第2話『朝陽を幸せにして、守る』
藤堂朝陽という少女は私にとって幼馴染であり、親友である。
しかし、それと同時に世界で最も意味不明な少女でもあった。
初めての出会いでは、生涯忘れる事の出来ない光景を頭に焼き付けられたし。
幼稚園に通い始めてからも、朝陽の周りではいつも不思議な事が起こっていた。
その全てを朝陽は友達が悪戯したと言っていたが、無論それを信じる者などいない。
いや、彼女の可愛さに魂を奪われてしまった者たちは皆表面では信じていると言っていた。
だが心の中ではそんな訳が無いと思っていたのである。
それは無論、私もジョージも同じであった。
朝陽が大切な親友である事は変わりないし、これからもきっと変わらない。
しかし、それはそれとして朝陽の言動にはある種の気持ち悪さを感じていたのも確かだった。
だから、私は朝陽が『普通』になる為にはどうすれば良いのかと祖母に相談する事にした。
「そうかい。朝陽ちゃんがねぇ。むむ」
「お婆ちゃんでも、分からない?」
「そういう訳じゃないんだけどねぇ。そうだねぇ。里菜は、朝陽ちゃんの為にどれだけ頑張れるかい?」
「何でもできるよ! だって親友だもん!」
「そうか。偉い子だね。なら朝陽ちゃんの話をよく聞く事が大事だよ」
「話を聞く? でも、いつも聞いてるよ。変な話」
「それだよ。里菜は朝陽ちゃんの話を変な話って決めつけて、どういうお話なのかなって考えてないだろう? それじゃあ朝陽ちゃんは寂しくなっちゃう。寂しくなったらもっと不思議な世界に行っちゃうんだよ」
「そんなのやだ!」
「じゃあ、里菜も朝陽ちゃんの話をちゃんと聞いてみよう。そしたら朝陽ちゃんも里菜が話を聞いてくれるからちゃんと里菜に向き合う様になるよ」
「そしたら変な事しなくなる? 言わなくなる?」
「あぁ。里菜が大切になったら、朝陽ちゃんだけのお友達はだんだん離れていくよ」
「そっかー! 分かった! じゃあ私、頑張る!」
「あぁ。良い子だ」
私はお婆ちゃんに頭を撫でられ、嬉しくなりながら、次の日から朝陽の話をちゃんと聞く様になった。
でも、きっと本当の意味で私もお婆ちゃんも分かっていなかったんだと思う。
朝陽が何を見て、何と話をしているのかを。
「朝陽ちゃん。お話しましょ」
「いいよー」
「それでね。今日は朝陽ちゃんがいつも話してる話が聞きたいなって」
「いつものはなし? なんだろう」
「ほら、メリーさんとか、お侍さんとかの話」
「なんで?」
「え、いや、なんでって」
「だって。里菜ちゃん。本当は聞きたくないんでしょう? なんで聞きたいの?」
「そ、それは」
「昨日お婆ちゃんとお話ししたから?」
「っ」
それはまさしく衝撃であった。
朝陽が笑顔のまま放った言葉に私は心臓が掴まれた様に苦しくなり、それ以上何も話す事が出来なくなってしまう。
しかし、そんな私の事など知った事かとばかりに朝陽は言葉を続ける。
「里菜ちゃんも里菜ちゃんのお婆ちゃんも私のお友達のことが嫌いなんでしょう? なんで聞きたがるの?」
「……」
「ねぇ。なんで?」
「……」
「なんでお話してくれないの? ねぇ、里菜ちゃん」
「あ、あさひ」
「自分だって押し付けてるくせに」
それは、その時の朝陽をこの世界にある言葉で表現するならば、おそらくは恐怖という物だった。
朝陽の周りには黒い靄の様な物が集まり、重なり、世界を黒く覆い隠してゆく。
ジワリジワリと私たちがいる世界を浸食してゆくそれは、壁に床に天井に。その黒いシミは急速に広がっていった。
そしてそれが、世界の全てを覆い隠そうとしていた時、朝陽が両手を強く叩いた。
「止まって!!」
その一言が切っ掛けとなったのか。私の周りに広がっていた黒い何かは初めから存在していなかったかの様に消えていった。
まるで白昼夢の様に。
消えたと理解してからは、私の耳に物音が聞こえる様になっており、先ほどまで無音だったのだとようやく理解した。
理解して、私は一気に気持ちが溢れて、その場に座り込んで泣き出してしまった。
そんな私を朝陽は優しく抱きしめて、何度も謝るのだった。
そして。この日を境に朝陽は変なお友達の話をしなくなり、普通の女の子になっていったのだった。
普通になった朝陽と過ごす日々は、とても楽しい物になった。
朝陽は可愛いし、いつもニコニコ笑って私やジョージの話を聞いてくれる。
他の子みたいに暴れたりしないし、我儘も言わない。
私たちはすぐに最高の関係を築く事が出来た。
それから少しずつ周りの子供たちも朝陽に近づいてきて、気が付けば朝陽は幼稚園で最も注目を集めている子供になっていた。
朝陽がどこかに座って空を見ていれば、周りに誰かが近づいてきて話しかける。
