プレイ初日
~Welcome to the world of ancientia~
2011年。日本発、世界で活躍するあらゆる大手ゲーム会社が協力開発して新世代ゲームを開発すると発表。
2017年。その協力開発チームが6年の歳月をかけて件のゲームの開発に成功と発表。
2018年、春。件のゲーム“エンシェンティア”が全世界同時発売。
◆
江坂 緋花は昂る気持ちを抑えきれなかった。
今日は待ちに待った15歳の誕生日なのだ。今まで体験した14回の誕生日のどれもこんなに嬉しい気持ちになった事はなかっただろう。
2年前に全世界同時発売されたゲーム“エンシェンティア”。それは発売からおよそ一カ月で昨今のゲーム業界の記録を塗り替えるほどの人気商品となった。2年経った今でもプレイ人口は衰える事を知らず、未だにその数を増やし続けている。しかしそれは15歳以上限定の人物に限られている。
その理由として“エンシェンティア”の利用条件が15歳以上からとなっているからだ。
こういう理由で江坂はテンションが上がっているのだ。それになんという運命か今日は日曜日なのだ。朝6時に起床し7時には家を出ていた。
江坂は黒のTシャツにジーンズという格好だ。家を出ると右隣の、玄関先に“仙波”という表札が掲げられている一軒家の呼び鈴を鳴らした。しばらくすると玄関が開いて赤ぶちの眼鏡をかけた江坂よりも小柄な女の子が出てきた。スウェット姿で今しがた起きたばかりという格好である。
「ちょっと緋花! 待ち合わせ時間より1時間も早いじゃない!」
「もう待ち切れないって。早く行こうぜちー姉!」
江坂は寝まき姿の仙波の右手を手に取って外へと促すが、当然彼女がそれを許可するはずも無い。江坂の腕を少々強引に振り払う。
「あたしまだパジャマだって。せめて10分待ってよ……。一時間待つよりマシでしょ?」
「分かった分かった」
深く息を吐いて仙波は自宅の中へと戻っていった。
「じゃ行こっか」
「結局30分も待たされた……」
結局10分ではなく、江坂の言う通り30分後に仙波は家から出てきた。一応時間が遅れた事を江坂は彼女に抗議したが、「うるさい」の一言で一蹴されてしまった。
現在、江坂の隣を歩いている仙波 千鶴は江坂の2つ年上だ。しかし幼いころから親同士の仲が良かったのもあり姉弟のように仲が良くなった。要は幼馴染みである。徒歩で10分程度歩くと大きなビルが立ち並ぶ大通りに二人は出た。日曜日だというのに片側三車線の道路を無数の自動車が二人の前を走り抜けて行く。
林立するビルの内の一つの入り口が人の行列によって占領されている。
朝っぱらからデモなどという物騒な事を行っているのではなく、この行列を作られているビルそのものが巨大なゲームセンターになっているのだ。今日は日曜日のために大人子供関係なく、様々な人たちがこの列の主な構成員となっている。
「ほら、この時間に来て正解だっただろ、ちー姉」
「いや別にこんな早くに来なくても結局はエンシェンティアは出来るよ」
江坂は千波の言葉を聞き流して列の最後尾に並び、仙波もそれに従う。現在は7時50分。ビルが開放されるまで10分あまりの時間があるがその時間も瞬く間に過ぎ去りその時がやってきた。
周りのビル群に引けをとらないほど、むしろそれら以上に存在感のあるこのビルの名前は“エンシェンティア狐之葉市”。件のゲームのためだけに建設され、件のゲームだけが稼働している高層ビルの形をしたそれ専用のゲームセンターである。
一歩、建物内に入ると休憩を目的としてソファやテーブルが大量に置かれた巨大なロビーがある。その奥にはこの建物内のあらゆる情報を取り扱っているインフォメーションセンターがあり、左右には上階へと続くエスカレーターがある。
「まずはそこのインフォメーションで登録をしよっか」
「おっけー。やっと俺もエンシェンティアデビューか……」
うんうんと感慨深げに江坂は首を縦に振りながら先を行く仙波の後についていく。
「ようこそエンシェンティア狐之葉市へ! ご要望は何でしょうか?」
快活な声で2人を迎えたのは係員の制服を着た女性だった。可愛らしい童顔の彼女は受付嬢としての役割はそこにいるだけで十二分に果たしているだろう。
「新規登録をしたいんですが……」
「かしこまりました~。えっと、そちらの男の子が登録するんですか?」
「はい!」
