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読み切り短編

水泡に帰す砂城

作者: 本宮愁

 静かな波の音色が、耳を打つ。寄せては引き、一定のリズムで、何度も、何度も。繰り返されるルーチンワーク。ある範疇を越えない振れ幅で前後する、単調なようで多彩な水の舞踏を、なんともなしに見つめていた。

 直接砂浜におろした腰回りが、冷たい。湿った砂の粒が纏わりついて変色したパンツは、さぞかし酷い状態だろう。それでもどうしてか、身体を動かす気にはなれなかった。


「オネーサン」


 鼓膜を揺らした幼く高い声をたどった先で、あどけない瞳にぶつかった。子ども特有の輝きを、例に洩れずたっぷりと含んだ一対の黒曜石が、興味深げに私を見下ろしている。

 ぷらぷらと足を揺らしながら、1mほどのコンクリートの壁に座った少年が、ぐっと身を乗り出した。


「なにしてるの?」


 ――何を、しているのだろう。私は、一体、どうしてこの場所に留まっているのだろう。

 無邪気な表情を浮かべて、少年は答えを待っていた。目を閉じて、暫くの間、風化し始めた記憶に思いを馳せる。


「……待っていたの」


 生温い潮風が肌に纏わりつく。


「戻ってこない人を、ずっと、待とうとしたの」


 海岸に散らばるゴミの一つが、舞い上がる。暴れる髪を抑えながら、なす術もなく吹き飛んでいくビニール袋を見送った。


「ふーん。もどってこないのに?」

「そう。戻ってこないのに」

「いまは?」


 今。私は、小さな砂浜にいる。戻ってこないあの人を待って、待ち続けて、その果てに辿り着いたひと気のない波打ち際で、ただひたすらに海水の刻むリズムに耳を傾けていた。

 どうして、この場所に来ようと思ったのだろうか。


「今、は……」


 言葉に窮して、何気なく彷徨わせた視線の先に、小さなお城が映り込む。水で固められた、小さな砂のお城。近所の子供が作って行ったのだろうか。芸術品とはとても呼べないお粗末な出来のそれから、どうしても目が離せなくなった。


「『所詮すべては砂の城……やがて崩れ去る夢物語』」


 口をついて出る、いつかのフレーズ。いびつな城に、波が迫る。


「オネーサン?」


 不思議そうにぱちぱちと瞳を瞬かせる少年を見上げて、微かに口角を持ち上げる。――笑えている、だろうか。

 久しく動かしていない表情筋は、それだけで簡単に悲鳴をあげた。


「あの人が、言っていたのよ」


 遠い日。美しい砂の城を作り上げて、そして、囁くように、静かに語った。


『寄せては離れ、怯えるままに

 潜めたナイフは研ぎ澄まされて

 いつの日か貴女を貫くのでしょう』


 どういう意味? と尋ねた私に、意味なんてないさ、と笑うばかりで、結局答えてはくれなかった。

 小さな砂城の端が、波に触れる。ほんの僅かな砂が、攫われていった。一拍おいて、もう一度。

 海水にじわりじわりと冒されていく様を、いつかのようにじっと見つめていた。


「あのひと、って?」

「大切なひと」

「まってたひと?」

「そうかもね」


 あの人は来ない。絶対に。私はそれを知っていた。だからきっと、待ち人ではない。待ちたいと思っていた、人だ。


「私のすべてを、攫っていった人」


 ザァ――と引いた波が、勢いを取り戻して襲い来る。伸びる。伸びる。伸びる。……止まらない。

 ああ、とうとういびつな城を飲み飲んで、意味のない砂の固まり、そして更地へと変えてしまうのか。


『迫り上がる激情に侵されて

 水底へ沈む虚構の牙城』


 城を咥えた波が引く。

 跡形もなく崩れ去った空間を眺め、ゆっくりと唇を動かした。いつかのあの人を、なぞるように。


「『あなたのすべてを手に入れた』」


 けれど、本当に欲しかったものは、もう。


 頬を伝う濡れた感触に、気づかないふりをして、消えた砂の城に想いを寄せる。

 波間に沈む虚構の牙城。その奥深くに、貴方の心は眠るのだろうか。叶うならば、どうか安らかに。

 少年が去り、日が沈んでからも尚、満たされない心を抱いて、城のない砂浜をいつまでも眺め続けていた。

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