朝陽が一人で遊んでいれば、一緒に遊ぼうとする。
朝陽が本を読んでいれば、何の本を読んでいるのかと聞いてくる事が増えた。
正直外から見ていても大変そうだなという感じだったが、朝陽は特に嫌がる様な所は見せず、群がってくるみんなに笑顔で接していた。
しかしそんな状況になってもなお、朝陽は私やジョージを見捨てる様な事はせず、ずっと傍に置いてくれていた。
それが誇らしくて、嬉しくて、私はあの時朝陽と話をして良かったと心から思うのだった。
だが、そんな考えが甘かった事を私は翌年思い知る事になる。
それは幼稚園に通う最後の年の冬の事だった。
私はいつもの様に祖母が来るのを幼稚園で待っていた。
朝陽は他の子に呼ばれて、何処にもおらず、私は窓の外を見ながらボーっとしていたのだが、ふと視界の端に何かが動いた事に気づいた。
最初は猫か何かかと思ったのだが、どうも様子がおかしい。
それはヒラヒラとした布の様な物だったからだ。
私はそれをよく見ようと身を乗り出して……そしてそれが人形であると気づいた。
しかもその人形が、かつて朝陽が持っていた物である事にも気づいたのだ。
誰かが朝陽の気を惹きたくてやったのかもしれない。
そう考えた私は、部屋から外に出て、その人形があった場所に向かった。
しかし、壁に寄りかかる様にして置いてあった筈の人形はどこにもなく、何もない空間が広がっているばかりだ。
おかしい。
そんな風に考えながら周りを見てみると、幼稚園の裏側へゆく壁の所にひらりと動く何かが見えた。
もしかしたら誰かが私に見つかった事に気づいて動かそうとしているのかもしれない。
それに気づいた私は急いでそのヒラヒラが見えた方に向かって走った。
布を追いかけて、走って、走った私は、気が付けば誰も居ない暗い場所に辿り着いていた。
掃除の道具とか、普段は使わない道具が置かれたその場所に恐る恐る近づいて、ちょっとした台の上に人形が置かれている事に気づき、私は深く息を吐いた。
この場所から逃げられる。
そう考え、とりあえず人形を手に取って、汚れを払い、傷が無いか確認してゆく。
私はこの人形の事を好きじゃないが、朝陽は友達だと言っていたのだ。傷がついていたら悲しむだろう。
「あら。意外と優しいのね」
「……っ!?!?」
私はどこからか聞こえてきた声に周囲を見渡す。
しかし、どこにもその姿は見えなかった。
「ふふ。ここよ。こーこ」
いや、気づいてはいたのだ。
その声が。私の持っている人形から聞こえているという事は。
ただ、気づきたくなかっただけなのだ。
私は思わず人形を投げそうになったが、悲しそうに笑う朝陽の顔を思い返し、何とか堪えて、棚に放る様にして置いた。
それでもやや乱暴になってしまい、人形は軽く棚の上を転がり、そして……起き上がった。
まるで人間の様に。
「痛いわね。小娘。傷が付いたらどうするつもり?」
「……」
「何とか言いなさいよ。まったく。これだからガキは」
「な、なんで」
「ん?」
「なんでっ、動いてるの?」
「そりゃ動いてるから。動くのよ」
「は……ぁ?」
「理解できないでしょうね。だからアンタはただのガキなのよ。本当は見えている事も見えないと自分に嘘を吐いて、真実から目を逸らす。こんな事はあり得ない。こんな事がある筈がない。自分から見える景色だけが世界の全てだってね」
やれやれとまるで人間の様に両手を動かして呆れた。とでも言うようなポーズを取る人形に私の体はすっかり動けなくなってしまった。
しかし、そんな私の事など気にする事もなく、人形は言葉を並べているのだった。
「だから人間は……っと、話が長くなったわね。年を取るとペラペラ、ペラペラ話が止まらなくて嫌になるわ」
「わ、私に! 私と朝陽に何の用なの!?」
「神に気を付けなさい」
「か……み?」
「そう。星から光の世界を託された存在よ。それが朝陽を狙ってるわ」
「待ってよ、なんでっ、なんで神様が朝陽に何かしようとするの!?」
「運命を収束する為。本来は交わる事の無かった大きな二つの運命を繋いで、束ねて、巻き込んで。世界に大きな特異点を作ろうとしている。だから、朝陽の事を頼んだわ。どうやら人間の世界じゃ、私たちは一緒に居られないみたいだからね」
「守るって、何をしたら」
「さぁ。今はまだ分からないわ。でも、そうね。アンタが傍にいて、それで朝陽が幸せなら、きっと大丈夫」
「朝陽が、幸せなら」
「じゃ、よろしくね」
人形は言うだけ言うと、暗闇の中に消えていった。
これから朝陽の家に帰るのだろうか。
もしくは別の所へ。
それは分からないけれど、私は今聞いた話を自分の中で何度も繰り返して、大切な事を呟くのだった。
「朝陽を幸せにして、守る」