気合一声とはこの事だろう。あまりの大声に周りにいる人たちが驚いて一斉に江坂の方を向いたのだ。傍にいた仙波はゆっくりと江坂から離れて他人のふりに努める。当の本人はそんなことは気にせずに受付嬢から渡された書類に必要事項を記入していく。
「それではプレイヤー登録料をお願いします」
「はい」
江坂は財布から1万円札を取り出して受付嬢に渡した。エンシェンティアは登録料が高額なだけで利用料は一切無料である。
それらの手続きが終わると江坂は受付嬢から1枚のカードを貰った。自分の名前がローマ字で書かれていて中央にキャラクターが描かれているカードだ。
「これは?」
「それはプレイヤーカードです。エンシェンティアをプレイする際にそのカードを使用して下さい。使用方法はその時に説明されるので2~5階のオンラインルームまで行ってください。それでは行ってらっしゃいませ」
受付嬢に見送られた2人はインフォメーションから右手に向かい、昇りのエスカレーターへと足をかけた。エスカレーターで4階を目指しながら仙波は人差し指を立てて、まるで教師のように1段下にいる江坂に説明を始めた。
「エンシェンティアには2つの遊び方があるんだ。
まずはオンラインモード。これはネットゲームみたいなものだよ。色んな人とアーティファクトを集めたり冒険をしたりするんだ。で、2つ目がバトルモード。自分と他のプレイヤーで戦うことができるの。要はプレイヤーVSプレイヤー」
2階に着いたのでさらに4階を目指すために2人はもう一度昇りエスカレーターへと足をかける。
「つまり、友達と一緒に冒険するモードと友達と戦うモードがあると思えばいいのか?」
「大雑把にに言えばそうかな。よくできました」
微笑みながら仙波は江坂の頭をわしゃわしゃとなでる。実際は江坂の方が身長は勝っているが、エスカレーターの段差によってその立場は逆転している。江坂は恥ずかしさを抑えきれず乱暴にその手を払ったが仙波は笑ったままだった。そして3階に着いたのでもう一度上昇のエスカレーターへと足をかけた。
「話しを聞いてたから分かると思うけど今からやるのはオンラインモードなの。まずログインしたらそのままで待っといてね。私が緋花の方に行くから」
「オッケー」
4階に着いた江坂は仙波と別れて無数にある個室の内の一室に入った。
室内はまるでテレビで見たネットカフェの個室のようなそんな部屋だった。2畳ほどの広さの個室には、しかしパソコンなどの設備があるのではなくただロボットアニメなどでよく見るコックピットのような設備が、外開きのドアを開いた江坂を待っていただけだった。こちらに座席を向けている。操作が全く分からない江坂だがとりあえず入室して座席に座ると、頭上から黒いカバーがゆっくりと降りてくる。それは江坂の目の前をすっぽりと覆ってしまうが頭上だけはそのまま室内の天井が見えるようになっている。緊急時のための救出経路のようなものだろうか。
目の前は電源が切れているパソコンのようにまっ黒だが電源が入り、表示されるのはエンシェンティアを初めてプレイするのか否かという問いかけ。江坂は右の肘掛けにあるキーを操作して“YES”にカーソルを合わせる。すると表示が今度はプレイヤーカードを左の肘掛けにあるカードリーダーに挿入する、という風に変化した。指示通りに先程もらった絵柄の無いプレイヤーカードを挿入する。
――――――キィィン。
「まだかまだか」と待ちわびてる江坂の耳が不思議なノイズを捉えた。すると彼の意識は突如としてやってきた睡魔に侵食されてゆくが、不安の代わりにあるのは冷めることのない高揚感だった。
見るのは夢、ではなくリアル精神感型MMORPG“エンシェンティア”へのアクセスに成功した事の証明である~Welcome to the world of ancientia~と書かれたロゴだった。
◆
エンシェンティアとは未来の世界を世界観としたゲームである。
現代より遥か未来では様々な技術が進歩して現在の文明を越える超文明を作り上げたが、とある大厄災によって超文明は突如滅びてしまった。
その大厄災からさらに1世紀。人類は滅亡こそしなかったが築きあげた超文明は消え失せてしまい、動物などの生態系なども大きく変わってしまった。人類が頂点に立つ時代は終わりを迎え、今では魔物がのたうちまわる危険そのものの世界へと変わり果ててしまった。
この時間軸がエンシェンティアの舞台となる。
しかし人類には希望が残されていた。1世紀前の超文明の遺産“アーティファクト”である。これを再現することは出来ないが現存しているものを扱うことはできる。これなら魔物に立ち向かうことができるのだ。
