第3話『私はお母さんが酷く怖く感じて、何度も頷いた。』
朝陽の人形からの怪しげな予言めいた言葉を聞いてから私はより一層朝陽について注意して見る様になっていた。
しかし、朝陽との生活は平和そのものであり、特に問題らしい問題は無かったのだ。
まぁ時折男子が突っかかってくる事もあったが、大きな問題になる事もないし、朝陽も気にしていない様だった。
だから私は安心し毎日を過ごしていたのだが、嵐というのは予想もしていない所から来るという事を私は小学校三年にして学ぶ事になる。
そう。父と母の襲来である。
正直存在を殆ど忘れていたという事もあり、母が自分とそっくりな見た目をしていなければ母だと気づく事も出来なかっただろう。
父などは記憶にも残っていなかったから親子でありながら『はじめまして』を言い合う様な関係だ。
「今更何の用だい。里菜はもう九歳になるんだよ」
「そうね。だからちゃんと元気にやってるか気になってさ」
「白々しい。ずっと放置していた癖に今更親の様な顔をするんだね」
「放置なんてしてないわよ。探偵を雇ってずっと監視はしてたからさ」
「それが親と娘にすることかい!」
「まぁ、しょうがないでしょ。里菜が近くに居るのも困るけど、私みたいな目に遭っても困るしさ。でもまぁ、一応まともそうだし。安心したよ」
「貴女みたいな親不孝者に育てられるよりも良いに決まってるでしょ」
「アハハハ! なに? 母さん。それ本気で言ってんの? 面白すぎでしょ! アハハハハ。お腹痛い」
「何笑ってんだい!」
「そりゃ笑うよ。母さんってば自分がやってた事忘れちゃったんだね。もう年かな。まぁ愛のない生活してれば当然か」
「……愛がないって言うのなら貴女だって同じでしょ。真実の愛を捨てて、男なんかの手を取ったんだから」
「あぁ、なんだ。覚えてたんだね。安心したよ。まだボケてないみたいでさ。いや、まぁ頭は前から何も変わってなくて狂ってるけどね」
「誰の頭が狂ってるだって!? 腹を痛めて産んでやったのに!! なんて言い草だ!!」
「前も言ったけどさ。産んでくれなんて頼んでないんだよ。こっちは。アンタが勝手に世間体とやらを気にして父さんの子を生んだんでしょ? 真実の愛だなんだって結局は浮気してたってだけの話じゃない。くっだらない。そんなに男が嫌いなら、憧れのお姉様とやらと子供なんて生まずに、二人で野垂れ死んだら良かったでしょ。勝手にこっちのせいにしないでくれる?」
「アンタって子は!! お前なんか私の娘じゃない!!」
「はいはい。こっちも願い下げですよ。でもね。私たちの問題に里菜は関係ないの。分かる?」
「そんなの当たり前でしょ」
「そう。当たり前なんだよ。だからさ。里菜には選ぶ権利があるの。どういう未来に進むかさ」
「……」
「今話してて分かったけど、やっぱり母さんには任せられない。自分の考えだけが正しいと思い込んで、それを疑いもしてない。それは異常なんだよ。だからさ。ここからは私も介入する。里菜は私の娘だし。幸せにはなって貰いたいからね」
「随分と勝手ね。貴方はいつも」
「今更でしょ」
「……もし、そう在りたいと貴女が思うなら、まず最初に聞く人間が居るんじゃ無いかしら?」
「そりゃそうだ」
お母さんとお婆ちゃんは言い争いを止めて落ち着くと、二人とも同時に私を見た。
そしてお母さんが笑顔で私に向かって問いかける。
「里菜。という訳で、悪いんだけど。週に何度か。私とお話ししようか」
「お話……?」
「そ。お話。どんな話でも良いよ。学校での話とか。好きな男の子の話とか。家族なんだしさ。遠慮はなしで話そう」
「かぞく、だから」
私はお母さんから視線を動かして、ここまで一言も発していないお父さんと思われる人を見た。
お父さんはどこか困った様に私と視線を合わせた後、微笑んで……。
「あなた。約束。破るつもり?」
「いやっ、そういう訳じゃないが」
「私もさ。これでもちゃんと母親やろうとしてるのよ。だから邪魔しちゃ駄目。分かるでしょ?」
「……すまない」
「さて。ごめんね。里菜。一つだけ注意事項があるのを忘れてたよ。里菜の親は私だけ。この男の人は知らない人だから話しかけちゃ駄目。見ちゃ駄目。触れちゃ駄目。分かった?」
