように動かしてみた。
転がされていた身体を、自由になった手を床について起こしてみると、床には私の手と足を縛っていたロープが落ちていた。
摘まみあげてみると、それはそれはきれいな切り口だ。
誘拐犯さん、剣の腕はかなりのものみたい。
「行け」
その台詞に、ロープをつまみあげていた私は思わず彼を見上げた。
疲れた顔をして私から視線をそらして、彼は剣を鞘へと戻す。
「…………」
「……さっさと逃げろ。もういい、いらない」
「いら、ない?」
5日間も待たせて置いて、何もしないで解放するの?
「どこへでも行け」
どこへでも?どこへ?
お父様は言ったわ。
娘はいらないと、確かに。
「…………」
「何をしている」
「誘拐犯さん、私はどこに行ってもいいの?好きなところへ?」
「だからそう言っている」
「…………」
私は首をかしげて、少し悩んだ。
お父様のもとへは帰れない。だって私はいらない子なんだもの。
きっとあんなことを言った罪悪感はもってらっしゃるでしょう。
けれど、それでも言ったことは取り消せない。
たとえ帰ったって、きっと気まずいだけだわ。
私たち親子の関係はもう修復不可能なのよ。
「……誘拐犯さんは、これからどうするの?」
「は?お前に関係ないだろう」
「私も連れて行ってほしいと言ったら、誘拐犯さんは怒るかしら」
「はぁ?」
無精ひげに囲まれた口元が、あんぐりと開いた。
この5日間で見たなかでは一番面白い顔ね。
「ふざけるな」
「誘拐犯さんは、好きなところへ行けと言ったわ」
「さっさと親元に帰ればいいだろう」
「お父様は、私をいらないって言ったわ。間違いなく言った。だからもう家へは帰らないの。誘拐犯さんも聞いていたでしょう?」
「っ……邪魔だ」
誘拐犯さんの目がまた揺らぐ。同情してますって顔にあるわ。
この人にとって私は、よほど不憫な子なのかしら。
そうそう、考えてみれば一度だって乱暴なことはされなかったわ。
剣を突きつけられたり、殺すぞとおどされたけれど、実際に手を振るうことは無かった。
この人は優しい人なの。誘拐犯だけれど。
――――だったらその優しさに、つけこんでみましょうか。
「だって…、私…」
お風呂には入っていないし、髪もぼさぼさだし、服もよれて残念なことになっている。
この残念な見た目を使って、私は彼の同情心をさらにあおることにした。
目元に涙を浮かべて悲壮感漂う表情で顔を覆う。
「帰れないの…行くところがないの……」
「っ……」
「お願い、連れて行って」
うるうるの目をして誘拐犯さんを見上げた私は、縄のあとが痛々しく残る両手を誘拐犯さんに差し出した。
どうかこの手を取って、と。
「…………」
誘拐犯さんは、縄のあとを見て表情を歪めている。
自分のやったことに、自責の念があるらしい。
「お願い…」
「面倒なことになったら、その場で捨てていくからな」
低くて掠れた腰に来るいい声で、ぼそりと呟かれたその台詞に、私は大きく頷いた。
何度も何度もうなずいて、とまどいがちに差し出された誘拐犯さんの手をきゅっとにぎった。
ねぇ誘拐犯さん?
私、実は知っているの。
あなたがお父様の保身のために没落に追い込まれた元王都騎士団隊長のご子息だってことを。
小さいころ、私の誕生日パーティーに来てくれて、一緒にダンスを踊ってくれたあの初恋の君があなただっていう事を。
あなたは私が忘れていると思っているのね。
なんてことない1度踊っただけの相手を、記憶しているはずがないと信じているのね。
あぁ、それともお父様を憎むことに忙しくて、私のことなんて本当に覚えてないのかしら。
5日間ひそんでいた物置小屋の扉をあけると、ずっと薄暗い場所にいたせいか日の光がやけに眩しかった。
前を行く彼の服の裾を引いて、振り返った彼にはにかんで見せる。
あら、どうしてそんなに驚いた顔をするの?
能天気な顔に呆れたと呟いて、大きなため息まで吐かれしまった。
だって私はとってもとっても嬉しいのだもの、笑ってしまうのは仕方がないでしょう?
「ねぇねぇ、誘拐犯さん。お名前を教えてくださるかしら。それとも私から名乗るべき?」
「…………」
あなたが居なくなったとき、私がどれだけ涙に明け暮れたか知っている?
絶対にあなたを離さない。
ずっとずっと、欲しかったの。