世界中に散在している“アーティファクト”を発掘発見し、使用し、魔物から人類を守るのがプレイヤーである。時に同業者と協力し、時に互いに腕を磨き合う。ゲーム内での自由度も高いのも人気の理由の一つだろう。
◆
江坂は目を開ける。
目の前にあるのは大厄災によって一度滅びてしまったという設定の世界の中に存在する寂れた村だった。家屋などは全て木造である。ついに念願が叶った。やっと“エンシェンティア”を始める事ができる。久しく味わっていなかった極上の満足感は彼の脳髄から全身へと浸みわたる。
「あ、来た来た。こっちだよ緋花」
「お、ちー姉」
彼を呼び止めたのは先程まで現実で共に行動していた仙波だった。彼女は桃色の髪を二つ括りにしていて、鮮やかな髪色と同色を基調としている着物を着ている。普段の彼女は黒い髪を男の子っぽく短めにしているのでその分のギャップが激しい。幼馴染の仙波が女の子らしいので驚きのあまり唖然としている江坂を見て仙波は大いに笑った。
「アハハハハ! 緋花ってばそんなアホらしい顔してさ。これはゲームなんだから装備とかアバターぐらいあって当然でしょ?」
「けど感覚がもう現実と区別がつかないんだよ。本当に自分自身が“エンシェンティア”の世界に来たみたいなんだって」
「まあ、それがこのゲームの一番の売りだからね。プレイヤーが本当にゲームの世界に入ったようなこの感覚、世界初の精神感型MMORPGなんだから」
得意げに話す仙波は二つ括りにしている桃色の髪を揺らして江坂の手をとる。かく言う自分もリアルの自分とは違った容姿をしている。なぜ仙波は一目で自分だと分かったのだろうか。彼にとってどうでもいいこの疑問は一瞬で霧散してしまい、この世界を歩み始める。
二人は寂れた感じの村の外へ出た。村の外は荒れ果てた荒野になっている。緑などというものは無く、ほとんどの生命が消え失せた大地が続いている。他のプレイヤーはおらず自分たち二人だけだ。
「俺まだアーティファクト持ってないけどモンスターは倒せるのか?」
江坂は横を歩いている仙波に質問する。しかしこの荒野には何もない。その名の通り、荒れ果てた大地が延々とあるのみ。それほど遠くない位置に山肌がむき出しになった決して高くはない山がある。その頂上に鳥居らしきものがうっすらと確認できた。この褐色や土色などの地味な色が溢れているこの場に赤いそれはそれなりに目立った。あれが目的地なのだろうか。
「初期装備があるでしょ。ここは初心者にぴったりのフィールドだし。えっとステータス画面を見てみて」
どうやら江坂の予想通りらしい。仙波はその山へと足を運んでいる。
「どうやって見るんだ?」
「ステータス画面を見たいって思えばいいの」
江坂は少し不安になりながらも彼女の言うとおりに念じてみると目の前に一枚の板らしきものが現れた。薄さはほとんど無いに等しい。パソコンで何かしらの情報を表示する際に画面上に現れるウィンドウそのものと言った方が正しいだろうか。それには自分の名前がHIBANAと表記されていて、現在のレベルや装備、自己紹介文などといったものが表示されている。
「キャラの名前ってローマ字表記なんだな」
「うん、エンシェンティアは全世界でできるからオンラインモードで外国人と一緒にやることも珍しくはないんだよ。だからファーストネームをローマ字表記にしてるんだ。だからここじゃ他のプレイヤーをファーストネームで呼ぶのが常識なんだ」
「ふーん、そうなのか」
江坂は画面をスクロールさせていき、ある程度の現状を把握する。当然ながらレベルは1。初期装備は大剣のアーティファクトらしい。やはり初期装備の定めなのかこれといった特殊能力のようなものは無かった。
「さ、緋花。初陣だよ」
何の脈絡もない仙波のその言葉に首を傾げた江坂だったが、すぐに理解が追いつく。ヴォンという独特な効果音と共に宙に青い文字が浮かび上がる。
~Battlefield development~
バトルフィールド展開。
RPGなどのゲームではもはや醍醐味の定番と化したであろうモンスターとの戦闘。それが始まる合図である。江坂は戸惑いながら仙波の方を見るが、彼女は笑って親指を立てるジェスチャーをした。
すうっと浮かび上がってきたのは緑色のゼリーのようなモンスターだった。目がくりくりとしていてモンスターと言うよりはマスコットのような愛嬌のある姿だ。