「え……でも」
「里菜? 『はい。分かりました』ってお返事以外は欲しくないな。私」
お母さんは笑顔のまま私をジットリとした目で見つめる。
私はその目が怖くなってお婆ちゃんやお父さんを見るけど、二人とも顔を逸らすばかりだった。
「里菜。聞こえていないのかな? お返事できないなら。体に教えるしかなくなっちゃうけど。痛いのは嫌だよね?」
「……わ、分かりました」
「うん。良く出来ました。なんだか怖い事を言っちゃったかもしれないけど。何も怖い事なんかないからね。お父さんが居なくても、お母さんが二人分里菜の事を愛してあげるから。だから……私からお父さんを奪おうなんて、考えちゃ駄目だよ?」
私はお母さんが酷く怖く感じて、何度も頷いた。
そんな私にお母さんは、よくできました。と言いながら頭を撫でてくれたが、まるで嬉しさは感じなかった。
感じるのはただの恐怖だ。
「じゃあ、諸々決まったし。早速来週からやってみようか。状況によっては多めに来るからさ。ま。楽しい時間を過ごそうよ。里菜」
「……は、はい」
「固いなー。親子なんだしさ。もっと軽く行こうよ。ね?」
「う、うん」
「よーし。オッケーだね。じゃあ私たちは帰るから。また来週ねー」
お母さんは私たちの返事は聞かずさっさとお父さんを連れて帰ってしまった。
来週からお母さんとお話をする。
さっきの事を想うと少し憂鬱だったけど、楽しみな気持ちも僅かだが存在していた。
しかし、この日の夜からお婆ちゃんは少しずつおかしくなってしまった。
今まで聞いた事の無かったお爺ちゃんの愚痴や、お母さんがお父さんと結ばれた事でどれだけ駄目になってしまったかと語り始めたのだ。
そして、私には『まとも』に生きなくてはいけないと言う。
その、まともな生き方。という物はよく分からなかったけれど、私は分からないなりに頷いておく事にした。
そんな私の態度にお婆ちゃんは満足気に笑って、いつものお婆ちゃんに戻ってくれるから。
ただ、そんないつものお婆ちゃんも夕食を食べた後には決まって『お姉様』の話をする様になった。
如何に美しい人であったか。
如何に素晴らしい人であったか。
如何に可哀想な人であったか。
まるで昨日の事の様に語るお婆ちゃんは、お母さんと同じ様に何処か怖い雰囲気があった。
私が素敵な人だったんだね。と言うと、お婆ちゃんは本当に嬉しそうに笑い、里奈も真実の愛を見つけるんだよと繰り返す。
そして、この話をした後にお婆ちゃんは決まって朝陽の話をするのだ。
その目が、その言葉が、その仕草が、まるで朝陽ではなく、別の何かを見ている様で、私は言いようのない気持ち悪さを感じてしまうのだ。
だから、その気持ち悪さを消そうと、朝陽は友達だよ。大切な親友なんだと伝えると、お婆ちゃんは今はね。と返事では無い様な言葉を返すばかりであった。
それが何だか酷く息苦しくて、私はもがく様に、抗う様に、お婆ちゃんに言葉を差し出した。
「お婆ちゃんっ。わたし、私ね。朝陽の事もジョージの事も大切だよ。大切なの。でも、お友達なの。その愛とかそういうのは分からないの」
しかし、お婆ちゃんの返事は酷く残酷な物だった。
「そう。まぁまだ里菜は小さいからね。しょうがないわ」
「お婆ちゃん!」
「あぁ、そうだ。言い忘れていたけどね。ジョージと言ったか。あの異国の子だけど。もう付き合うのは止めなさい」
「……え?」
「最初は可愛い女の子かと思っていたけれど、男だって言うじゃないか。騙そうとしていたなんて、汚らしい」
「じょ、ジョージは、汚くないよ」
「いいや。汚いよ。お姉様を穢したあの兵隊と同じさ。男なんて汚い生き物だ。それも異国の人間なんて、友人でも私は反対だね」
「お、お婆ちゃん」
「良いかい? 里奈。愛は美しい関係の中にしか生まれない。男なんて汚らわしい物は排除するべきだ。分かったね?」
「……はい」
私は、心の中でジョージに謝りながら静かに頷いた。
お婆ちゃんの表情は、あの時のお母さんと同じで、見ているだけで恐怖を感じる様な物だったからだ。