「よし」
江坂はある種のケジメがついたのか、短く息を切って右手で前方の虚空を掴むと、思い切り腕を振り払った。
虚空が閃光が吐き出しながらプレイヤーに力を与える。彼が掴んでいたのは大剣の柄。その武器は両刃で刀身の長さは一メートル強というところか。素朴な造りで一切の装飾は無い。ただ、敵を切るという事より重さによって叩き潰す事に重点を置いた武器は確かに江坂の両手に支えられている。
「おお!?」
感動と驚きが入り混じった言葉を発した江坂はしかし冷静に緑色のゼリーを見据えた。心の中で弾け回っている興奮を抑えつけて目の前の敵を倒す事に専念する。
躊躇することなく駆け出して一気に緑色のゼリーの間合いに飛び込み、大上段に振りかぶった大剣を気合の一声と共に振り下ろした。
「せやぁ!」
渾身の一撃は見事に命中した。ドガっという効果音より少し遅れて緑色のスライムの頭上に赤い表記で74の数字が浮かび上がる。これがダメージ結果なのだろう。緑色のゼリーが消え去ると江坂も閃光を吐き出す虚空へと大剣をしまう。
「緋花凄い凄い! カッコよかったよ!」
「お、おう。でも何かあっけなかったな」
「初めはそんなものだよ。これからが面白いんだから、まだまだ序の口もいいところ」
「そうだな。楽しみで仕方がないっての」
思わず頬が綻ぶ。
何の予兆も無く彼の体が淡く金色に輝きだした。そして軽快なファンファーレと共に彼の頭上に~Level up!!~の文字が踊っていた。
「段々慣れてきた?」
「そうだな。戦闘も慣れて来たし結構良い感じ」
仙波の問いかけに江坂は満足げに頷いた。緑色のゼリーとの初戦からしばらくが経ち、江坂はあれからも数回の戦闘を重ねて目的地である山の頂上、そこにある鳥居の前まで仙波と一緒に来ていた。江坂はふと思い立ってステータス画面を見てみた。
そこには先程とは違う箇所がある。レベルの欄が1から3へと変化していた。
「これで最後だよ」
仙波は鳥居をくぐるとその先にある石造りの台座へと歩み寄る。そして一歩左へ逸れて江坂へと道を譲り彼の方へ振り返る。仙波の体で死角になっていて気づかなかったが石造りの台座には宝箱が鎮座していた。江坂は仙波の言いたい事を理解し、まっすぐに台座へと向かう。そして宝箱を開ける。
・取得アーティファクト:耐火の腕輪。
宝箱の中に納まっていた腕輪を取り出した江坂は振り返って仙波に戦利品を見せた。彼女は破顔して手が痛くならないのかと心配するするほどの拍手を送った
「おめでとう! アーティファクト取れたんだね。じゃあ一旦村に戻ろっか」
「つまり、今みたいにマップをクリアすることでそのボーナスとしてアーティファクトを手に入れる事が一般的なんだな」
「うん、そうだね。マップのクリア条件は今みたいに祭壇にたどり着くとか、ボスモンスターを倒すとかが主かな。他にもイベントやクエストとかもあるけど追々分かっていくよ」
仙波の説明に江坂は理解を深めたようである。現在、二人は最初に訪れた寂れた村で小休憩をとっている。先ほどとは違い、ちらほらと他のプレイヤーが数人いる。
「さて、と。こんなチュートリアルマップなんてもういいから、ちゃんとした冒険に出よっか」
仙波はさらりとそんなことを言った。実際、大したことは無いのかもしれない。しかし江坂にとっては充分過ぎる程の衝撃を与える言葉だった。しかしどこか納得いくものだ。練習ならば他のプレイヤーがあまりいないのも当然だ。仙波が初見で自分だと分かったのもただここに来てログインしてきたプレイヤーに話しかければほぼ確実に自分だと確定できる。
江坂はいたって冷静を装い。
「だな。ちゃちゃっと行くか」
「むう、そこまでして“自分は驚いてませんよ”アピールはしなくてもいいんだよ?」
しかし、幼馴染で、一人っ子の江坂にとって姉のような存在の彼女には何の意味もなさなかった。
◆
江坂がエンシェンティアを始めてから三日が経過した。桜が散り、段々と暑くなり始める今日この頃。空は澄み渡る青色で陽の光は夏の到来を暗喩しているようだ。
しかしそれは現実であり、今江坂が存在しているとある大厄災によって一度文明が滅びたという設定の中の世界では、しとしとと、まるで空が赤子のようにぐずっている。
「せやぁ!」
江坂は両刃の大剣のアーティファクトを縦一文字に振り下ろし、それから腕の力をフルに使って自身の武器を振り上げてさっきとは反対の刃で子牛の姿をしたモンスターを切り伏せる。あっけない。という言葉がぴったり過ぎるほどに戦闘は終わってしまった。
今、彼の傍らに幼馴染であり姉のような存在の少女はいない。毎日毎日、ゲームができるほど誰も彼もが暇ではないという事だ。江坂も三日ぶりにこのゲームにログインしたのが現状だ。
閃光を吐きだす虚空に大剣をしまいこみ、冒険を再開する。
一人、というのもどこか物寂しいものがある。確かに今みたいなソロプレイという遊び方もあるにはあるが、やはりこのゲームは友達と共にやりこむからこそ面白みが数十倍にも膨らむのだろうと江坂は予測する。
いよいよこのマップも大詰めといったところか。ここのマップは一番初めに行ったマップのクリア条件とは違い、ボスモンスターを倒してこそクリアが可能になるのだ。
「よし、かかってこい!」
変わらずに赤子のようにぐずっている曇天。時たま凄まじい轟が江坂を揺さぶる。そんな中で彼の前に立ちはだかったのはつい先ほど撃破した子牛のモンスターが成長したような姿だった。体長は江坂の四倍はあるだろう。螺旋状に捻じれた二本の角がこいつの攻撃力を如実に表している。江坂は大剣を構える。
その猛牛の雄叫びは自身を奮い立てるものなのだろうか。そんなものは江坂には知る由もないが、猛牛が一直線に突進して来ていてこのまま行動を起こさなければ危ないことだけは明確だ。
江坂は素早く身をひるがえして右へと避ける。そしてすれ違いざまに大剣で斬りつけると猛牛のすぐ傍に赤い数字で22の数字が表記された。
「がぁっ!?」
敵わない相手ではないと理解したところで、僅かな隙が生まれた事を理解した瞬間に背後から衝撃を受けた。例えるならば不意に誰かに背後から押されたような、そこまで大したものではないし痛みもほとんど無かった。
だが彼の傍に赤く表示された270という数字。彼の最大HPは500。実に半分以上が削れたことになる。
「……やべ、回復アイテムっと」
江坂は左手だけを大剣の柄から離してただ自然に手のひらを上に向けると、彼の手の中に透明な瓶に納まっている青い液体が握られた。瓶の栓を外して中身を一気に飲み干すと彼の傍に青色で100の数字が表記された。自身のHPを回復するためのアイテムなのだろう。
猛牛の動向に気を配りながら同じ行程をもう一度踏む。これなら一撃死は何とか免れることができるはずだ。それに、分かりやすい事にこいつの動きは真っ直ぐに突進することがほとんどだった。驚異的な速さにさえ気をつけていれば、勝てない相手ではない、と江坂は冷静に分析する。
そこからの戦いは拮抗していた。
江坂が攻撃しては猛牛からの反撃が来る。HPが無くなりそうになれば回復アイテムを使う。同じ繰り返し作業にしかし、江坂には飽きなど来なかった。いつ倒されるか分からない緊張感が彼を極限に集中をもたらしていた。
そして、その時はやってきた。
江坂が無我夢中で放った大剣での一太刀が猛牛の頭部に直撃したのを皮切りに荒々しかった猛牛の動きがピタリと止まり、すうっと消えていったのだ。
「ハア、ハア……勝った」
~Level up!~
江坂の体が黄金に輝いてレベルアップしたことを知らせる。そして数秒するとまた彼の体が黄金に輝く。
「よっしゃ! 一気にレベルが上がった! これで10か」
長時間の戦いの疲れはどこへやら。江坂は足取り軽く目の前に出現したクリアボーナスである宝箱へと近づいて、蓋を上に押し上げた。
・取得アーティファクト:フレイムブレード
マップのクリアボーナスを手に入れた江坂は街へ帰還する、と念じる。ただそれだけで彼の周りには橙色の輪が江坂を取り囲むように出現し、彼をこの場から離脱させた。
◆
このエンシェンティアには街がある。
いくら屈強なトレジャーハンターと言えども根本は人間である。そんな彼らが旅支度、休憩するための場所である。プレイヤー間ではタウンと呼ばれており、マップやダンジョンとは違い、バトルも無く、ゆっくりとした雰囲気がここにあるからなのか、誰からも愛される場所となっている。
そのタウンの中央にある噴水広場。デザインが凝られた噴水がいくつもあり、初心者はこのグラフィックの流麗さに必ず感嘆の声を漏らすという噂付きの広場はしかし、タウンの外と中とを自由に行き来できる唯一の入り口となっている。そして広場の中央、つまり正真正銘タウンのど真ん中には巨大な蒼い宝石が浮いていた。
これが転移装置、テレポートでマップやダンジョンにトレジャーハンターを転送させる優れ物である。
プレイヤーの往来が激しいここで虚空に橙色の輪が水平に縦一列で現れる。つまりプレイヤーがタウンに帰還してきたということ。
「よし、アイテムでも買って次のマップにでも行くかな……」
マップから帰還した江坂は橙色の輪から解放されて、一歩前に足を踏み出したところで、急に動きを止める。
「ちー姉からメール? 今日はエンシェンティアできなかったんじゃ無かったのか?」
江坂が言っているのはゲーム内専用のミニメールだ。宛先にプレイヤー名、内容を書き込んだら簡単に相手に届くものである。江坂がミニメールを見たいと念じると、彼が手を軽く伸ばせば届く程度の前方ににステータス画面と同じようなウィンドウ現れた。それをタッチして操作して幼馴染から受け取ったメールを開く。
『やっほ~緋花。今エンシェンティアやってるよね? 一旦ログアウトしてゲーセンのカフェに来てくれない? 一緒にバトルモードやろうよ^0^』
幼馴染からのメールはこんな文面だった。何で自分がエンシェンティアをやってるのかを向こうが知ってるのか気になるが、あとで訊けばいいだろうと江坂はそう考えた。
そして江坂は仮想空間から離脱する。
「あ、来た来た」
ゲーセン内にあるファーストフード店で買ったと思われるコーラを片手に持っている仙波は上階からエスカレーターを使って下りてくる江坂に手を振った。それに彼は気づき小さく手を振りかえす。
学校帰りの学生たちがそのままここに立ち寄っているのか、江坂と同年代ぐらいの学生服を着た人が大勢いた。江坂もその一人で、今日はテストで午前中に学校が終わったからここにいると言っていい。いつもならまだ掃除をしている時間帯だろう。
「んでさ、バトルモードってのは……」
江坂は彼女が座っている二人用の座席のもう片方に腰掛ける。仙波はコーラをちびちびと飲みながら応える。
「緋花の思ってる通り他のプレイヤーとバトルだよ。経験にはいいんじゃないかな。どうせ遅かれ早かれ、いつかはやるんだし……うわっやっぱ炭酸無理! 緋花はよくこんなものを飲めるよね」
口をすぼめ、眉間にしわを寄せている仙波をいたって平常に江坂は言葉を口にする。
「じゃあ何で買ったんだよ……」
「え? いや私も新しいジャンルの飲み物に挑戦しようかと思って、ね?」
緋花は彼女のペースに話を乗せられていると気づいた。さっきとんでもないことを仙波は言ったはずだ。
「ちょっと待て。俺はまだレベル10だぞ? 他のプレイヤーとなんて無理に決まってるだろ……」
「もう、緋花はそーしょくけーだなぁ。対戦にも不公平が生じないようにLV制限とかは設けてるんだよ? だからレベル10に近いプレイヤー同士で対戦することもできるんだって」
「そっか、ならやってみようかな。ところでちー姉、草食系の意味知ってるか?」
「え? 臆病って意味じゃないの?」
「いや、それはそれで合っているんだけどさ……もういいや」
いつものような事だ、と割り切って江坂はバトルモードとやらをする為に立ちあがって、仙波を早く行こうと促す。彼女はコーラに苦戦しているようで途中で諦めたのか、まだ中身が半分以上も残ってるファーストフード店のロゴがプリントされた紙コップを江坂に手渡した。
◆
仙波はひたすらエスカレーターで上階を目指す。江坂はその後に着いていく。現在は8階。このビルの形をしたゲームセンターの最上階だ。
「ここ。さ、入るよ」
彼女が促した先のドアは既に開放されていた。どうやら常に開かれているらしい。
今、江坂の先に広がっている光景は人の数が途轍もなく多いというものだ。かなりの数のプレイヤーが常時開放されているドアの先に広がっている大規模のホールに集まっている。
「おい……ちー姉、もう人が一杯一杯なのにこの中に入れと?」
「大丈夫大丈夫、混んでるのは外側だけだから」
5桁近い人数は収容できるのではないだろうか。下層にあるエンシェンティアのプレイルームは細かく区切られているので、ここのように一つの広間にまとめられると余計に広く感じるのかもしれない。しかし物凄い人数だ、と江坂はそう思う。今は人ごみを割って入らずに広間の入り口で待機している二人である。
これまであの狭い部屋でしかこのゲームセンターで遊んだことは無かった。大人数がいるのはネットゲームの中だけ。江坂が無意識の内に抱いていたそんな思い込みは容易く破られたのだった。
「えっと、左側から順にレベル1~50で、真ん中が51~100、右側が100~250までだよ」
「それって、さっき言ってたレベル制限の話しだよな?」
「そうそう、緋花は左側だね」
「なんで……」
「そこまでレベル差があるのか?」
仙波に見透かされたからだろう、江坂は言葉に詰めた。ふふん、と得意げに鼻を鳴らした仙波は人指し指を立てて言葉を発する。
「レベルなんて形だけのお飾りなんだよ。例えどんな強敵でも、勝ち目が無いとしても、アーティファクトの相性や属性、アーティファクトの応用の仕方、その時のコンディション、他にも様々な要因が重なり合ってるから決定した結末なんて存在しないんだから」
江坂は黙りこむ。仙波の言う事が正論だと理解したから。本当に自分が世界の中に入ってしまったような感覚、全く先が予想できない真剣勝負、それらに憧れてこのゲームを始めたのに、いつの間にかそれらを否定して臆病になっている自分がいた。
「分かった、やるよ。でもさレベル制限があるってことは俺とちー姉は直接バトルはできないんだろ?」
「そうだね~でもいいじゃん。じゃあ行こうか」
仙波は軽い調子で割り切ったようで早速、目の前に広がる人ごみをかき分けて前へと進む。その切り変えの速さも変わらないな、と思いながら江坂もまた続く。
「ここにいる人たちはほとんど観戦目的だから気にせずに行っていいよ」
そう言って仙波は人ごみの中へと紛れてしまった。江坂も左の方へと進路を取り進んでいくと、段々と人ごみが少なくなってきた。前方の少し足場が高くなっているステージには、エンシェンティアをプレイする時に座る座席が10台、円形に並んでいた。その傍にはもはや当たり前のマナーとなっている順番待ちの列ができている
「どこが列の終わりなんだ?」
観戦客と順番待ちの列が混ざって、一目見ただけでは分からない状態だ。数十秒かけて列の最後尾を特定し、江坂はそこに並ぶ。座席の数からして1対1ということはないだろ、と江坂は予想する。どうせなら10人同時の乱闘形式のようなものか。
少し上を見上げると、現在の対戦がリアルタイムで観戦ができる三つの巨大モニターがあり、それらは横一列に並んでいる。レベル制限によって分けられている会場の数にモニターの数を合わせている。モニターの向こう側では大小、形状、能力様々なものが飛び交って乱戦を繰り広げていた。
あるプレイヤーは剣を振るい、また一方のプレイヤーは銃器で応戦したりと江坂の予想通りに十人同時で対戦を行っている。さながら昔に流行った格闘ゲームみたいな感覚だ。洪水、爆発、落雷、様々な自然現象が暴れ回っているのもこのゲームならではだろう。
古代文明の知識は現代では手の届かない遥か先にある。発生原理なんて無視。超常能力同士のぶつかり合いだ。その古代文明の遺産が何で腐るほどあるのか? そんな些細な事を気にするやつなんかいない。これはゲームだから楽しまないと損だから。
江坂がそれらに魅入る事、約30分。数回ほど順番が交代し、ついに江坂の順番がやってきた。
江坂は少し高いステージに上る為に階段に足をかける。三段しかないなので階段というよりはステップといった方が適切なものはしかし、江坂を緊張させるには充分だった。はやる心臓の鼓動が周りにも聞こえてるかもしれない。そんな事を考えてしまう。
前方の2個前のステージ、つまりレベル100~の上級者同士が対戦する場所には仙波が立っていた。彼女も今から始めるようだ。そして仙波は柔らかく微笑んだ。江坂の中で馴染みのあるその笑顔は、それだけで彼の緊張が消え失せた。
江坂は頷き、座席にどかりと座り込んで目の前にある機械にプレイヤーカードを挿入した。ここの操作はオンラインモードと変わらない。さっき観戦してて良かったと素直にそう思う。観戦していなければ、ここであたふたして注目の的になっていただろう。すると座席の上の屋根がゆっくりと降りて来た。さながら、ロボットアニメのコクピットのようだ。
「さあ、準備はいいですかー!」
マイクによって拡声された声は女性のもの。屋根、というよりは前方を覆うカバー閉じて行く中で、江坂はエンシェンティアのスタッフの証明となるユニフォームを着ているゲーム司会の女性がそう言ったのを聞いた。彼女は円形に10台並んでいるコクピットの中央にいる。
目の前はカバーに覆われ黒一色となったが、見上げればこの広場の天井が見える。何かトラブルがあった時の為にあえてここをあけているのだろう。そして目の前に浮かび上がるのは~Welcome to the world of ancientia~のログイン成功の文字。
そして江坂の意識は堕ちていく。
◆
木村 春奈はアルバイトをしていた。時給950円なんてバイトはそうそう無いし、しかも採用条件はエンシェンティアのプレイ経験があり、レベルが200越えのユーザーと来たもんだ。これは行くしかないと即断即決。現役大学生の彼女の夢は大好きなこのゲームに携わる仕事がしたい。それだけで大学も決めた。
そんな経緯で木村は現在、エンシェンティア孤之葉市のバトルモード、レベル1~50の司会を務めていた。初心者のプレイヤーが集まるこの会場だけど木村は特別嫌な気はしなかった。ここからまたランキング上位に名を輝かせる者が表れるかもしれない。そう考えるだけで観戦オンリーのこの立場も悪くは無い。それにスタッフのユニフォーム可愛いし。
このバイトを始めてから早一ヵ月。どんな振る舞いをしていれば初心者なのかそうじゃないのかのボーダーラインはある程度分かってきたつもりである。その経験からしていえば今回はド素人のプレイヤーがいる。背が高めで高校生ぐらいの男の子。がっちがちに緊張してるけど初めはそんなもんだよ、と心の中で賛辞を送っておく。
その男の子がいきなり微笑んで頷いてた。
――――え? 新手のナンパ? めっちゃカッコいいんですけど。
なんて思ってる間に、ごく自然に後ろを振り返ると黒髪ショートの女の子がいた。この子もはにかんでる。
――――結構可愛いし。あーそうですかそうですか。春は過ぎたばかりなのにあなた達はまだ春真っ盛りですか。お姉さん羨ましいぞこの野郎。
そしてコクピットが閉じて10人のプレイヤーが仮想空間へと行った。今回も誤作動やバグは無かったようだ。万全のセキュリティを持つこのゲームがそんな事態に陥るなんて聞いた事はないし、先輩からも万が一、億が一ぐらいに気を留めとけばオッケーみたいな感じだった。
『あ、あ~こちらシステム管理室~木村春奈、聞こえてるか?』
極小ヘッドセット型のマイクは実は無線通信も行える優れ物。それから通信が入った。エンシェンティア用に独自の改造を施しているそれはマイクの近くにあるスイッチを操作するだけで、簡単に会場のスピーカーからシステム管理室へと切り替わる。木村の心のスイッチも仕事モードに切り替わる。
『はい、こちら木村春奈です。どうかしましたか?』
『何というかな……誤作動? バグ? どっちでもいいけどさ、それが発生したから至急発生元のコクピットとプレイヤーの安否の確認よろしく。今からデータ送るから』
そう言って一方的に通信が切られた。
――――マジッすか。
◆
江坂もといエンシェンティアのプレイヤー、ヒバナは樹海の木のように乱立する高層ビル群の間にある大通りに突っ立っている。今までのような冒険ファンタジーではなく、近未来都市のような場所だ。
「ここが対戦フィールド?」
さっき観戦していて分かっていることはバトルが始まった以上、不意打ちやその他諸々、どんな戦略を使ってもいいから敵を倒せばいいらしい。そして10人の内の最後の1人になるまで勝ち抜けばいい。
よってビルの陰からいきなりアーティファクトの攻撃が飛んできても文句は言えない。だからヒバナは虚空を掴む。そして自然に振りぬくと、そこから閃光が迸り大剣が姿を現す。
「戦闘を避けて最後まで力を温存するか、初っ端から仕掛けて戦闘のペースをこっちに引き込むか……」
これからの事を思案していると、真正面にある交差点。信号の命は消えている。
そこの右側からプレイヤーが出て来た。一気に緊張が走り抜けるがそれを押し殺して急いで大剣を構えた。向こうも気づいたらしい。
バックステップを踏んでヒバナから距離を取りながら右手を前方に突き出す。桃色の髪を二つ括りにしていてその鮮やかな色と同色の着物を着ているプレイヤーだった。そしてこのプレイヤーをヒバナは知っている。
「……ちー姉?」
「ひ、緋花?」
ついさっき、二人が闘うことはないと確認しあったばかりだったが何事も予定通りには運ばないものなのだと、江坂は呆れ返った。
エンシェンティア経験者、それも上級者といっていい仙波は混乱している。何で江坂がここにいるのか。ゲームにログインする直前に見た時、確かに彼は違う会場のコクピットを使ったはずなのに。
『どうも~初めまして……。この放送はエンシェンティアシステム管理室よりお送りしております』
声がした上を見上げれば青い空。これがテクスチャやパターンを使用しただけのグラフィックとは思えないほどの天空が広がっていた。




